モーゼスおばあさん(グランマ・モーゼス)の愛称で親しまれるアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス(1860~1961)。その生誕160年を機に特別に企画された大規模回顧展「グランマ・モーゼス展―素敵な100年人生」が世田谷美術館で開幕した。本展は全国5都市の巡回展。
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人生の大半をアメリカの片田舎の農婦として過ごしていたたグランマ・モーゼスだが、72歳のときに次女の勧めで刺繍絵の制作に取り組みはじめ、作品を友人や家族にプレゼントしていたという。しかしながらリウマチが悪化したことで刺繍絵が難しくなり、妹の勧めによって75歳になってから本格的に絵を描き始める。これがグランマ・モーゼスの人生を大きく変える転機となった。
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1978年、モーゼスが78歳のとき、地元フージック・フォールズのドラッグストアに置いた作品をニューヨークのコレクター、ルイス・J・カルドアが「発見」し購入。翌年にはニューヨーク近代美術館のメンバーズ・ルームで限定的に公開された展覧会「現代の知られざるアメリカの画家たち」に作品3点が出品され、美術界におけるデビューを飾る。
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80歳になると初の個展「一農婦の描いたもの」をギャラリー・セント・エティエンヌN.Y.で開催した。これは、モーゼスの芸術性の高さを見出したオットー・カリアー(戦前ウィーンで画商を営む。エゴン・シーレのレゾネも刊行)の企画によるもので、その後もカリアーはモーゼス作品普及において中心的な役割を担った。ここからモーゼスの人気は一気に広がりを見せ、101歳で没して以降も現在に至るまで、多くの人々に愛される存在となる。
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本展「グランマ・モーゼス展―素敵な100年人生」は、そんなグランマ・モーゼスの画業と人生を、絵画約80点を含む約130点の作品・資料でたどるものだ。展示は第1章「アンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼス」、第2章「仕事と幸せと」、第3章「季節ごとのお祝い」、4章「美しき世界」の4章構成。企画を担当した世田谷美術館学芸員の遠藤望は「作品だけでなく、人生を展示したいと考えた」と振り返っている。
ニューヨーク州とヴァーモント州にまたがる田園と、その土地の人々の日常を描いたモーゼス。第1章では、98歳で描いた《グランマ生誕の地》をはじめ、モーゼスに縁のある場所や人生の転機となった作品、絵画の前に手がけていた刺繍絵などが並ぶ。また、ここではアメリカ国外初公開となるモーゼスの作業テーブルにも注目したい。もとは花台としてモーゼスの叔母から贈られたというこのテーブル。その足部分には色鮮やかな風景が描かれており、モーゼスの愛着が見て取れる。同じく制作時に使っていた空き瓶や蓋、絵筆などからは、その素朴な人柄が感じられるだろう。
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第2章以降は、作品がテーマごとに紹介される。2章「仕事と幸せと」では、当時の多くの人々の集ったキルトや石鹸、ロウソクづくり、作物の収穫、結婚式や引っ越しなど、農村の生活場面の数々が主題となっている。また、モーゼスが実際に使用していたキルトや、孫のためにつくったワンピースなど、モーゼスの私生活が垣間見える資料にも注目したい。
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第3章「季節ごとのお祝い」では、「毎日ほとんど変化がないけれど、季節だけは移ろう」と語ったモーゼスが描く、特別な季節の行事を展覧する。木から採取した樹液を煮詰めてシロップや砂糖をつくる「シュガリング・オフ」や感謝祭、クリスマスなど、見ているこちらもワクワクするような作品が並ぶ。
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終章となる第4章「美しき世界」には、豊かな自然を題材とした作品が並ぶ。なかでも注目したいのは、1948年に制作された《美しき世界》だ。うっすらとピンクがかった空と農村風景を描いた本作。本展を担当した世田谷美術館学芸員・遠藤望は「グランマ・モーゼスの自然観が表された作品だ」と評する。またここではモーゼスが101歳を目前に描き、結果的に絶筆となった《虹》が展示の最後を飾る。
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モーゼスが絵画に取り組み始めたのは、大恐慌や第2次世界大戦、そして戦後へと移り変わるまさに激動の時代。そうした時代において、美術はより先鋭的になっていき、新たな表現が次々と生まれた。しかしながらモーゼスはそうした美術界の動きと同調することはなく、ひたすらに古き良きアメリカの農村風景を描き続けた。そうした自然と暮らすモーゼスの作品が、アメリカの人々の心をつかんだのだ。
モーゼスが生きた時代と比較し、さらに変化のスピードが早くなった現代において、その作品は我々に何を投げかけるのか。会場にはモーゼスの言葉も随所に展示。じっくりと向き合いたい展覧会となっている。
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