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ナガサキは彫刻家に何をもたらしたのか。小田原のどか評「森淳一 山影」展

水や泡をモチーフとした流動的な木彫や骸の顔を持つ三位一体像をはじめ、近年では人形(ひとがた)の作品も手がけてきた彫刻家・森淳一が、ミヅマアートギャラリーで4年ぶりとなる個展を開催している。森の出身地である長崎の金比羅山をモチーフにした新作を中心に据えた本展から読み解けるものとは何か。彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかが考察する。

文=小田原のどか

会場風景 撮影=宮島径 ©MORI Junichi Courtesy of Mizuma Art Gallery

ナガサキのあとに彫刻はつくれるのか

 美術批評家、ハーバート・リードは『彫刻とは何か』において、彫刻は長く人間の肖像をその主題とし、風景はほとんど扱われてこなかったと指摘している(*1)。なるほどリードが言うように、彫刻家はある意味で屈託なく人体をつくり続けてきた。しかし、森淳一はそういった既存の彫刻家とは一線を画す。なぜなら彼は「ひとがた」をつくることへの抵抗を長く持ち続けてきた作家であるからだ(*2)。

 森は、最初期は大理石を素材に、近年は木、セラミック、さらに油彩画も取り込みながら、「作品の内部と外部は交換可能」(*3)とすらされるような地点を求めてきた。そんな森の彫刻に人の姿が認められたのは《coma》(2004)からである。ダ・ヴィンチやハンス・ベルメールの素描や挿図から着想したそれまでの作品群とは異なり、《coma》は島原での展示をきっかけに、森が生まれ育った長崎市と関わりが深い聖母マリア像を扱ったものだ。とはいえ本作では、人体細部の再現ではなく、あくまで空白を内包する外郭のかたどりが重視されていた。つまるところ聖母マリアという主題は《shadow》(2011)において決定的なものになったように思われる。《shadow》のモチーフは、浦上天主堂の「無原罪の聖母像(通称・被爆マリア)」である。

 原爆によって石英の瞳と木製の体を失った聖母マリア像は、1990年に浦上天主堂に戻り秘蔵されていたが、2005年に一般に公開された。森はこの被爆マリアを本来の木彫りではなく、セラミックによって再現した。火球が放つ熱線と衝撃波から現在の姿になった像を、再び焼成してかたちづくることを選んだのだ。そのようにして完成した《shadow》は、文字通り「影」を具現化したかのような黒色を帯び、なめらかに光を受け返す独特の表面を備えていた。

 さて、2点の木彫、3点の絵画、石彫、陶彫による新作からなる本展「山影」では、《coma》《shadow》に続き、長崎という主題がより前景化している。本展のタイトルともなっている《山影》(2018)は、長崎市の金比羅山の稜線をかたどったものである。同名の作品が2つあり、ひとつは陶を、もうひとつは黒大理石を素材とする。2つの《山影》は、とくに《shadow》において顕著になった光と影という主題がより先鋭化された作品でもある。

展示風景より、手前が黒大理石の《山影》(2018) 撮影=宮島径 ©MORI Junichi Courtesy of  Mizuma Art Gallery

 《山影》の英題は「portrait of the mountain」、山の肖像を意味する。つまり森は風景を肖像化したのだ。この混交にはさらに興味深い背景がある。《山影》制作の発端は聖母子像「ピエタ」であり、黒大理石の《山影》には聖母マリアがまとう衣服のドレープが重ねられたという。つまりportrait of the mountainとは、聖母マリアの肖像とも言い換えることができる。そしてここで思い出されるのが、森の代表作のひとつでもある《shade》(2005)だ。ハンス・ベルメールの銅版画がきっかけとなって制作された本作は、肉体の不在によってこそ成立する構成的な衣服・外郭の自律性を捉えたものだった。緩やかな衣服のドレープは《coma》でも認められたが、黒大理石の《山影》ではじめて実現したと言ってよい。

山影(部分) 2018 黒大理石 108.5×124×20cm 撮影=宮島径 ©MORI Junichi Courtesy of  Mizuma Art Gallery

 2つの《山影》は金比羅山を俯瞰でとらえた彫刻だが、他方、油彩画《金比羅山1》《金比羅山2》(いずれも2018)はこの山に分け入った際の光景を薄膜越しに眺め、固定したともとれる作品だ。《宇宙ごっこ》(2018)も含むこれらの絵画群は、絵具という粒子を、木や、石、陶のような素材のひとつとして扱う実践のようにも見える。陶彫の《山影》も近づいて眺めると、際立つのは磁土の粒子だ。

金比羅山 1  2018 キャンバスに油彩 56×43cm 撮影=宮島径 ©MORI Junichi Courtesy of Mizuma Art Gallery

