監獄の芸術家、ティン・リンとミャンマーの政治
ミャンマーを代表するアーティスト、ティン・リンの日本で初めての個展が、2019年6月17日~29日銀座メディカルビル1階にあるShinwa ARTEXのギャラリーで開催された。ティン・リンは、2017年に森美術館と国立新美術館で開催された「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」に出品されていたので、すでに見ている人もいるだろう。
今回の展覧会は、ロンジー・プロジェクトと題された最近の作品を中心にした展示。ロンジーとは、巻きスカートにも似た民族衣装に用いられるミャンマーの伝統的な布である。ティン・リンによれば、ロンジーはミャンマーの男女の不均衡を象徴的に示すものだ。たとえば、ロンジーは伝統的に男女分別して洗濯することを求められてきた。女性のロンジーは男性の運気を落とすものと考えられていたからだ。
今回の展覧会では、このロンジーを素材として用いてつくられた平面作品と大きな立体作品が展示されている。平面作品には、女性の顔が描かれ、その横にロンジーにまつわるコメントが文章で書かれている。そのコメントから、ロンジーがどのようにジェンダーの不均衡を日常的に生み出しているのかを読み取ることができる。
立体作品のほうは、ヤンゴンで展示したときには、急進派仏教徒や守旧派から総攻撃を受け、フェイスブックには3000以上のコメントが寄せられ、ついには閉鎖に追い込まれたらしい。ブッダの顔に女性のロンジーを巻き付けたようにも見えたために、不敬であるという批判を受けたのだ。実際には女性の顔にロンジーを巻き付けた作品であり、ブッダの顔というのは誤解である。東京の展示では、女性であることを明らかになるように工夫がなされていた。けれども、この一件だけでも、ティン・リンの作品がミャンマーにおいて持っている政治的な力を確認することができる。
ティン・リンは、「監獄の芸術家」として知られている。彼は、ミャンマーの軍事政権下で1998年から2004年まで、反政府活動の容疑で刑務所に収監されていた。収監前から地下政治運動に関わる一方で、アーティスト、パフォーマーそして俳優として活動していたティン・リンは、獄中でも密かに作品制作を続けた。囚人服の布の上に注射針で政府批判の絵を描き、枕の中、ベッドの下、そして堀った穴などに隠し、機会を見てはすべてを刑務所外に送り続けたのである。今回の展示では、その活動の全貌を紹介するために、この囚人服の布にブラシで描かれた平面作品が展示された。
ティン・リンを「監獄の芸術家」と呼ぶとき、想起されるのは監獄の思想家、イタリアのマルクス主義者アントニオ・グラムシである。グラムシは、1926年ムッソリーニのファシスト政権に逮捕され、その後10年以上監獄生活を余儀なくされた。しかし、投獄されている間もグラムシは精力的にノートを取り続け、29冊もの「獄中ノート」を残した。
獄中の思想家グラムシとティン・リンには、共通点がある。それは、日常的に死に直面し、絶望的な状況にある者のみが持つことができる独特のオプティミズムである。「知のペシミズム、意志のオプティミズム」とはグラムシがつねに参照したロマン・ロランの言葉だが、ティン・リンの作品のなかには、不思議なユーモア、奇妙な明るさがふと垣間見える。監獄の中で縛られ、時に過酷な強制労働に従事している人の表情にさえも、あるいはロンジーに代表され社会から疎外されている女性の表情にさえも、「意志のオプティミズム」とでも呼ぶほかはない希望が描かれている。
ミャンマーは、現在日本にとってますます重要な国になりつつある。長く軍事政権が続いたミャンマーも2010年代に入ると民主化が始まり、いまでは一部で「アジア最後のフロンティア」と呼ばれるほどだ。そして、日本企業が進出するのに呼応するかのように日本で暮らすミャンマー人がこの間急増している。
例えば、2019年7月の最新の統計によれば、新宿区における在日外国人のうち、ミャンマー人は2033人。中国、韓国、ベトナム、ネパールに次いで在日外国人としては、なんと5番目の人数である。高田馬場駅周辺には、ミャンマー人コミュニティがあり、食を中心に個性的な文化を東京に根付かせ始めている。日本全体でも2万4000人ものミャンマー人が生活をしている。
民主化がなんとか始まったとはいえ、ロヒンギャ(ミャンマーのラカイン州に住む人々)に対する掃討作戦・虐殺をはじめ、まだまだミャンマーの民主化の道は険しい。今回のティン・リンの本格的な個展は、あまり知られていないミャンマーの現代美術の状況だけではなく、日本ではほとんど紹介されたこなかったミャンマーの過酷な政治の歴史、そして、現在の状況を伝える貴重な機会でもある。この展覧会が、ミャンマーの政治や文化の問題をより深く考えるきっかけになることを強く期待する。