2019年、サザビーズ・ニューヨークの現代美術イヴニング・セールで《叫ぶ教皇の頭部のための習作》が5038万ドル(約55億円)という高額で落札されるなど、マーケットでも高い人気を誇るフランシス・ベーコン(1909〜1992)。その貴重なドローイングの数々が、日本で初公開された。
神奈川県立近代美術館 葉山で開幕した「フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる」(2021年1月9日〜4月11日、ただし1月12日より臨時休館)は、生前のベーコンと深い交流のあったバリー・ジュールのコレクションを一堂に紹介するこれまでにない展覧会だ。
晩年のベーコンと非常に親しくしていたジュールは、亡くなる直前にベーコン自身からこのコレクションのもととなる作品・資料を譲り受けた。来歴に関する議論はあるものの、これらの作品は近年ヨーロッパや中国の美術館で展示され、大きな話題を集めている。
本展では、日本初公開となる作品・資料を含め、ベーコンがシュルレアリスムに傾倒した1930年代の油彩画から50年代より手がけた「教皇」シリーズのドローイング、そして写真や書籍に色をつけたり線を描いたりした作品などを見ることができる。
会場は、バリー・ジュール・コレクションのなかでも「Xアルバム」と呼ばれる一群のドローイングから始まる。もとは写真用のアルバムに綴じられていたこのコレクションは、その表紙と裏表紙に「X」のマークが描かれていたことから「Xアルバム」と呼ばれるようになったという。本シリーズが初めて展示されたのは2000年のことであり、点数はドローイングやコラージュあわせた68枚。このうち57枚と表紙はイギリスのテートに寄贈され、11枚がこのバリー・ジュール・コレクションに残されている。
本展では、この11枚のXアルバムを展示。それぞれ表と裏があり、なかには《ファン・ゴッホの肖像のための連作》(1956〜57)に関連すると思われるものや、上述の「叫ぶ教皇」に関連するイメージも含まれている。
フランシス・ベーコンは人物に興味を示し、それをモチーフに描いてきた画家として知られている。「Xアルバム」の後に続く展示室では、20世紀に生きた様々な人物の写真に、ベーコンがドローイングを施したものが並ぶ。
そのなかには、エルヴィス・プレスリーやミック・ジャガーといった著名なミュージシャンから、ナチスの幹部であったヨーゼフ・ゲッベルス、あるいはアドルフ・ヒトラーまでもが含まれており、ベーコンの興味・関心の矛先をうかがい知ることができるだろう。また、「叫ぶ教皇」のモチーフとなった映画『戦艦ポチョムキン』に登場する乳母の写真に着彩した作品にも注目だ。
またこうした人間への関心は、その筋肉の運動への興味ともつながっている。ベーコンは、エドワード・マイブリッジの連続写真をはじめ、様々な運動選手の写真にドローイングを描いているが、その点数や、ドローイングの強弱によっても、ベーコンの関心の度合いを想像することができる。
本展を担当した神奈川県立近代美術館 葉山の主任学芸員・高嶋雄一郎は、バリー・ジュール・コレクションを見ることの重要性についてこう語る。「ベーコンのアトリエのなかにあったものを、丁寧に見ることができる機会は貴重です。ベーコンは自分自身のイメージをつくりあげることに気を遣っており、『ドローイングは描かない』と断言しています。しかし実際アトリエにはこうしたものがあった。ではドローイングや素描などが彼のなかでどういう役割・意味だったのかということを考える必要があります。19〜20世紀の様々な図像がベーコンの目によって選び出されており、そこに彼なりの色彩が加えられている。その点において、ベーコンが何に関心を寄せており、油彩画のインスピレーションがどこにあったのかを知るきっかけにはなるはずです」。
ベーコンといえば、やはりキャンバスに描かれた油彩画の数々が思い浮かぶ。しかし今回の展覧会で油彩画は、バリー・ジュール・コレクションにある1930年代の10点(これらはベーコンが「デビュー」する以前の作品であり、貴重なものでもある)があるのみだ。しかし、そこに醍醐味がある。
「よく知られた油彩画がベーコンの中心にあるとすれば、今回お見せする資料やドローイングはその『周縁』。ただ、このコレクションを多くの方に見ていただき、これまでのベーコン像ではない、本当の姿を想像してほしいと思います。ベーコンという20世紀を代表する画家に対して考えを巡らせていただければ」。
ベーコンをベーコンたらしめていると言っても過言ではない油彩画。その完成された作品ができるまでの「プロセス」を、存分に堪能したい。