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2021.4.11

和製ポップ・アートの魔術師。タイガー立石の大規模回顧展が千葉市美術館で開幕

和製ポップ・アートの先駆者のひとりであり、ナンセンスの「コマ割り絵画」シリーズなどで知られているアーティスト・タイガー立石(本名:立石紘一、1941〜1998)。その作品世界を総覧する大規模な展覧会「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」が、千葉市美術館でスタートした。

展示風景より、《富士のDNA》(1992)
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 絵画、陶彫、マンガ、絵本、イラストなどのジャンルを横断しながら独創的な世界を展開したタイガー立石(本名:立石紘一、1941〜1998)。その作品世界を総覧できるのが、4月10日に千葉市美術館で開幕した展覧会「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」だ。

 立石は1941年九州・筑豊の伊田町(現・福岡県田川市)生まれ。武蔵野美術短期大学への進学・上京を期に美術活動を開始し、時代や社会を象徴する人物やイメージなどを多彩に引用して描かれた和製ポップ・アートの先駆け的な作品や、雑誌や新聞に発表したナンセンス漫画の連載などで注目を集めた。

 60年代末から立石はミラノに移住。約13年間、マンガからヒントを得たコマ割り絵画を精力的に制作しながら、デザイナーや建築家とのコラボレーションで数多くのイラストやデザイン、宣伝広告などを手がけた。82年に帰国し、90年以降は絵画や陶彫作品を「立石大河亞」、マンガや絵本を「タイガー立石」の名前で発表を続けた。

展示風景より、《ネオン絵画 富士山》(1964/2009)

 本展では、そんな立石の制作活動を「1961-1969年 虎は世界を駆けめぐる〜絵画から漫画へ」「1969-1982年 ミラノの虎」「1982-1998年 再びの日本〜こっちにタイガー、あっちに大河亞」の3章とともに、プロローグ「田川〜大地の記憶」、インタールード「漫画と絵本の仕事」、エピローグ「水の巻」を加えて紹介する。

 タイガー立石の初期作品では、アメリカのポップ・アートの影響を受けつつ、日本の風土を表したものが多く見られる。例えば《哀愁列車》(1964/1988)では、富士山や旭日旗、蒸気機関車など立石の代表的なモチーフに加え、ポスト、ポスト、皇居の二重橋、三味線を持った歌手など、様々な物語を語ったモチーフが画面のなかに点在している。

展示風景より、《哀愁列車》(1964/1988)

 同作をはじめ、《汝、多くの他者たち》(1964)など数多くの作品では、画面の下部に赤い欄干が描かれている。このモチーフについて、本展の担当学芸員・藁科英也(千葉市美術館上席学芸員)は、「この柵は結界みたいなもので、柵の向こうが絵の世界。現実と絵の世界を結びつけつつ、なおかつ違うということを示す」と語る。

展示風景より、左から《紅虎超特急》《汝、多くの他者たち》(ともに1964)

 1964年に制作されたもうひとつの作品《紅虎超特急》(1964)にも注目したい。同年、中国は新疆ウイグル自治区で初の原爆実験を成功させ、以降立石は虎と原爆の組み合わせを題材に制作を続けた。後の《強行着陸》や《大停電計画》(ともに1965)、《大農村》(1966)などの作品にも、中国の象徴として用いる虎のモチーフが繰り返し出現している。

展示風景より、左は《大停電'66》(1966)

 69年にミラノに移住した立石は、マンガのコマ割りと同様に画面を分割し、物語や時間の要素を取り入れた「コマ割り絵画」シリーズに着手。これらの作品はほかのマンガを引用したものではなく、立石がSFや映画などからインスピレーションを得た独自の物語を構想した。また、言葉を使わず、イメージの変容と場面の展開のみによって成立した視覚的なドラマは、言語の壁を越えて、広く受け入れられている。

展示風景より、《約束の時間》(1970)
展示風景より、右は《Consciouseness About Humanbody》(1975)

 この時期、立石はイタリアの建築・デザイン界からも注目された。第2章では、立石がラウル・バルビエリ&ジョルジオ・マリアネッリ建築事務所とコラボレーションしたポスターや、アレッシィ社やダルミネ社とタッグを組んだTシャツ、カレンダーおよび下絵などを展示。立石の典型的な表現を堪能できるだろう。

展示風景より、手前はアレッシィ社とコラボレーションしたTシャツ

 次の章では、立石が帰国後に制作した代表作でもある、中原佑介によって「大河画三代」と命名された《昭和素敵大敵》《明治青雲高雲》《大正伍萬浪漫》(いずれも1990)が大きな存在感を放つ。平成時代の切り替わりに制作されたこれらの作品では、日本近代の3つの時代を横構図の長大な画面で表現。各時代の著名人をはじめ、政治、経済、社会、生活、文化などに関する様々なイメージが、巻物のように画面右から左へと配置される。これまで立石が蓄えてきたアイデアや思考、体験も含まれたこれらの作品とじっくりと向き合ってほしい。

展示風景より、《昭和素敵大敵》(1990)
展示風景より、《明治青雲高雲》(1990)
展示風景より、《大正伍萬浪漫》(1990)

 1990年代に入ってから、立石は陶彫に関心を抱くようになった。同章では、立石がセザンヌ、デ・キリコ、岡本太郎など国内外の著名な画家たちをモチーフにした陶彫作品を紹介。ひとりのアーティストとその代表作や主要なモチーフを全方位的に構成したこれらの立体作品は、360度どの角度から見ても新たな発見があるだろう。

展示風景より、手前は陶彫作品群

 本展の最後を飾るのが、立石が1992年に制作した絵画《香春岳対サント・ビクトワール山》(1992)。作家の故郷である福岡県の香春岳と、セザンヌが描いたサント・ビクトワール山を重ね合わせた画面の中央に、少年立石と見られる男の子が描かれた作品だ。

展示風景より、《香春岳対サント・ビクトワール山》(1992)

 本作を展覧会の最後の作品として選んだ理由について、藁科はこう話す。「この作品だけは、ほかの絵よりも非常に躍動感を持って、やはり故郷への思いが描かれていると思う。また、(柵の)向こう側で起きていることではあるんだけど、立石のイメージの厳選となったものが集まっている」。

 和製ポップ・アートの先駆者のひとりであり、ユーモラスな作風で作品を精力的に制作し続けたタイガー立石。その作品世界をぜひ会場で堪能してほしい。

展示風景より、左から《七転八虎富士》《松虎富士》(ともに1992)
展示風景より
展示風景より
展示風景より