国内の現代美術のマーケットが盛り上がりを見せている。多くの現代美術ギャラリーのギャラリストたちが予約制にもかかわらず売り上げが好調を示し、3月のアートフェア東京2021は来場者が4割減にもかかわらず過去最高益を記録した。4月23、24日に2日間にわたり開催されたSBIアートオークションの「第44回モダン&コンテンポラリーアートセール」では、最終的な取引総額が10億4000万円にものぼった。
これらの現象については、歓迎する声も、不安視する声も聞こえてくる。日本にもようやくアートを購入する文化が根づいてきたという声もあれば、2000年代中盤に若手作家が高額で取り引きされるようになったものの、2008年のリーマンショック後に価格が下落してしまった、当時の「アートバブル」と重ねて警戒する向きもある。
各アート関係者はこの流れをどのようにとらえているのか。小山登美夫ギャラリーの代表・小山登美夫、SBIアートオークションのマネージャー・加賀美令、アートフェア東京のマネージャー・北島輝一の3人に、「アートバブル」とも囁かれる現象をどうとらえ、どのように分析しているのかを聞いた。
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「自分の資産で好きなものを買っている健全な状況」
まず、小山登美夫は、新型コロナウイルス以降のギャラリー売上の推移について次のように話す。「去年の3月はまだコロナ前の売り上げが入ってきていたので例年通りだったが、4月はギャラリークローズ、5月はアポイントメントのみだったので、5月と6月の売上は沈んでいた。しかし、9月以降は前年同月の売上を超える月も多く、イベントなどによって変動はあるので一概に言えないが好調だと言える。若い人が大型の作品を買ったり、IT系のベンチャーで活躍して資産を持った新たなコレクターも多い。ただ、以前からコレクターをしていた方が、海外にも行けずお金を使わないということで、美術に目線が向いているという感もある」。
小山によれば、例えば個展「空気に生まれかわる」(2020年12月11日〜2021年1月16日)を開催した工藤麻紀子は、中堅作家で作品価格も安いわけではないが完売だったという。「小山登美夫ギャラリーではいま盛り上がっているストリート系の作家を取り扱ってはいないが、それでも、着実に売れていると感じる」。
転売目的も含めた新たな購買層が流入している現在の状況について、小山はどう考えているのだろうか。
「かつての92年までのバブルのときは、銀行が美術品購入に積極的にお金を貸したので、借金で買った美術品を売って利益を出そうとしたものの、バブルが弾けて大損害になったのがまずかった。 いまは借金ではなく、自分の資産で好きなものを買っている、ある意味では健全な状況。もちろん、利益目当ての転売屋の暗躍も一部ではあるが、それは株に様々な売買があることと同じ。それを問題視しても始まらない。何人かの特定のアーティストの作品を転売の対象にしているだけだ。利益を目的にすれば、損害を被ることがあることは自己責任です。あと、忘れてはならないのはアーティストに罪はなく、彼らのマーケットがどうなるかもわからない。転売を切り抜けるアーティストが出て来たらすごいことだ。ベンチャーを中心に実業家として成功してアートコレクターになった人も、お金を得る手段は別ですでに持っているので、美術品の購入によって短期間に利益を得ることには興味がないはず。仮に事業が失敗したとき、アート作品に助けてもらうことはあるかもしれないが 」。
いつの「バブル」と比較しているのかが問われるべき
アートオークションはどうだろうか。4月23、24日に開催されたSBIアートオークションの「第44回モダン&コンテンポラリーアートセール」は前述の通り好調なセールを記録。草間彌生、奈良美智、アンディ・ウォーホルといったすでに評価が定まったアーティストのほか、すでに同オークションの常連として高額で落札されるKYNE、ロッカクアヤコ、山口歴といった作家、愛☆まどんな、Haroshi、今井麗、平子雄一といった中堅から若手も、予想落札価格を大きく上回る落札結果を記録した。
