ソ連支配下の共産主義国家チェコスロヴァキア(現・チェコ共和国)に生まれ、後にアメリカに亡命し国際的な評価を得た絵本作家、ピーター・シス。その日本初となる展覧会「ピーター・シスの闇と夢」が練馬区立美術館で開幕した。
本展では、故郷の思い出を描いた作品をはじめ、子供たちのためにつくった絵本や、冒険の物語、偉人たちの伝記絵本など、絵本原画、アニメーション作品、オブジェ、構想メモ、スケッチ、日記など多様な作品や資料を含んだ約150点を通して、シスの芸術を俯瞰する。
本展の担当学芸員・小野寛子(練馬区立美術館)は、「ピーター・シスは、いわゆる『ザ・絵本』の作家というよりも、いろんな芸術性も持っている作家。絵本好きの方は前から知っているかもしれないが、一般の方にはそんなに知られていない。また『絵本作家』としてひとくくりにされるよりも重層的な側面があるので、そこを知ってもらいたい」と語っている。
会場は、「『かべ』のなか」「自由の国」「子どもたちのために」「探求の旅」「夢を追う」の5章構成。シスが歩んできた人生で見た自由、夢、真実、愛、冒険、探求、孤独などを、各時代の代表作を通じてたどる。
シスは1949年にチェコスロヴァキアのブルノに生まれ、3歳から約30年間を首都プラハで過ごした。当時は共産党政権の支配により人々は自由が奪われ、国外へ出ることや情報を得ることなどが禁止されていた。
本展は、そんなシスがアメリカに移住したあと、幼い頃を振り返って故郷への思いを描いた2冊の絵本『三つの金の鍵─魔法のプラハ』と『かべ─鉄のカーテンのむこうに育って』から始まる。故郷を離れることとなったシスだが、自分の原点を忘れずに表現の自由を奪った社会への批判を込めた作品だ。
1982年、ロサンゼルスで2年後に開催される夏季オリンピックの映像制作のため、シスはアニメーターのひとりとして招待され、ロサンゼルスに移住。しかし、翌年にチェコスロヴァキアを含めた東欧諸国とソ連がオリンピックをボイコットし、シスは帰国するよう命じられたものの、母国に戻らずアメリカに亡命することを決意した。
初めて様々な人と文化が共存し、喜びも悲しみも自由に表現できる社会で過ごすこととなったシス。新たな国でひとり生きることが孤独ももたらしたが、この時期に描かれた『The Little Singer』や『ずーっとしあわせ』などの作品では、明快な色彩が用いられ、絵本作家としての新しい道を切り開いた。
アメリカで市民権を得た翌年の1990年、シスはテリー・ライタと結婚し、ふたりの子供を授かった。第3章では、4歳から6歳までの息子をモデルにした「マットくん」シリーズや、6歳の娘の日常を描いた「マドレンカ」シリーズなど、子供たちのためにつくられ、子供たちも楽しめる絵本を紹介している。
第4章には、旅や冒険をテーマにした数々の作品が集まる。外の世界に出ることが禁じられた国に生まれ育ったシスは、子供の頃から見知らぬ土地を旅することに憧れ、地図を眺めて美しい場所を想像することに夢中していた。この章では、チェコスロヴァキアの探検家ヤン・ヴェルズルや、ロビンソン・クルーソー、チベットを巡った父などを描いた絵本が並んでいる。
2012年、63歳のシスは国際アンデルセン賞画家賞を受賞。その授賞式のスピーチでは、自分の絵本が子供たちと夢追い人をつなぐ「橋」であり、絵本を通じて自分や夢を信じることの大切さを子供たちに伝えたいということを語った。その思いが込められたのが、長年手がけてきた偉人たちが主人公の伝記絵本だ。
第5章では、新大陸を発見したクリストファー・コロンブスや、宇宙の真理を追求したガリレオ・ガリレイ、教会の圧力を恐れながらも、生物の進化への研究に没頭したチャールズ・ダーウィン、戦争や事故に屈せず空を飛び続け、生きることの意義を探求したアントワーヌ・サン=テグジュペリなどの人物が偉業を成すまでの過程に迫った絵本作品が展開されている。
小野は、シスの原画とその作品のテーマ性が本展の大きな見どころだとしている。「シスの原画では、印刷で分からない細やかなタッチや鮮やかな色を見ていただける。また、夢を諦めないことや、表現の自由を追求すること、勇気を持って未知の世界へと旅立つことなど、シスの作品に通底しているものも、全体から深い愛情のようなかたちで見られると思う」。
また、自由を守るために世界中の人々が立ち向かって活動しているいま、本展を開催する意義について、小野は次のように述べている。
「まず、ピーター・シスという作家とその芸術性や信念を皆さんに広く知ってもらいたい。自由を求めるために戦ってきた人や、いまも戦っている人のことを考えると、このようなことを子供たちに向けてわかりやすい言葉でありながらも非常に重厚な感情で伝えてくれるシスの作品を見てもらいたい。また、大人たちにとっても世界情勢に鑑みて考えてもらえるようなきっかけになるとよりいいなと思う。自由は意識していないといつの間にか誰かにとられてしまうかもしれないというような感覚で、思いを馳せてもらうきっかけになれば」。