 陶製の《山影》は凹型からつくられるという手順を経ている。黒大理石の《山影》では削り取られた部分が陶でかたちづくられているのだ。金比羅山を扱う2作はそのような鏡像関係にある。では、陶、大理石、油彩画によって森がとらえようとした金比羅山とはどのような山だろうか。長崎市は極端に平地が少なく、埋め立てを繰り返すことで平らな土地をつくってきた都市である。中心街からほど近くに稲佐山、風頭山、金比羅山などの低山が連なるが、原爆の投下後、とくに金比羅山は多くの人の生死を分けたと言われる。

陶製の《山影》(2018) 撮影=宮島径 ©MORI Junichi Courtesy of Mizuma Art Gallery

 この山の片側には浦上天主堂があり、もう片側の裾野には神社仏閣が立つ。原爆の強烈な爆風と熱線はおもに金比羅山の西側に甚大な被害をもたらし、浦上天主堂は一瞬で廃墟と化したが、いっぽうで山の反対側への被害を食い止めもした。森が生まれ育った地域はこの山の西側に位置している。《山影》とはこのような複雑な地形と宗教的背景を有する森の生地の肖像でもあるのだ。

 そして本展のイントロダクションとコンクルージョンをなすのが《無題―徴候1》《無題―徴候2》(ともに2018)だ。本作はいずれも、森のこれまでの作品のなかでもっとも人間に近い姿をした作品であるだろう。同じく少女をかたどった過去作《Sally》(2014)との連続性も見てとれるが、木肌はより人肌に近くなり、象牙でできた口内の歯列がなんともなまめかしい。歯は大規模災害時に、個人識別を行うにあたって極めて重要な組織とされているが、そういった「個」の象徴を彫刻に付与することの意味を考えてしまう。

展示風景より、《無題―徴候2》(2018) 撮影=宮島径 ©MORI Junichi Courtesy of Mizuma Art Gallery

 なにより、サイズはやや異なるものの、構成をほぼ同一にした2体の胸像を見つめていると、これらは「私は見た」という事実を端的に提示する彫刻なのではなかろうかと思えてくる。大理石の眼球に虹彩や瞳孔はないが、見開かれ、何をも映さない白色の瞳には、73年前のあの強烈な閃光が固定されているかのようだ。私は見た、金比羅山の稜線を。かつておびただしい人の生死を分けた山肌を。そこにある木々と土の粒子を。このように、俯瞰と仰望を入れ子にしながら本展は成立していた。

 ところで、森の「ひとがた」への抵抗はどこから来たものだったのか。その答えはおそらく長崎という場所にある。原子爆弾によって一瞬にして肉体が失われ、影だけが残される。そのようなことが起こった場所で、どうして人の似姿を再現できようか。しかし現実には、長崎は彫刻にあふれている。戦後、爆心地には北村西望《平和祈念像》(1955)、富永直樹《母子像》(1995)などの巨大彫刻と、世界各国から寄贈された平和の具象彫刻群が据え置かれ、浦上天主堂には多数の被爆聖像が残置されている。そして各教会ではマリア像が、篤い信仰で守られている。

 森がそれらひとがたの彫刻をどのように見ているかはわからない。しかし、人をかたどることへのためらいを抱えながらキャリアをスタートさせた彫刻家は、長崎という場所を主題とすることで、自身の彫刻のうちに人の姿を回復させてもきた。このような森のありようには、ナガサキのあとで彫刻はつくれるのかという問いと、そのような問いに向き合い続けるひとりの彫刻家の真摯な姿勢を見ることができるだろう。

 ミシェル・セールは彫刻についてこのように述べている。

 「彫像はいつまでも沈黙のままにとどまっているので、ことばとエクリチュールの一神教は、まるで地獄を避けるように、彫像を避け、彫像を排除し、自分の信奉者たちに、偶像を憎み偶像を破壊するように命ずる。〔…〕同様に、歴史的にも伝統的にも、彫刻もしくは肖像についてのいかなる哲学的・包括的な概論も存在しない」(*4)

 浦上天主堂の被爆した聖像の残骸を、平和公園の無数の具象彫刻群を見れば、偶像の破壊と再生の営みは現在においてもなお連綿と続いていることが直ちに理解できるだろう。長崎はいまだ存在しない彫刻の概論をかたちづくる手がかりに満ちている。必要なのは、沈黙する彫刻に言葉を与えていくことであり、そして森のような彫刻家の逡巡に何を見ることができるのか、それを書きとめることである。

金比羅山 2 2018 キャンバスに油彩 56×56cm 撮影=宮島径 ©MORI Junichi Courtesy of Mizuma Art Gallery

*1——宇佐見英治訳『彫刻とはなにか―特質と限界』日貿出版社、1995年。
*2——『MORI Junichi』(ミヅマアートギャラリー、2016)所収の作者の言葉より。
*3——同上。
*4——米山親能訳『彫像―定礎の書』法政大学出版局、1997年。

編集部

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