空き地の生態系から考えてみる
2023年に京都駅東側のエリアに移転予定である京都市立芸術大学は、元・崇仁小学校を中心に、移転予定地においてワークショップやフィールドワーク、「still moving」と冠した展覧会、卒業生の若手アーティストの紹介をおこなう「ギャラリー崇仁」の運営などを展開している。西日本最大の被差別部落とされた崇仁地域は、人口流出と高齢化により、京都駅至近の好立地にありながら衰退が進んでおり、京都芸大の移転が街の活性化効果をもたらすことが期待されている。
この移転計画において、京都芸大がまず向き合わなければならなかったのが、移転予定地の「空き地」だったことを思えば、草花や水辺といった生態系をテーマにした近年の細やかなワークショップ、フィールドワークといった(まさに草の根的な)事業が積み重ねられている理由を察することができるだろう。京都市の住宅地区改良事業の一環で生み出され、フェンスに囲われたまま何年も経った空き地。さらには、大学移転にともなって住民へ立ち退き交渉が進められることで、「空き地」は新たに生み出され続けている。未来の大学が現れるのは、この「空き地」の上、ということになる。
その傍らで、植物は、与える側/与えられる側、取る側/取られる側の分断と硬直という人間の事情を置き去りにし、これらの「空き地」を一刻一刻と奪還してきた(*1)。不動産としての社会規定上の「土地」ではなく、種子が根付き生の基盤となる「大地」という生態学的事実に、その「空き地」を還元してみるとき、分断の無効化の契機が立ち現れる。京都芸大の草の根の企ては、この契機を的にしているのだろう。
こうした背景からすれば、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで行われた 鄭波(ジェン・ボー)個展「Dao is in Weeds | 道在稊稗 | 道(タオ)は雑草に在り」 は、複雑な立場に置かれた大学が、いかに分断を越えて連帯を獲得しようとしているか、ひとつのビジョンを表明するに相応しいものと見えた。2016年から展開されるジェンの《Pteridophilia》シリーズは、台湾におけるシダ植物と人間の密な関係の変遷に着想を得た映像作品で、その最新作が本展の中心作品となった。
人間と植物がまぐわう壮大なコスモロジー。それは、それらの間に境界がなく等価である一元論的世界観であり、本展のタイトルで引用された荘子の「道」の思想に通じるものである。このコスモロジーをもって、前述の京都芸大の移転計画を含む京都のローカルな文脈を照射しているところが本展の特質だといえよう。
ジェンはその崇仁という地域でおこなわれてきた”活動”に敬意を払い、これらの”活動”資料を陳列する「学習室」のインスタレーションを設けた。ブロック塀と天板で仕立てられた、文机のような陳列台の前には座布団が敷かれ、腰を据えて一つひとつの資料をじっくり学習するよう促す陳列スタイルだ。置かれていたのは、地域の古地図、歴史資料、古今の様子をとらえた写真、ビオトープづくりの地域活動の広報物、有志作成の地域紹介冊子などに加えて、ジェンの作品につながる人間と自然環境の関係性を考察させる文献、また、水平社の本部が崇仁地域に位置したことから、かの有名な部落解放宣言の原本である。これらの文脈が示されたうえで、アーティストや建築家、研究者、活動家が参加した、すべての生物/非生物の平等をめぐるワークショップの記録と成果物も併置された。その成果物のひとつは、活動家がファシリテーターとなり、水平社宣言を更新する試みを、仮に美術の文脈でおこなった宣言文だ。
リサーチなどにベースを置くプロジェクトは、しばしば、どのような展示物としてそのプロジェクトをリアライゼーションするかが問題となる。ワークショップの成果として、そこで経験されたプロセスを言葉(宣言文)に凝縮するシンプルな出力は、オリジナルの宣言文に込められた相当のプロセスと熱量の事実に応えようとする態度と見えた。人間世界を越え、自然世界を含み入れた「人新世」の時代の平等性を、その土地に根ざして表現すること。大学移転を前に、彼らは声高に自らのスタンスを表明していた。
ところで、ジェンは人間と植物の共存する自らの作品のビジョンを、シダ植物の生殖の特異性をヒントに「エコ・クィア」(クィアな植物とクィアな人間の密接な関わり)とした。種を越えた融合は、クィアネス=周縁性の先端でこそ——。本展と同じ頃、セクシュアル・マイノリティの権利を社会に問いかけたアーティスト達の活動を紹介する「ヒューマンライツ&リブ博物館-アートスケープ資料が語るハストリーズ」(*2)が、京都精華大学ギャラリーフロールで開催されていたこともここで追記しておきたい。こちらでは、1900年代に「アートスケープ」というシェアオフィスを基点に展開された、マルチメディア・アーティスト集団「ダムタイプ」の活動、ドラァグクイーン・パーティ、「エイズ・ポスター・プロジェクト(APP)」や「ウィメンズ・ダイアリー」といったセクシュアリティをめぐる先鋭的なアクティビティが、記録映像、ポスター、フライヤーなどの膨大な資料によって、セクションごとに紹介された。
京都という街は大きくない。90年代のこうしたアクティブな動向は、地理的、人的なネットワークとして、立体的に各方面に継承されており、このふたつの展示間に補助線を引くことも可能だろう。そのことは、アートと民主主義をめぐる公共性を、この都市でアップグレードしていくことの可能性を示している。
*1――その奪還の様子については、フランスの庭師/思想家のジル・クレマンが、植物が荒れ地(放棄された土地)でどのような段階的ふるまいを見せるかについて、「動いている庭」という概念を提唱しながら記述したものを参照してみてほしい。ジル・クレマン『動いている庭』山内朋樹訳(みすず書房、2015)
*2――2018年に森美術館で開催された資料展「MAMリサーチ006:クロニクル京都1990s:ダイアモンズ・アー・フォーエバー、アートスケープ、そして私は誰かと踊る」のための調査を発展させ実現された展覧会。