美しさと醜さ、生と死といった両極端の要素を写し取る写真家の川内倫子。現在、川内の写真展「When I was seven.」が、東京・青山のアニエスベー ギャラリー ブティックで開催中だ。本展の写真集『When I was seven.』も数量限定で発売されている。会期は10月20日まで。
川内は、何気ない日常の光景や草花を繊細にとらえた写真によって生や死を照射する『うたたね』(リトルモア)、日本各地で打ち上げられる花火と、それを見つめる人々を写した『花火』(リトルモア)の2冊の写真集で第27回木村伊兵衛写真賞を受賞。これまでアメリカやイギリス、ベルギー、ドイツなど世界各地で個展を開催し、日本においてもヴァンジ彫刻庭園美術館、東京都写真美術館、熊本市現代美術館での大規模個展が話題となった。
本展では、2019年で誕生から40周年を迎えたアニエスベーのアイコニックアイテム「カーディガンプレッション」を、川内が自身の40年の時と重ね合わせながら撮影した写真30点を見ることができる。カーディガンプレッションは、同ブランドのデザイナー、アニエスベーが40年前に着ていたスウェットを切り開き、たくさんのスナップボタンを並べてデザインしたことをきっかけに生み出されたもの。川内は、カーディガンプレッションについて次のようにコメントしている。
40年前の夏の暑い日、フランスにいたアニエスベーが白いスウェットシャツの前身頃をハサミで切り開き、たくさんのスナップボタンをルネッサンス調の服のようだと想像しながらカーディガンに作り変えたとき、日本の大阪市内の片隅に住んでいたわたしは、夏の暑さにうんざりしていた。学校に行くのがつらかったから、長い夏休みは束の間の休息だったけれど、毎朝行きたくないラジオ体操に通い、早く1日が終わらないかとばかり考え、人生に絶望していた。子供でいることは不自由で退屈だったから、早く大人になって自立したいと意識下で切望していた。大学生になって、自分の好きなことを勉強できて、少し気持ちが自由になった頃、カーディガンプレッションが大流行し、流行に敏感な同級生の多くが様々な色のそれを身にまとい、キャンパスを歩いていた。柔らかなスウェット素材に、パール色のボタンがいくつも連なっていて、シンプルだけど、とても新しく見えた。自分も欲しかったけど、貧乏学生だった自分には手が届かなかった。 あれから30年近く経ち、自分の娘にこのカーディガンを着せて撮影してみた。感慨深くもあり、過去の自分が置き去りにされたかのような気持ちにもなった。今年7歳になる、かおるちゃんにお願いして、公園を散歩しながら撮影した。あの頃の自分と同じように髪の長い彼女の後ろ姿を追いかけていると、40年後は娘と一緒に楽しく暮らしているよ、時間がかかったけど、生きていてよかったと思っているよ、と、息苦しかった幼い自分に向かって伝えたい気持ちになった。