しかし、SBIアートオークションのマネージャー・加賀美令はこうした好調な結果についても「とてもバブルとは呼べない」と冷静だ。「欧米のアートオークションには、1日で合計500億円以上の売り上げを記録するセールもあるのに対して、SBIアートオークションの売り上げは年間の合計売り上げでも遠く及ばない。世界の美術市場のなかで、日本の市場が占める割合は3パーセント程度。現在は市場が拡大しているだけなのではないか。それでも欧米や中国のそれには遠く及ばない」。
また、加賀美は「バブル」という表現についても注意が必要だと言う。「ひとくちに『バブル』といっても、一体いつの『バブル』と比較しているかというところも問われるべきではないか。80年代後半から90年代にかけての経済的なバブルを土台とした美術バブルなのか、08年のリーマンショック前に中華系コレクターによる日本人作家への投資が加熱し、リーマンショックとともに崩壊した美術バブルを指しているのか。前者は欧米のアートシーンのマスターピースが高く買われたわけで、いまにしてみれば当時の安田火災が購入したフィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》(1888)にしても価値を考えれば安かったし、作品の価値は現在にいたるまでさらに高くなっているので、美術の観点からしても良い投資だったと言える」。
いっぽう、リーマンショック時のアートバブルについてはこう分析する。「あのバブルが起きてしまった要因としては、中華系のコレクターたちが、日本人が自国の若手作家を買い支えないことがわかって離れたことが大きい。現在は、国内の買い手も増えて市場に参加しているので、当時とは前提となる条件が違うと考えられる。新しい層が、希少なスニーカーを転売目的で購入するようなアートの売買が、ストリート系のアーティストの一部作品に対して行われているのは事実だが、その一面だけを取り上げて『バブル』とは呼べないのではないか」。
「ギャラリーの力量が上がっている」
国内最大のアートフェアである 「アートフェア東京」。2年ぶりの開催となった今年の来場者数は、新型コロナウイルス対策のために来場人数を絞ったこともあり4割ほど減少した。しかしながら売上は過去最高だった2019年の29億7000万円を上回る、30億8000万円を記録したと発表された。同フェアを主宰する、アート東京のマネージング・ディレクターである北島輝一に、こうした現状をどのように考えているのか聞いた。
「アートフェアは作品やアーティストを紹介するのではなく、『ギャラリーのディレクション』を紹介するもの。その視点で、各ギャラリーの力量を間近で見てきたが、リーマンショック前の『アートバブル』と現在の状況は大きく違なり、ギャラリーの力量が高くなっているように感じる」。
北島の印象では、かつては「良い作品を見せれば売れるだろう」という日本的な考えが根強かったそうだ。しかしいまは、各ギャラリーが自らの打ち出すべき特色を理解しており、何が売れるのかがより明確なので、以前の「アートバブル」とは違うという。
いっぽうで北島は、現在のアートマーケットの問題点を次のようにも指摘する。「中堅作家とグローバルで売れるトップクラスの作家のギャップが大きく、そこを埋められるような作家はまだ少ない。そうした作家を、ギャラリストやアートメディアがどうつくっていくのかが求められている。以前の『アートバブル』でも、高額で取引される若手作家がはいたが、彼らがどのように成長し、海外に出ていくのかという視点を市場が持つことができなかった。若手を引き上げることができないのは、日本のアート業界としても責任を感じなければならない。ただ、今回の盛り上がりについては、各ギャラリストに自覚がある。誰に作品を持ってもらうべきなのか、転売屋に蹂躙されないために何をすべきか、考えているひとは考えていると感じている」。
言葉の持つ強いインパクトからも、アート業界の内外で取り沙汰される「アートバブル」。しかし、アートの現場を担う業界の人々からは、冷静な意見や今後の課題についての貴重な声が聞けた。ウェブ版「美術手帖」では、今後も「アートバブル」という言葉を取り巻く現場の視点をレポートしていく。