東京・丸の内の東京ステーションギャラリーで「生誕120年 安井仲治 僕の大切な写真」が開幕した。会期は4月14日まで。担当学芸員は若山満大。本展は愛知県美術館と兵庫県立美術館からの巡回展。
大正・昭和戦前期の日本の写真は、アマチュア写真家たちの旺盛な探求によって豊かな芸術表現として成熟していった。この時期を牽引した写真家の代表格が、安井仲治(1903〜1942)だ。
安井は大阪生まれ。18歳で関西の名門・浪華写真俱楽部に入会。写真家としてまたたく間に頭角を現わし、日本全国にその名が知られる存在になった。38歳で病没するまでの約20年というごく短い写歴のあいだに、じつに多彩な仕事を発表。その作品は同時代の写真家をはじめ、土門拳や森山大道など後世に活躍した写真家たちからも評価されている。
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本展は200点以上の作品を通じて安井の全貌を回顧するもの。回顧展としては20年ぶり。戦災を免れたヴィンテージプリント約140点、ネガやコンタクトプリントの調査にもとづいて制作されたモダンプリント約60点のほか、様々な資料を展示することで、安井の活動を実証的に跡づけ、写真の可能性を切りひらいた偉大な作家の仕事を現代によみがえらせる試みだ。展示は年代順に5つの章で構成される。
第1章では、1920年代当時に流行した絵画に近い風合いを持つ「芸術写真」を反映した作品が並ぶ。安井もそのひとりであり、様々な技法を駆使した。ここで注目したいのは油性の顔料で描画する「ブロムオイル」だ。これは、特殊な薬品で処理した印画紙にインクをのせることによって独特の表情を与えるもの。手の痕跡を加えることで、より自分の意図した像へと近づけた。
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2〜4章は、日本の写真界が熱を帯び、「芸術写真」から「新興写真」へと移行していった1930年代にフォーカスしたものだ。
第2章の作品からは、写真にしかできない表現を追い求めた安井の実験精神が読み取れる。安井は1931年に大阪中之島公園で行われたメーデーを撮影し、様々な作品に展開した。例えば《歌》はひとりの男の顔にクローズアップしたものだが、じつは群像写真からごく一部だけをトリミングし、反転させたものだということがコンタクトプリントからわかる。
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また《凝視》は、3枚のネガをトリミングや反転することで生み出された複雑な作品。本展ではコンタクトプリントを並べることで、制作過程がつまびらかにされている。
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第3章のキーワードは「半静物」だ。これは安井が独自に編み出した手法で、撮影場所にある「静物」を即興的に組み変え、作品にするというもの。たんなる画面構成ではなく、調和と不調和、作為と自然の関係なども射程に含んだものだという。
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続く第4章はシュルレアリスムとの関係が紹介される。安井は、30年代にシュルレアリスムを取り込んだ前衛的な写真に取り組んだ「丹平写真倶楽部」に所属し、指導役を務めていた。半静物から発展するようなかたちでつくられた作品は、複数のイメージを合成するフォトモンタージュをほとんど使っていない。背広や骨格模型など、日常的な要素を組み合わせることで、独自のシュルレアリスティックな世界を出現させたことに大きな特徴がある。なんでもない風景を感性によって組み替え、異様な世界を出現させた。これらは、写真ならではの表現を探ろうとする時代の流れとリンクしている。
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ただし、こうした写真表現をめぐる潮流は、日中戦争の開戦(1937)によって変化する。若山は、この戦争がアマチュア写真家に与えた影響について、「統制による物資不足と撮影場所の制限、そして世間の目」があったと語る。
最終章は、こうした時代に制作された安井の晩年の作品を取り上げるものだ。戦時中の1941年、神戸にはナチスの迫害から逃れた多くのユダヤ人が一時的に身を寄せていた。安井の代表作「流氓ユダヤ」は、彼らを被写体にしたものだ。ただの記録写真ではなく、創作上の意図を持って撮られたこれらの写真。安井が映し取った人々の眼差しは、胸に迫るものがある。
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安井は1941年10月に体調を崩し、翌42年3月にわずか38歳という若さでこの世を去った。本展最後は、安井が最後に誌面で発表した「上賀茂にて」と「雪月花」の連作で締め括られる。これまでの先駆的な表現から一転し、日本古来の侘び寂びを感じさせるようなこれらの作品は、発表当時、周囲の写真家から驚きをもって迎えられたという。しかしそこいはある種の意図があったと若山は語る。
「社会が写真家に同調を求めるなかで、芸術の本質は自分が美しいと思ったものを表現することだという安井の考えが反映されている。芸術に社会的機能や大義名分を求める時制へのアンチテーゼだった」。
短期間のあいだに、様々な技法を使って多様な作品を生み出した安井。本展を通覧することで、安井の世界に対する慈しみの眼差しをたどることができるだろう。
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