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フランス風景画の変遷をたどる。「風景画のはじまり コローから印象派へ」展が新宿のSOMPO美術館で開幕

フランス・シャンパーニュ地方にあるランス美術館の風景画コレクションから約80点の作品を出品し、フランスにおける近代風景画の変遷をたどる展覧会「風景画のはじまり コローから印象派へ」が、新宿のSOMPO美術館でスタート。本展の見どころを紹介する。

展示風景より、左はジャン=バティスト・カミーユ・コロー《突風》(1865-70)

 フランス・シャンパーニュ地方にあり、19世紀の風景画を数多く所蔵するランス美術館。その風景画コレクションから約80点の作品を選りすぐり、フランスにおける近代風景画の変遷をたどる展覧会「風景画のはじまり コローから印象派へ」が、新宿のSOMPO美術館で開幕した。

 本展では、アシル=エトナ・ミシャロンやジャン=ヴィクトール・ベルタンなど風景画の先駆者たちから、コロー、バルビゾン派、ブーダン、そして印象派のモネ、ルノワール、ピサロまでを5章構成で紹介。19世紀のフランスの風景画の展開を考察する。

 18世紀末から19世紀初期にかけて、フランスの風景画家たちはアカデミックな習慣から離れ、自然のなかに人物を溶け込ませた写実的な風景画を描くようになった。第1章「コローと19世紀風景画の先駆者たち」では、上述のミシャロンやベルタンなどによるこのような革新を紹介しながら、旅をして戸外制作を行った最初の画家のひとりであるジャン=バティスト・カミーユ・コローの画業に焦点を当てている。

展示風景より、左からジャン=ヴィクトール・ベルタン《風景》(1820)、ジョルジェ・ミシェル《森のはずれの藁ぶき小屋(羊飼い、砂州、農家)》(1795頃)
展示風景より、左からジャン=バティスト・カミーユ・コロー《アルバーノ湖の思い出》(1865-70)《柳の近く、小舟で漁をする人》(1870-73)《ワニヨンヴィルの森の小道》(1871)

 ランス美術館はコローの油彩作品27点を所蔵しており、フランス国内ではルーヴル美術館に次ぐ規模を誇る。本展ではそのうちの16点が出品されている。

 イタリアへの旅の記憶をもとに描かれた《イタリアのダンス》(1865-70)では、地中海の海岸を背景に、女性とタンバリンを持っている男性が林のなかでイタリアの舞踊・サルタレロを踊っている様子が描写。現場の記憶だけでなく、画家自身が持つ印象や感動も反映された同作は、コローが自然を詩的に解釈した作品でもある。

展示風景より、左はジャン=バティスト・カミーユ・コロー《イタリアのダンス》(1865-70)

 コローの風景画においても特異な作品である《突風》(1865-70)は、突風にあおられる木々を背景に、荒れた道路の中央に前かがみの農民の姿が描き込まれている。アトリエで制作された作品だとみなされているが、非常に正確な観察に基づいて描かれており、画家の写実的な感覚を生々しく伝えている。

展示風景より、右はジャン=バティスト・カミーユ・コロー《突風》(1865-70)

 第2章では、パリ南東に位置するバルビゾン村に集まった、風景画の改革者たちである「バルビゾン派」の画家たちを取り上げている。

 ロマン主義的な風景画で注目されたテオドール・ルソーは、1836年からバルビゾン村に長く滞在し、バルビゾン派の起源をつくった画家とみなされている。またシャルル=フランソワ・ドービニーはサロンの審査員を務めピザロやモネなどの若手画家を入選させ、その作風はモネにも影響を与えた。ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャは、その力強い筆触や色彩感覚でルノワールなど次世代の画家と影響関係があったと指摘されている画家だ。

第2章展示風景より
展示風景より、左からシャルル・ジャック《放牧地の羊の群れ》(1873)《水飲み場の羊の群れ》(1850-55)

 第3章「画家=版画家の誕生」では、エッチングやクリシェ・ヴェールといった版画技術の進歩を紹介。クリシェ・ヴェールとは、写真技術が確立する以前、デッサン、版画、写真を融合した技術のひとつ。18世紀以前、新聞や雑誌に掲載される複製版画はほとんど彫り師が原画をもとに版を制作していたが、19世紀末にはコローやドービニー、ヨハン・バルトルト・ヨンキントなどの画家はこれらの版画技術を取り入れることで、画家であると同時に版画家でもあることを可能にした。

第3章展示風景より
第3章展示風景より

 続く第4章は本展で唯一、単独の画家で構成された章。ノルマンディー地方に生まれたウジェーヌ・ブーダンは、しばしばノルマンディー沿岸で海景や船、港などの風景を描き、独自の表現を模索した。その空や雲の描写はコローに「空の王者」と称賛され、モネに戸外制作を勧めるなど、印象派の先駆者ともみなされている。

 《ベルク、船の帰還》(1890)では、湿った砂が鏡のように画面下部を明るく照らして空の光を反射する情景が描かれており、《水飲み場の牛の群れ》(1880-95)では、雷雨の到来を予感させる空を背景に牛たちが水飲み場にのんびりとやってくる様子を見ることができる。

展示風景より、左はウジェーヌ・ブーダン《ベルク、船の帰還》(1890)

 ブーダンの日記によると、彼が求めたのは「大空のなかで泳ぎ回ること。雲の繊細さに到達すること。遥か彼方の灰色がかった靄のなかに雲の塊を配置し、青空を輝かせること」だったという。

展示風景より、左からウジェーヌ・ブーダン《トルーヴィルの浜辺》《上げ潮(サン=ヴァレリの入り江)》(1888)

 第5章「印象主義の展開」では、モネやルノワールに加え、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、マクシム・モーフラなど印象派の画家たちが並ぶ。

 モネの《ベリールの岩礁》(1886)は、光と影の強烈な対比を通じ、色彩に対する感覚を極限まで推し進めた作品。1886年秋、ベリールに赴いたモネは一日のうちに同じ構図の作品を何枚も描き、異なる時間帯の光が生み出す色彩に関する研究を手がけていた。こうした研究は、晩年の《睡蓮》などの連作にも至った。

展示風景より、右はピエール=オーギュスト・ルノワール《風景》(1890頃)
展示風景より、左はクロード・モネ《ベリールの岩礁》(1886)
展示風景より、左はカミーユ・ピサロ《ルーヴル美術館》(1902)

 本展について、ランス美術館館長のカトリーヌ・ドゥロは図録で次のような言葉を記している。「『偉大なる様式』から離れ、描法・写実性・迫真性の新しさを探求し、結果として印象派へ到達した画家たちによって、この風景画というジャンルが真に認められるに至った」。

 戸外での風景画制作を行った最初の先駆者たちから、鮮やかな色彩を用いて風景画の様式に大きな変革をもたらした印象派の画家たちまで、それぞれの画家の眼差しを通じてフランスの風景画の変遷をぜひ会場で目撃してほしい。

編集部

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