イギリス人建築家ジョサイア・コンドルの設計により、三菱一号館が東京・丸の内に竣工した1894年。そんな1894年という年を軸に、フランスの画家オディロン・ルドンとアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックをはじめとする同時代の日仏の画家たちを紹介する展覧会「1894 Visions ルドン、ロートレック展」が、三菱一号館美術館で開幕した。
本展は、同館の開館10周年と岐阜県美術館のリニューアル・オープンを記念し、2館が共同企画したもの。三菱一号館美術館はロートレック作品約260点を所蔵しており、岐阜県美術館はルドン作品約250点からなる世界有数のルドン・コレクションを所蔵している。
このふたつのコレクションから、ルドンとロートレックの木炭とパステル画、ギュスターヴ・モロー、エドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ポール・セザンヌらの油彩画、ゴーギャンの多色刷りの木版画、そして山本芳翠、藤島武二など明治洋画の旗手たちの作品など、国内外140点以上が展示されている。
会場は、「19世紀後半、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの周辺」「NOIR—ルドンの黒」「画家=版画家 トゥールーズ=ロートレック」「1894年 パリの中のタヒチ、フランスの中の日本」「東洋の宴」「近代—彼方の白光」の6章構成。ルドンとロートレックを中心に、その躍動する時代の息吹を紹介していく。
1874年、第1回の印象派展が開催され、ルノワール、モネ、シスレー、ピサロ、ドガそしてセザンヌが出品していた。第1章「19世紀後半、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの周辺」ではこれらの画家の作品を展示。印象派の画家たちが、いかにルドンとロートレックの作風確立に影響を与えたのかを探る。
例えば、モネの《草原の夕暮れ》(1888)では、薔薇色の光に染まった風景や、同じ色が投げかけられた長男と長女の姿が描写されている。いっぽう、エミール・ベルナールの《ポンタヴェンの市場》(1888)は、単純化された線や色彩を用いて人物や衣装、果物などを描いたもの。自身の感覚現実世界をとらえたモネの作品と、平坦な色面を暗い色の輪郭線でとらえたベルナールの作品を対照的に見てほしい。
第2章「NOIR—ルドンの黒」では、ルドンが木炭を使って制作した作品群を展示。1840年にフランスの南西部の町ボルドーで生まれたルドンは、79年にリトグラフの作品集『夢のなかで』を刊行し、版画家としてデビューした。動物と植物、夢と現実、意識と無意識が交錯する奇怪な形態をモチーフにした木炭画作品は、ルドンの独自の絵画世界を表現したものだ。
いっぽう、1864年生まれのロートレックは、91年にポスター画家としてデビュー。当時、ロートレックのアトリエが所在するパリ・セーヌ川の右岸に「民衆歌手」アリスティッド・ブリュアンが経営するキャバレー「ミルリトン」があり、ロートレックはこの店の常連であり、夜の街に入り浸っていた。
第3章「画家=版画家 トゥールーズ=ロートレック」と第4章「1894年 パリの中のタヒチ、フランスの中の日本」では、ロートレックのデビュー作《ムーラン・ルージェ、ラ・グーリュ》(1891)や、「ミルリトン」の支配人ブリュアンを描いたポスター《アリスティッド・ブリュアン、彼のキャバレーにて》(1893)、シカゴ出身の踊り子ロイ・フラーの踊り姿を描いた《ロイ・フラー嬢》(1893)などの作品を展示。当時のパリの歓楽街の様子をうかがうことができる。
また、第4章ではゴーギャンの木版画シリーズ「ノア ノア」(1893-94)にも注目してほしい。「楽園」を求めてタヒチに滞在していたゴーギャンは、1893年にパリに一度戻り、タヒチの作品を披露。しかし、人々の反応は期待したものではなかった。作品をより良く理解してもらうため、ゴーギャンは木版画集『ノア ノア』を刊行。これらの木版画は、後にムンクなどにも影響を与えたという。
第5章「東洋の宴」では、同時代の日本の西洋との向き合い方に着目。1878年の万博のためにパリを訪れた山本芳翠は、博覧会終了後、かつてルドンが学んだ国立美術学校教授ジャン=レオン・ジェロームに師事。約10年間に滞在していたが、その時期に制作した作品のほとんどは後に航海中に失われてしまった。本展に出品された重要文化財の《裸婦》(1880)は、現存する数少ない作例のひとつだ。
いっぽう、東京美術学校(現・東京藝術大学)で教鞭をとっていた藤島武二は、1905年に文部省からの留学生として渡仏。パリからローマに移った直後の事故で、フランス時代の作品の大半が失われたが、現存作品のなかから、パリ滞在中に制作した《浴室の女》(1906-07頃)が展示されている。
展覧会の最後を飾る第6章「近代—彼方の白光」では、ルドンの色彩作品に光を当てる。20世紀の幕開け目前に、ルドンは黒の世界から色彩の世界へと完全に移行。当時、ルドン最大の支援者であり収蔵家のロベール・ド・ドムシー男爵は、1900年に城館の大食堂全体の装飾をルドンに委ねた。
16点におよぶ巨大な壁画は、そのうち15点が1978年に取り外され、最終的にオルセー美術館に所蔵。残りの《グラン・ブーケ(大きな花束)》(1901)は2010年に当初の設置場所から外され、後に三菱一号館美術館に収蔵された。高さ2.5メートルにおよぶひときわ色鮮やかに際立つ本作は、ルドンの装飾作品のなかでもっとも突出した規模を誇る。
そのほか、同章ではルドンがパステルを用いて制作した作品《神秘的な対話》(1896頃)や《翼のある横向きの胸像(スフィンクス)》(1898-1900頃)、《オフィーリア》(1901-02頃)、そしてルドンの亡くなった1916年にポール・セリュジエが哀悼の意を示して制作した《消えゆく仏陀—オディロン・ルドンに捧ぐ》(1916)なども展示されている。
人間の精神や夢を表現したルドンと人間の本質を突いたロートレックの世界を、同時代の画家たちの作品とともに堪能してほしい。