2020年の開催を予定しながら、新型コロナウイルスの影響により一時は中止となっていた東京都美術館の「ボストン美術館展 芸術×力(げいじゅつとちから)」がついに開幕した。会期は10月2日まで。
1870年、ボストン市民の有志により設立され、1876年に開館したボストン美術館。古代エジプトから現代美術まで幅広い作品を収集しており、そのコレクション点数は50万点近くにおよぶ。日本美術のコレクションも潤沢で、その数は約10万点。今回は日本美術の名品とともに、全7つの部門よりエジプト、ヨーロッパ、インド、中国など様々な地域で生み出された約60点の作品が来日した。
担当学芸員の大橋菜都子は展覧会のコンセプトを次のように語った。「芸術を通して各自体における権力者の力を浮き彫りにし、その力を示すために各作品がいかに使われてきたのかを追う展覧会だ。時代や国によって異なる、権力の表され方に注目して見ていただけると嬉しい」。
全5章のうちの最初の章である第1章「姿を見せる、力を示す」の冒頭では、大橋の言葉を端的に表すように、ロベール・ルフェーヴェルと工房による《戴冠式の正装をしたナポレオン1世の肖像》(1812)と、アンソニー・ヴァン・ダイク《メアリー王女、チャールズ1世の娘》(1637頃)の2枚の絵画が並び、それぞれ異なるかたちで描かれた「力」を見ることができる。
全身が描かれたルフェーヴェルのナポレオンの肖像画は、シンプルにその姿そのものが「力」の象徴だ。頭の月桂冠は古代ギリシアなどで競技の勝者などに与えられた冠であり、歴史とのつながりを示すことでその「力」の正統性も示していることがわかる。
いっぽうのヴァン・ダイクによって描かれたメアリー王女は、スチュアート朝の王であるチャールズ1世の娘だ。6歳ごろの姿を描いたといわれる本作だが、娘の姿を描いて残すこと以上に、国同士の結びつきを深める外交戦略のための、「力」としての婚姻に役立てられたと思われる。
日本にあれば国宝級の逸品であったと目される《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(13世紀後半)も見逃せない。武士の世の幕開けを告げた平安時代の平治の乱を描いたこの絵巻は、藤原信頼と源義朝によって襲撃され、後白河院が八葉車によって連れ去られた事件を描く。このクーデターのキーマンである天皇という権力は、日本美術の伝統に則りあからさまに表されてはいない。先に紹介したナポレオン像とは異なる、描かれないからこそ表現される「力」を感じることができるだろう。
ほかにも古代エジプトでは王そのものを表していた《ホルス神のレリーフ》(紀元前1971-紀元前1926)や、所有者の武勇を表す鎌倉時代の長船長光による《太刀 銘長光》(13-14世紀)、皇帝一族であることが即座にわかる明黄色をした清の乾隆帝の上衣《龍袍》(1736-1796)など、様々なかたちによって表現された「力」をこの章では見ることができる。
第2章「聖なる世界」は、地上に対しての支配的な力を持つとされた天上の世界や神々の姿をモチーフとした作品を扱う。地上の施政者たちは、ときにそれらの世界とのつながりを示すことで「力」を示してきた。
ニッコロ・ディ・ブオナッコルソの《玉座の聖母子と聖司教、洗礼者聖ヨハネ、四天使》(1380頃)は、まばゆいばかりの金があしらわれており、超越的な「力」が誰の目にも明らかな美によって表現されていることがわかる。
エル・グレコの《祈る聖ドミニクス》(1605頃)は、ドミニコ会として知られる「説教者修道会」を創立した聖ドミニクスを描いた作品。エル・グレコらしいモノクロームの色調や力強い筆致が、その敬虔な祈りの姿に深みを与えており、当時のスペインでの信仰のあり方をいまに伝えている。
《大日如来坐像》(1105)は、平安時代に栄華を誇った藤原氏たちに広く受け入れられた、大仏師・定朝の系譜に連なる様式を持つ。貴族たちの美意識を存分に取り入れたその姿は腕輪などの装飾が目を引き、さながら統治者のような威厳を醸し出している。
第3章「宮廷のくらし」では、権力者たちがつくりあげた宮廷生活が権力を示すものとして機能し、芸術というかたちで広く称賛を集めてきた歴史を追う。
ジャン=レオン・ジェロームの《灰色の枢機卿》(1873)はリシュリュー枢機卿が使っていた宮殿の大階段を描いた作品で、臣下や聖職者がうやうやしく枢機卿にお辞儀をするなか、修道士がそれを気にもとめず本に熱中している様子が描かれている。枢機卿のもっとも重要な助言者であり、影の権力ともいえる聖職者の姿を描いた作品であり、宮廷のなかの力関係が伺い知れる。
オスカー・ハイマン社がマーカス社のために製作した《マージョリー・メリウェザー・ポストのブローチ》(1929)は、シリアル産業で莫大な富を築いたチャールズ・ウィリアム・ポストの娘、マージョリー・メリウェザー・ポストのコレクションだったもの。事業を受け継ぎ、世界でもっとも裕福な女性のひとりといわれた彼女は、宮廷由来のジュエリーをコレクションした。17世紀にインドで彫刻を施された60カラットのエメラルドが特徴的なこのブローチは、かつて特権階級にのみ許されていた豪華な宝飾が、実業家たちの手に移っていった時代を象徴しているともいえる。
第4章「貢ぐ、与える」では、統治者同士や、統治者と非統治者間における贈答品や貢ぎ物に焦点を当てる。
イングランド女王・エリザベス1世への贈り物、あるいは女王からの贈り物であったと考えられる《銀の水差しと水盤》(1567−68)は、伝統的に宮廷の祝宴に関わる器だった。水差しにはノルマン朝時代からの歴代国王の略系図が、また水盤には旧約聖書の13の物語が表されており、王位の継承と宗教というふたつの「力」がそこに見て取れる。
狩野永徳によるものと伝わる《韃靼人朝貢図屏風》(16世紀後半)も興味深い。中国の皇帝一族の宮廷を様々な民族の使節たちが訪問する様子を描いた本作は、貢ぎ物を持って集まってきた使者たちの姿を描くことで、為政者の権威を強調する「王会図」である。
第5章「たしなむ、はぐくむ」でもっとも注目を集めるのは《吉備大臣入唐絵巻》(12世紀末)だろう。展示室をコの字型に囲むように展示されたこの長大な絵巻。奈良時代に遣唐使として唐に渡った吉備真備が、かつて唐の地で客死しながらも鬼の姿となって現れた阿倍仲麻呂の力を借りて、皇帝の難題を次々と解決していく物語が表されている。本作は後白河院の周辺にて制作されたという説が有力であり、東アジアにおいて圧倒的な力を持ち続けた大陸の皇帝に対する、日本の朝廷の対抗意識も感じとることができる。
本展の最後を締めくくる増山雪斎《孔雀図》(1801)は、本展に合わせて修復が行われ、鮮やかな孔雀や鳥たちの姿を蘇らせたのちに里帰りを果たした作品だ。雪斎は伊勢長島藩の五代藩主を務めた大名でもあり、本作は権力者が自ら文人として書画を制作し、その欲求を満たしていたことをいまに伝える。
時と場所が違えども、人類の歴史のなかでつねに存在した「力」の勾配。様々なかたちで表現されてきたその「力」を一堂に見ることで、往時の「力」のあり方のみならず、ひいては現代における「力」とは何か、といったことにまで思いを馳せることができる展覧会だ。