1960年代に勃興したコンセプチュアル・アートの中心人物のひとりであり、言語をグラフィックで表現したアート作品で知られるアーティストであるローレンス・ウィナーが、12月2日に逝去した。享年79。
ウィナーは1942年ニューヨーク・ブロンクス生まれ。60年代後半より言語を主な媒体として作品を制作し、その作品は世界中で展示され、様々な言語で解釈されている。68年にソル・ルウィットが「コンセプチュアル・アートに関するパラグラフ」を発表したことを受け、自分の芸術に関する意図を下記のように宣言した。
1.作家が作品を組み立ててもよい。
2.作品は(作家以外の者によって)組み上げられてもよい。
3.作品は組み立てられなくてもよい。
4.これらの選択肢はどれもが等しく作家の意図と合致しているので、(作品の展示)条件の決定は、そのときに(作品の)管理者の地位にある者に委ねられている。
2007年から09年にかけ、ホイットニー美術館(ニューヨーク)、ロサンゼルス現代美術館(ロサンゼルス)、K21・ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館(デュッセルドルフ)で大規模な回顧展が開催。また、ドクメンタ5、6、7、13(1972年、1977年、1982年、2012年)や、第36回、41回、50回、55回ヴェネチア・ビエンナーレ(1972年、1984年、2003年、2013年)にも参加した。日本国内では、群馬県前橋市にある「白井屋ホテル / SHIROIYA HOTEL」のファサードにウィナーの作品が常設展示されている。
ウィナーの死を最初に伝えた、その作品を長年取り扱っているマリアン・グッドマン・ギャラリーは、「ローレンスは、コンセプチュアル・アートの推進者であり、言語を主要な媒体として使用することで国際的な評価を得た。彼はアートとの新しい関係を提案し、アーティストの立場を再定義した。その作品は言語の力を世界中に示した」との声明を発表。
また、リッソン・ギャラリーは「(ウィナーは、)言語の持つ普遍的な力によって、その言語が表示される多くの表面、ひいては芸術の歴史を変えていった。独学で芸術を学び、芸術を広く普及させ、魅力的なものにしようとした彼の熱意は、懐かしく思い起こされ、同世代で最も影響力のあるアーティストの一人としての彼の遺産は、彼の作品を通して生き続けるだろう」とウィナーを讃えている。