日本でも絶大な人気を誇るアルフォンス・ミュシャとルネ・ラリック。このふたりに共通するものは何か? それは、女優サラ・ベルナールとの関係性だ。
サラ・ベルナール(1840/44~1923)は、19世紀半ばから20世紀初めに活躍したフランスの大女優。フランスの良き時代である「ベル・エポック」を生き、同時代の芸術家であるアルフォンス・ミュシャやルネ・ラリックを見出した人物として知られている。
渋谷区立松濤美術館で開幕した本展「パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展」は、そんなサラの人生を紐解くともに、ミュシャやラリックなどの作品を通し、その存在が当時の美術に与えた影響を紹介するもの。
展示は4章で構成。まず第1章「サラ・ベルナールの肖像」では、多数のサラのポートレート写真や肖像画が並ぶ。
展示された写真からは、サラが自分自身をどのように見せようとしていたのかが垣間見える。また、トゥールーズ=ロートレックや、ベルナールの恋人だったと言われるジョルジュ・クレラン、ルイーズ・アベマらが描いた肖像画からは、その存在が芸術家たちにとってのインスピレーション源だったことがわかるだろう。
なおこの章では、実際に身につけたドレスや装飾品、使用した銀食器なども展示。目を楽しませてくれる。
第2章「パトロンとしてのサラ・ベルナール」と第3章「サラ・ベルナールとその時代」では、サラが見出したミュシャ、ラリックなどの作品を一堂に展示。
サラが主演を務めた公演のひとつに『ジスモンダ』(1894)があるが、このポスターを手がけたのが、当時無名の挿絵画家だったミュシャだった。ミュシャは縦長のレイアウトにビザンチン風のデザインを取り入れ、これがきっかけでブレイクを果たす。この後6年間、ミュシャはサラと専属契約を結び、様々な演劇ポスターを手がけていくとともに、様々な業種からもデザインの依頼を受けるようになった。時代を代表するアール・ヌーヴォーの旗手となったのだ。
いっぽう、ルネ・ラリックも同様に、サラによって才能を見出されたひとりだった。
ラリックは当時、フリーの宝飾デザイナーとして活動していたが、サラのプライベートや舞台上での装飾品を手がけたことで、世間の注目を集めるようになる。
なお本展では、ミュシャがデザインをし、ラリックが制作した《舞台用冠 ユリ》(1895頃)も展示。この冠は、『遠国の姫君』の劇中でサラが着用したもので、ふたりにとって最初で最後のコラボレーションとなった。またこの冠を着用したサラを描いたミュシャのポスターも会場に展示されているので、見比べてみるとおもしろいだろう。
会場最後を飾るのは、「サラ・ベルナール伝説」。自身で劇団を立ち上げたり、海外公演も積極的に行っていたサラの、女優以外の側面とその栄光を見ることができる。華やかな時代を、煌びやかに駆け抜けた大女優の姿を目撃してほしい。