2017年、アーツ千代田 3331で行われた個展「秘境の東京、そこで生えている」で大きな話題を集めた佐藤直樹。その新作を含む、公立美術館では初の個展が、群馬の太田市美術館・図書館で開幕した。
佐藤直樹は1961年生まれ。童画家の母を持ち、幼い頃から絵に親しんでいた佐藤は、小学生の頃にはレタリングについて考察・発表するような子供だったという。しかし、美術への道には進まず、81年に教師を志して北海道教育大学へ入学。卒業後は信州大学で教育社会学と言語社会学を学んだ。
ところが、潜んでいた「美術」がここで顔を出す。87年には美術への道を諦め切れずに美学校へと入学。菊畑茂久馬に師事した。しかし、ここでキャリアはまた大きく転換する。美学校に約2年間在籍するも、絵を断念。88年に翔泳社に入社し、アートディレクター/デザイナーとしてのキャリアをスタートさせた。
そこからの20年あまり、佐藤は『WIRED』をはじめとする様々な媒体のエディトリアル・デザインを手がけ、アートディレクターとしての確固たる地位を築いてきた。そんな佐藤の人生にまたも転機が訪れたのは、2010年から11年にかけてのこと。
佐藤は思春期を過ごした荻窪を訪れた際、そこが「廃墟化された街」のように見えたのだという。そして東日本大震災後、再び同所を訪れた佐藤の目には、街が「植物で覆われた秘境」のように映る。このことを契機とし、本格的な絵画制作をスタート。13年に描き始めた、植物を主題とした木炭壁画《そこで生えている。》は、いまや幅160メートルを超え、増殖を続けている(本展では《その後の「そこで生えている。」》としてその一部を展示)。
《そこで生えている。》で描かれるのは、佐藤が実際に目にした植物の数々。風景自体は実際のものではないが、実物のモチーフを再構成した世界が広がってる。本展の大きな見どころは、この《そこで生えている。》をはじめとする絵画群と、アートディレクターとして手がけた雑誌・書籍の数々だ。
会場1階の展示室には、13年に描かれた《はじめの「そこで生えている」。》をはじめ、《部屋で生えている。2》(2018)や、本展で初公開となる《植物立像》(2019)などが並ぶ。
また2階と3階の《その後の「そこで生えている。」》(2014-19)は、鑑賞者をぐるりと取り囲むように設置され、その全長は80メートルにもおよぶ。
とくに注目したいのは、3階に展示された部分だ。ここに描かれているのは佐藤が太田で見た植物。佐藤はこのパートについて、自主的に描き続けてきたこれまでの部分とは明らかに異なるという。「展覧会の話があったことに応答しているんですよね。植物が、置かれた環境に応じて成長していくような感じに似ています。声が掛からなかったら違うものになっていたと思います」。
《そこで生えている》には生き物の姿が見えず、モノクロの世界が広がる。これはなぜなのか? 佐藤はまず前者について「たまたまそうなっているだけ」だと話す。「そこここにある植物の存在の物量と多様性がすさまじく、とても追いつかないのでそれを描いているんです」。
またモノクロについても、現実的な理由を語った。「色を入れるということは大変なこと。かたちをたどることすら試行錯誤の段階だし、木炭でやれることのほんのわずかなことしかできていないですから」。
太田市美術館・図書館の建築的な特徴でもある、1階と2階をつなぐスロープ。ここには、1990年から2014年までに佐藤が手がけた雑誌や書籍がアーカイブのように展示。「絵画以前」と「絵画以降」の佐藤を行き来できるのが本展の大きな特徴だ。しかし佐藤自身、それらはまったくの別次元として存在していると話す。「共通項があるわけではなく、絵画制作に没入しているときはアートディレクターとしての自分はまったく顔を出しません。その逆も然りです」。
この絵画とデザインを別軸としてとらえる考えは、佐藤のキャリアとも関係しているだろう。絵の道を諦め、デザインの仕事をしてきたこれまでを、佐藤はこう振り返る。「僕は絵画を一度終了させています。地続きでなんとなく(絵画を)寝かしてきたわけではありません。デザインしながら絵を描きたいと思ったことは一度もなかった」。
一度は絵画を諦め、デザインに従事し、再び絵画へと戻ってきた佐藤。この佐藤にとってはまったく異なる2つ領域を横断した今回の展覧会は、太田市美術館・図書館の複合性と、「本と美術の展覧会」というフレームだからこそ実現したもの。2度とないかもしれないこの機会に、佐藤の紙面と絵画、そしてその循環を目撃してほしい。