EXHIBITIONS

大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師

2021.04.10 - 07.04

富⼠のDNA 1992 Courtesy of ANOMALY

昭和素敵⼤敵 1990 ⽥川市美術館蔵

『さかさまさかさ』より原画 1986 個⼈蔵

『とらのゆめ』より原画 1984 個人蔵

Consciousness about Humanbody 1975 Courtesy of ANOMALY

「コンニャロ商会」より原画 1967 Courtesy of ANOMALY

立石紘一のような 1964 高松市美術館蔵

TARO 1996 個⼈蔵(⻘森県⽴美術館寄託)

 タイガー立石の名でも知られるアーティスト・立石大河亞の過去最大規模となる個展「大・タイガー立石展 POP-ARTの魔術師」が開催される。

 絵画、陶彫、マンガ、絵本、イラストなどのジャンルを縦横無尽に横断しながら独創的な世界を展開した立石。1941年、九州・筑豊の伊田町(現・福岡県田川市)に生まれた立石は、大学進学のために上京し、63年の「読売アンデパンダン」展でデビュー。翌年には中村宏(1932年生)と「観光芸術研究所」を結成し、時代や社会を象徴する人物やイメージなどを多彩に引用して描かれたその作品は、和製ポップ・アートの先駆けとして注目を集めた。

 立石は65年からはマンガも描きはじめ、「タイガー立石」のペンネームで雑誌や新聞にナンセンスマンガを連載。60年代末から多くの子供たちが口にした「ニャロメ」という言葉は、赤塚不二夫(1935〜2008)と交流があった立石の造語である。

 マンガの制作が多忙になった69年3月、ミラノに移住。約13年にわたるミラノ時代は、マンガからヒントを得たコマ割り絵画を精力的に制作するいっぽう、デザイナーや建築家とのコラボレーションで数多くのイラストやデザイン、宣伝広告などを手がけた。82年に帰国し、85年から千葉・市原を拠点に活動。90年以降は絵画や陶彫作品を「立石大河亞」、マンガや絵本を「タイガー立石」の名義で発表した。

 立石のいずれの時期の作品も、様々な出来事や観念が地層のように積み重なってつくられたもの。「見る」だけではなく「読む」ことによって、作者がつくり出した世界だけでなく、私たちの思考の回路も多次元に広がることを伝える。

 立石が没後20年、生誕80年を迎える今年に開催される本展では、約200点の作品が一堂に集結。17歳の頃に描いた作品から全長約9メートルの絵巻物《水の巻》、そして遺作まで、立石の多彩な活動を振り返る。