東京・上野の東京国立博物館で、奈良・三輪山を御神体とする大神(おおみわ)神社にあった国宝 《十一面観音菩薩立像》(8世紀、聖林寺蔵)とともに、ゆかりの仏像や三輪山禁足地の出土品などを展示する展覧会「特別展 国宝 聖林寺十一面観音―三輪山信仰のみほとけ」が開幕した。会期は9月12日まで。
仏教伝来以前の日本では、神は山や滝、岩、樹木等に宿ると信じられ、本殿などの建築や神の像はつくらず、自然のままの依り代を崇拝していた。こうした古来からの信仰が続いていたのが、三輪山を御神体とする大神神社だ。
その後、奈良時代には大神神社に大神寺(鎌倉時代以降は大御輪寺)がつくられ、国宝《十一面観音菩薩立像》や国宝《地蔵菩薩立像》(9世紀、法隆寺蔵)などの仏像が安置された。
本展では《国宝 十一面観音菩薩立像》とともに、 大御輪寺ゆかりの国宝《地蔵菩薩立像》や《日光菩薩立像》《月光菩薩立像》(ともに10~11世紀、正暦寺蔵)を展示。また、古墳時代より続く三輪山の信仰と祭祀の文化を伝える出土品なども紹介する。
展示会場では、本展の主役となる《国宝 十一面観音菩薩立像》が中央に鎮座している。同像は、明治政府の神仏分離の政策により1868年に大御輪寺から聖林寺に移され、現在にいたるもの。奈良の外で展示されるのは初めてとなる。
観音菩薩は日本で古くから信仰を集めてきたが、なかでも顔や腕が複数ある「変化観音」は密教の思想との関係から生み出された。十一面観音もそのひとつで、その名の通り頭上に11の顔があり、すべての人々を救済するようにあらゆる方向を見渡す。現在の《国宝 十一面観音菩薩立像》は計8面のみが残る。
本像は、おもに8世紀後半に用いられた「木心乾漆造り」という高度な技法で制作されている。これは、木から像の顔や体のおおよそのかたちを彫り出し、その上に麻布を漆で貼りつけ、固まったのちに木屎漆と呼ばれるペースト状の練り物を盛り上げて成型するものだ。
仏像の引き締まった表情や、胸や腰の張り、衣の曲線の表現などは、木屎漆という素材は十分に活かした表現といえる。その優れた作風から、奈良の東大寺で仏像制作に携わった工房の手によるものだとされる。
国宝《地蔵菩薩立像》もまた、神仏分離により明治維新後に大御輪寺から法隆寺へと移されたものだ。両手先を除く頭頂から台座蓮肉部までの全容を一材から掘り出した一木彫像ならではの迫力が、太づくりの体躯から感じられる。
《日光菩薩立像》と《月光菩薩立像》も同様の経緯で正暦寺へと移されたもの。両像は使用されている材質や技法も異なり、本来一具ではなかったとみられるが、その作風から平安時代中期より続く三輪山信仰をいまに伝える。
本展ではほかにも三輪山の信仰や祭祀をいまに伝える品々がそろう。古墳時代にまでさかのぼる三輪山の祭祀遺跡から出土した土器や土製品、大神神社に伝わっていた平安時代の《大国主大神立像》や《地蔵菩薩立像》(ともに12世紀、大神神社蔵)、鎌倉時代の祭祀用の木製盾、室町時代の三輪山や大神神社を描いた《三輪山絵図》(16世紀、大神神社蔵)など、そこからは長い歴史のなかで育まれた土地の文化を感じることができるだろう。
かつて、大御輪寺に並んでいた仏像がふたたび一堂に介するだけでなく、三輪山信仰の歴史も知ることができる展覧会となっている。