20世紀を代表する芸術家のひとり、マン・レイ。その長い生涯のあいだに出会った数多くの「女性たち」を手がかりに、その作品世界を総覧する展覧会「マン・レイと女性たち」が、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開幕した。
マン・レイの人生には、恋人からモデル、女優、ダンサー、社交界の貴婦人たちまで、様々な女性たちが登場した。本展では、マン・レイが愛した5人の女性をはじめとする数十人の女性たちに加え、マン・レイのダダ時代やシュルレアリストたちとの付き合い、ファッション写真などにフォーカスしている。
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会場は、マン・レイが移り住んだ土地に応じて「ニューヨーク」「パリ」「ハリウッド」「パリふたたび」の4章で構成。それぞれの時期をさらに17のテーマに分け、写真にとどまらず、絵画、彫刻、オブジェなどジャンルを超えた約260点の作品が揃った。
1890年にアメリカ・フィラデルフィアで生まれたマン・レイ(本名:エマニュエル・ラドニツキー)は、7歳のときに家族とともにニューヨーク・ブルックリンに移住。1913年の夏に3歳年上の詩人アドン・ラクロワと出会い、翌年に結婚。6年間の夫妻生活のなかで、絵画や写真、オブジェなど多彩な表現に取り組んでいった。
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また、1915年にはマン・レイはダダ運動の先駆的な人物であるマルセル・デュシャンと出会い、やがてニューヨーク・ダダの推進者のひとりとなった。第1章「ニューヨーク」では、マン・レイのセルフポートレート写真からレディメイドを組み合わせてつくったオブジェまで、多彩な作品が並ぶ。
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しかし、こうしたダダ時代の作品は当時ほとんど売れなかった。ニューヨークに失望したマン・レイは、1921年にパリへと渡った。
第2章では、マン・レイのパリ時代での活動に注目。渡仏後、デュシャンに紹介された当時のダダイストで未来のシュルレアリストたちのポートレートのほか、同章では、キキ・ド・モンパルナス、リー・ミラー、アディ・フィドランといった後にマン・レイが恋に落ちた3人の女性たちが紹介されている。
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1921年末にパリのカフェで出会った、キキ・ド・モンパルナスと呼ばれる女性は、画家たちが描く肖像画や裸体画のモデルのほか、マン・レイの写真の被写体として名声を博した。7年以上の同棲生活を終えたあと、マン・レイはアメリカから来たリー・ミラーと出会う。写真を学ぶためにマン・レイに近づいたミラーは、3年間にわたってその親密な助手になりながらモデルも務めた。
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自由で独立心も強いミラーは、やがてほかの男性と結婚し、第二次世界大戦中には従軍写真家としても活躍した。ミラーと別れた約3年後、マン・レイはカリブ海の島グアドループ出身のダンサーであるアディ・フィドランと5年間ほどともに過ごした。大戦の勃発に伴ってマン・レイはアメリカに帰国。フィドランはパリに残したが、戦中においてはマン・レイの作品を守り続けた。
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ニューヨークに帰ったマン・レイは西海岸のロサンゼルスに出発する前にジュリエット・ブラウナーと出会い、2人はハリウッドに約10年間を過ごした。第3章では、このブラウナーをモデルにした写真とともに、ハリウッドで知り合ったエヴァ・ガードナーやレスリー・キャロンなどの女優のポートレートを展示。
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「ニューヨークはパリに20年遅れているが、カリフォルニアはさらに20年遅れている」という発言をしていたマン・レイは、パリ時代の作品が軽視され、写真以外の作品は認められなかった。そのため、1951年に夫妻はパリに移すことを決意。パリに戻ったマン・レイは、アメリカにない芸術への敬意を感じ、多彩な作品を意欲的に制作する。
本展の最終章「パリふたたび」では、その晩年に取り組んだ、歌手のジュリエット・グレコや女優のカトリーヌ・ドヌーヴ、彫刻家の宮脇愛子などの女性像や、妻のブラウナーを投影したインク画やデッサン、再制作やレプリカによるオブジェなどが紹介される。
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そのほか、会場にはシャネルのドレスや香水瓶、マン・レイの裸体写真のモデルで知られた画家・彫刻家のメレット・オッペンハイムによるジュエリーなども並んでおり、マン・レイのパリ時代のファッションやトレンドを見ることもできる。
アーティストや文学者、モード界や社交界の人々と広く交流しながら、様々な出会いと恋愛を経験したマン・レイ。その女性像を手がかりに制作の世界を考察する本展をぜひ会場で目撃してほしい。
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