2017.1.27

ロックバンドOLDCODEXのペインターYORKE.に迫る

ボーカルとペインターという異彩の組み合わせのロックバンド、「OLDCODEX(オルドコデックス)」。CDジャケットやライブステージのアートワーク全般を担当するペインターのYORKE.は、ミュージシャンに囲まれながらどのような思いでクリエイションしているのか。現在ツアー中のライブ「FIXED ENGINE」と彼の話から、その答えを探る。

文=住吉智恵

ライブで観客をあおるYORKE.。奥に見えるステージ造形は、彼が描いた
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 ロックとアートの、両方の領域に軸足を置いて活動するアーティストのYORKE.(ヨーク)。彼が「ペインター」として参加している「OLDCODEX(オルドコデックス)」は、武道館を単独で埋めるほどの根強いファンを持っている。2016年11月、取材で訪れたそのライブステージは、刺激的なライティングやビジュアル、爆音で増幅される演奏、ボーカルのTa_2(タツ)とYORKE.のシャウトによって立体的に演出され、ファンたちが一糸乱れぬアクションで呼応していた。

 車のギアをモチーフにハンドペイントが施された舞台装置と、ステージの両端に設えられた2枚のキャンバスが、空間に異質の生っぽい手触りを放り込んでいた。YORKE.は、キャンバスに抽象的な線や図形、象徴的なワードをブラシで描いては、また下地を塗り直し、イメージを重ねていく。

 ライブペインティングというと、その多くはイメージを重ね、ひたすら増殖させていくケースが多い。だが彼の場合は、途中で何度も絵を塗りつぶして下地をつくり直し、余白を残しながら仕上げていく。ライブの最後に2枚の絵画は合体し、舞台美術を構成するギアの一部となった。

車のギアをモチーフに、YORKE.がペイントしたステージ

 ライブ後、YORKE.に話を聞いた。「オチさえつけられれば、描いている間はいくらでも遊べる。描いては塗りつぶし、また新しい絵を描く。『紙芝居』のようなものです。ライブ中も様々なものをキャッチしながら描いていきます。オーディエンスからステージがどう見えるか、そこにも解釈の余白を残しておきたい。マイクを通してメッセージをぶつけているときは、ペイントほどの余白がないからです」。

「ステージ・デザインは、ツアーのタイトルと並行して考えます。今回のライブツアー『FIXED ENGINE』のギアをモチーフにする構想は、ファンのメッセージからインスパイアされたものなんです。コンセプトを練り上げ、ステージ・デザイナーや演出家との打合せに持っていき、決まったら舞浜の巨大なスタジオで一気に描きあげる。今回のステージは3日間で制作しました。そこでの作業は、もうストレスしかない」。

ライブ中にキャンバスにペイントするYORKE.

「アートはストレスから生まれる」

池袋で育ったYORKE.が絵を描くことを始めたのは、「大人にほめられたくて」だった。少年時代にはバスケットボールや「ちょっと悪いこと」を覚えたが、自分のことを気にかけてくれた美術教師に勧められ、美術予備校に通った。画家を志したこともあったが、美術大学に進むことは叶わなかった、と言う。

独特なスタイルのライブペインティングで、東京のクラブシーンからデビュー。CDジャケットのアートワークや広告、アパレルなどに多くの作品を提供し、2004年には「nou LABORATORY」で個展を行った。一方で、インドネシア・バリ島の障害児施設のために、現地でワークショップを行いながらペイントを施したスクールバスを贈るなど、子どもに向けた取り組みも積極的に行ってきた。

絵は常に「ストレスの捌け口」だったとYORKE.は言う。「たとえばニューヨークのようにビルに囲まれた摩天楼で花が見たいと思うのと同じように、アートはストレスから生まれるものだと思ってます。バリ島では、そこらじゅうに美しい花や自然があるから、わざわざ花の絵を見たいとは思わない。ステージでは、描き続けて溜めに溜めたストレスを発散することでしか、見る人の心に刺さるものはつくれないと思っています」。

2点とも、ライブでYORKE.が描いた絵。ステージの左右にあった2枚はライブの最後に合わせられ、1つのギアに見えるよう演出された

「忌野清志郎さんが亡くなった2009年5月2日の翌日、ライブイベントに参加して、金子マリさんやKenKenが『デイ・ドリーム・ビリーバー』をむせび泣いて演奏している横で、絵を描きました。興味の湧く対象や、強くストレスを感じることがないと、自分は描けません」。

「なぜミュージシャンとコラボレーションするのか、よく聞かれます。彼らは音楽を聴くのと同じように、純粋に絵を見てくれる。以前、何軒かのギャラリーに作品を見せに行ったことがありますが、偉い人の名前を引き合いに出すだけで、違和感のあるリアクションしか返ってこなかった。自分の個展では、誠心誠意、売れるように努力しました。見にきてくれたお客さんに聞かれたことはぜんぶちゃんと答えたいので、自分の作品への責任という事を意識して、会場にもずっといるようにしました。」。

手もとのiPadで見せてくれたプライベートなドローイングには、ライブとは異なるリラックスした仕草で、丹念に、執拗にペンを走らせた、内向的な描線があった。彼の言葉を借りるなら、「ストレス」が動機であり原動力でもある表現は、より複雑かつ多角的に展開する可能性を孕んでいるかもしれない。

ライブ中に絵を描くYORKE.

YORKE.は自身の嗅覚を信じて、日本のロック・シーンという揺るがない足場を地盤に活動領域を拡げてきた。音楽にしろ美術にしろ、ライブやグルーヴから生まれるクリエイションには抗いがたい魅力があることを、彼は経験で熟知しているのだ。

過去から現在において、音楽と美術をまたぐフィールドで、ライブのアクションから転じて国際舞台で展開できる独自の創造性を獲得した作家はそういない(クリスチャン・マークレーくらいか?)。だからこそ、美術教育の外側からエンターテインメントの表舞台にマッハで上がっていったYORKE.の絵心が泳いでいく方向を見届けてみたい。自由自在なその遊泳は、既存のアートマーケットの枠に収まった作家から見ると、少し羨ましいくらいに奔放だ。