2020.5.21

あいちトリエンナーレ実行委員会が名古屋市を提訴。弁護士・平裕介に今後の展開を聞く

5月21日、大村秀章愛知県知事が会長を務めるあいちトリエンナーレ実行委員会は、名古屋地方裁判所に訴状を提出し、名古屋市(被告)に「あいちトリエンナーレ実行委員会負担金」3380万円余の支払いを求める訴訟を提起した。異例の法廷闘争は今後どのように展開していくのか? また実行委員会の請求は認められるのか? 文化芸術活動への助成に関する訴訟を担当している弁護士・行政法学者の平裕介に話を聞いた。

「あいちトリエンナーレ2019」より、「表現の不自由展・その後」

 あいちトリエンナーレ実行委員会が、「あいちトリエンナーレ2019」の負担金をめぐって、名古屋市を提訴した。これは、名古屋市が同トリエンナーレの負担金(未交付分)約3380万円の支払いを拒否したことに端を発する。ひとつの芸術祭のなかで、県が市を提訴するという異例の法廷闘争は、今後どのように展開していくのか。また実行委員会の請求は認められるのか。弁護士で行政法学者の平裕介に聞いた。

 結論を先にいうと、市の負担金交付決定の変更の理由は合理的なものとは言えないことなどから、実行委員会の請求が認容される可能性は高いと考えられる。以下簡単ではあるが、理由を述べる。

 市は当初、負担金を交付する行政決定をしたが、その後、事情の変更により特別の必要が生じたなどという理由で交付決定を変更する行政決定をした。

 市の変更決定の通知文書で示された「理由」は、次の2つである。

1. これまで再三にわたり、あいちトリエンナーレ実行委員会運営会議の開催を求めてきたが実施されず、また、9月20日付公開質問状に対しでも十分な回答がないことから、上記通知書〔引用者注:「あいちトリエンナーレ実行委員会負担金交付決定通知書」(平成31(2019)年4月16日付)を意味する〕「3 交付の条件(8)」に定める、負担金の対象となる事業に関する報告を十分に受けていないため。

2. 「表現の不自由展・その後」の中止、それに付随する展示変更・中止等の「事情の変更」により、事業計画通りに実施されたか極めて不明であり、上記通知書「3 交付の条件(4)」に定める、負担金の交付決定後、事情の変更により特別の必要が生じたときに該当するため。

 本件負担金交付決定は、行政処分(行政事件訴訟法3条2項)ではなく、贈与契約(民法549条)に基づくものであると考えられる。なお、公法上の契約と解する余地もある(行政事件訴訟法4条後段参照)が、私法(民法)上の契約と捉えるのが一般的だろう。そうすると、訴訟類型は民事訴訟である。そして、訴えの種類については、主位的請求は負担金の支払(交付)を請求する給付の訴え(給付訴訟)となり、予備的請求は支払(交付)を受ける法的地位にあることの確認の訴え(確認訴訟)となるだろう。なお、本稿回答時点で、実行委員会の訴状を見ているわけではない(予備的請求は、訴訟戦略上、訴状には記載されていない可能性が高く、最後まで記載されない可能性もあるだろう)。本件訴訟の被告は名古屋市であるが、原告は愛知県ではなく県知事が会長を務める実行委員会である(民事訴訟法29条参照)。

 上記変更理由1・2ともに、「交付の条件」という記載はあるが、負担付き贈与(民法553条)の負担を意味するものと考えられる。市はそもそも負担金を交付する債務が発生していないと考えており(「あいちトリエンナーレ名古屋市あり方・負担金検証委員会報告書」(令和2年3月27日付)2頁)、負担ではなく解除条件(民法127条2項参照)ととらえるべきと考えているようである。しかし「交付の条件」の各記載内容等からすると、付款(附款)のうち(負担ではなく)解除条件(あるいは停止条件)ととらえることには合理性がないだろう。

 以上のように上記各「条件」の法的性質を負担と捉えるとして、負担の不履行がある場合には、贈与契約の解除ということがありうるため(民法553条、541条、542条)、変更理由1は、負担の不履行を主張するものと考えられる。とはいえ、1だけでは軽微な不履行ではないかとも思われ(民法541条ただし書参照。もちろん市は「軽微」なものではないと主張するだろうが)、1の理由だけでの契約解除は困難と考えられる。なお、市は変更決定の通知文書で「解除」と明記していないため、実行委員会に解除の意思表示(民法540条)をしたのかにつき、やや疑問が残る(「変更」は「解除」の意思表示を含むものとみる余地はあろうが)。

 変更理由2も、負担の不履行の主張を含みうるとみる余地があろう。同時に、市は、日本の古い(大審院の)判例(大判昭和19年12月6日民集23巻613頁)が採った「事情の変更」に言及しているため、事情変更の原則による(契約解除ではなく)契約内容の改訂という法的効果の発生を主張しているようである(上記検証委員会報告書5頁以下等参照。なお、答弁書か被告準備書面で予備的に契約の解除の効果も主張するかもしれないが)。しかし、最高裁の判例は、事情変更の原則の具体的適用には極めて慎重であり、本件でも同原則の要件を満たすとは考えられないため(「あいちトリエンナーレ名古屋市あり方・負担金検証委員会報告書 (参考)その他当委員会の委員の個別意見」(令和2年3月27日付)7~8頁の中込秀樹委員の個別意見等参照)、事情変更の原則による市の主張も訴訟では認められないだろう。また、1の事情を加えたとしても、この結論は変わらないと考えられる。

 なお、市が答弁書等において、負担金交付に係る契約を公法関係と構成し、行政契約締結や解除に係る行政裁量の存在についての主張を展開する(変更決定が違法ではないとする理由の一つとしようとする)ことも一応予想されようが、説得的はないように思われる。

 このように、1・2の市の変更理由は合理的とはいえないことなどから、このたびの訴訟で、実行委員会の請求は認容される可能性が高いだろう。

 なお、愛知県は文化庁の補助金に関しては、不服申し出を取り下げたという経緯がある(実行委員会自体が不服申し出やその取下げをしたわけではないが)。事実上の和解ともみられるあいまいな結末には、法律による行政の原理(法治主義)の観点から問題があり、何より文化芸術表現の自由(憲法21条1項等参照)の萎縮につながってしまう面があることから、本来は不服申し出に対する裁決を得る(あるいは取消訴訟を提起して判決を得る)べきであった。今回の事件も、同様の面がありうると言うべきであるため、実行委員会は、途中で訴えを取り下げることをせず認容判決を得て、文化芸術表現の萎縮効果を極力防止するよう努めるべきである。