2022 FIFAワールドカップの開催地として注目を集めているアラビア半島の国・カタール。その面積は日本の秋田県とほぼ同程度であるものの、世界有数の石油や天然ガス資源に恵まれて莫大な富を築いており、ここ数十年は急成長を遂げてきた。
そんなカタールの文化芸術分野における主な取り組みとしては、同国の文化的財産を保護・発展させるために2005年に設立された政府機関「カタール・ミュージアムズ(Qatar Museums)」によって行われている、美術から舞台芸術、ファッション、映画、料理に至るジャンルをカバーする年間文化行事プロジェクト「カタール・クリエイツ(Qatar Creates)」が挙げられる。
カタール・ミュージアムズの会長を務めているシェイカ・アル=マヤッサ・ビン・ハマド・ビン・ハリーファ・アル=サーニーは、カタールの現首長の妹であり、2012年の「ArtReview Power 100」ランキング12位に選ばれるなど、アート界でもっとも影響力のあるひとりだとされている。ブルームバーグの2014年の記事によれば、彼女の年間美術品購入予算は10億ドル(当時の為替レートでは約1050億円)に及ぶと推定されており、同年度日本の文化予算(1036億円)を上回る金額だ。
カタール・ミュージアムズは現在、カタール国立博物館、イスラム美術館、マトハフ・アラブ近代美術館、3-2-1カタール オリンピック・アンド・スポーツ博物館といった4つの博物館・美術館のほか、様々な展示スペース、パブリック・アート、遺跡などを運営・管理している。現地取材を通して見えたその様子を紹介したい。
カタール国立博物館
1975年、旧カタール国立博物館(Qatar National Museum)はペルシャ湾のアラブ諸国における初の博物館としてドーハに開館。カタールの元首長アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーの旧アミリー宮殿を囲んで建てられた同館は、建築の老朽化などにより2015年に閉館。19年にはその跡地に新たな国立博物館(National Museum of Qatar)が誕生した。
新館の建物を設計したのは、プリツカー賞受賞の建築家ジャン・ヌーヴェル。カタールの砂漠で見られる薔薇のような形状をした石「砂漠のバラ」から着想を得たデザインは、無数の円盤状の「花びら」が複雑に組み込まれた屋根が特徴的であり、カタールの文化や風土をオマージュしている。
カタール・ミュージアムズの展覧会ディレクターであるシェイカ・リーム・アル・タニは報道陣に対し、旧館は「(カタールの)人々が自分たちの文化が保存されているのを目の当たりにし、展示スペースでそれを探索できるようになった初めてのものだった」と振り返りつつ、新館では元の建築様式に復元された旧宮殿のみならず、常設展示を通してカタールの歴史を探求することができるとしている。
館内では、11の展示室にわたって常設展示が行われている。史前の植物や動物の化石、考古遺物、数世紀にわたってカタールと世界をつなぐ主要な役割を担った真珠産業にまつわる宝石や衣装、石油や天然ガスが発見されて以来の都市開発に関する資料などが、大規模な映像インスタレーションとともに展示されており、先史時代から現代までカタールの発展の軌跡をたどることができる。
イスラム美術館
2008年にドーハのコルニーシュ海岸通りの埋立て人工島に開館したイスラム美術館(Museum of Islamic Art)は、プリツカー賞受賞の建築家I.M.ペイが設計し、カタール・ミュージアムズの発足以来オープンした最初の施設。当時ペルシャ湾のアラブ諸国では最大規模を誇った同館は、18ヶ月のリニューアルを経て今年10月に一般公開を再開した。
イスラム教の礼拝堂からインスピレーションを得てデザインされた同館についてリーム・アル・タニは、「イスラム世界の幅広い文化と、それがどのように相互に関連し、どのように私たちを導いていくのか、その重要性を人々に示すためにオープンした、私たちにとって本当に重要な美術館だ」と話しつつ、今回のリニューアルオープンについて次のように述べている。
「私たちは、この美術館のなかにある物語を、鑑賞者を念頭に置いて、もう一度探ってみたかった。美術館からもっと多くのことを引き出し、コレクションを世界と結びつけたい。リニューアル以前よりさらに魅力的な博物館になっていると思う」。
同館では、7世紀から20世紀までのイスラム芸術のあらゆる分野を網羅するコレクションが収蔵されている。中東諸国はもとより、はるかスペイン、中国など3つの大陸から収集した陶磁器、金属、ガラス、象牙、織物、木材、宝石なども含まれる。
常設展示室では、既存作品に加え、新たに収集された作品を含む1000点以上の作品が展示。7世紀のイスラム教の聖典『コーラン』の手稿をはじめ、様々なイスラムの伝統的な工芸品が並ぶ。また、「東南アジアのイスラム」に関する新スペースは、イスラム世界とそれ以外の世界の商品取引や思想の交流に関する展示を通し、異文化のつながりを紐解くものだ。
マトハフ・アラブ近代美術館
ドーハ市街地から車で約30分の「エデュケーション・シティ」に、カタール唯一の近代・現代美術館「マトハフ・アラブ近代美術館(Mathaf: Arab Museum of Modern Art)」が存在している。「マトハフ」とは、アラビア語で「博物館・美術館」を意味する言葉。2010年に開館した同館は、世界最大規模のアラブ近代・現代美術のコレクションを擁しており、1890年代から現在までの約9000点の作品や同地域のアーティストに関する豊富なアーカイブ資料を収蔵している。
リーム・アル・タニは、同館の重要性について次のように説明している。「ひとつは、アラブの近代・現代美術を記録すること。もうひとつは、アラブの現代美術の動き、そしてすべてのアラブ美術がいかに相互に関連しているかを、すべての人に知ってもらうことだ」。
カタール・ミュージアムズのステートメントによると、同館は過去10年間、教育プログラム、会議、出版物を通じて、地域全体の美術関係者や学者が集う場所へと発展してきたという。
カタールは、石油や天然ガスの採掘で得られた豊富な資金の恩恵を受けて、湾岸地域のほかの石油王国と同様、ほぼ上限のない予算を投じて、驚くべき博物館・美術館の数々を建設してきた。しかし、いかにより多くの地元の鑑賞者を美術館に呼び寄せ、文化や美術に対する興味を引き出せるのかという課題も、今回の取材において浮かび上がった。
その疑問に対してリーム・アル・タニは、「企画制作(programming)は私たちにとって非常に重要だ」と答えた。「また、異なるオーディエンスのニーズを理解し、彼らが実際にどのように私たちの施設を利用しているか、そういう需要に対応するのもとても大事なことだ」。
また、マトハフ・アラブ近代美術館の館長ゼイナ・アリダは、アートやアートコミュニティに関心の高い地元の鑑賞者が多くないという課題を踏まえ、鑑賞者の幅を広げる必要性や、パブリック・プログラムに注力する重要性を主張する。
カタールでのパブリック・プログラムの現状と、今後の新たな美術館計画については、後編でお届けしたい。