2021.11.8

コロナ時代にアーティストに寄り添う。小笠原敏晶記念財団が文化・芸術を支援する理由

公益財団法人 小笠原敏晶記念財団がコロナ禍の昨年6月、文化・芸術への助成をスタート。現在までに200件以上の支援を行っている。35年にわたり科学技術分野への助成事業を続けてきた同財団は、なぜいまアートを支援するのか。そこに込められた想いについて、アメリカ在住の小笠原有輝子常務理事に話を聞いた。

聞き手・文=髙石由美

2021年1月にオンラインで行ったフォローアップミーティング。こうしたかたちで採択者との交流も行う
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 文化・芸術への助成を2020年6月に始めた、公益財団法人 小笠原敏晶記念財団。最初に実施した助成は、コロナ禍において活動に影響を受けたアーティストや団体を対象にしたもので、国内に限らず海外で活動中の日本人アーティストたちからも多くの申請があった。そして厳正なる審査の結果、1回目が104件、2回目の今年は100件が採択された。

 申請のしやすさ、一律50万円という助成金の額、その使い道を問わないこと、迅速な交付にとても助けられた、と採択者たちは皆一様に口を揃える。

 苦境に置かれたアーティストや団体にとって理想的ともいえるこのような助成は、どのような経緯で始められたのか。選考委員長を務める、アメリカ在住の小笠原有輝子常務理事に話を聞いた。

常務理事の小笠原有輝子(左)と、創立者の小笠原敏晶

「使途を問わない」助成

 「以前から日本人アーティストたちにはもっとグローバルに活躍してほしいと思っており、そのための活動支援として、例えば海外への渡航や交流に対しての助成などを計画していました。そんな折、昨年からのパンデミックで、急遽アート関係者を対象にアンケートを実施して、現状どのような支援を必要としているかを調査することにしました。その結果、渡航はもちろん国内での移動もできなくなったことで予定していたプロジェクトを中止するなど、多くの皆さんがいかに困難な状況に直面しているかが把握できましたので、すぐにプログラムの内容を変更し、『新型コロナウイルス特別助成』を実施したのです。使い道を問わず助成することにしたので、選考過程で申請者の活動の実情を見極めるのには苦労しましたが、多くの申請者はパッションを持ってひたむきに努力されていましたので、この程度の助成額では大したサポートにならないのではと申し訳ない気がしたくらいです」。

 その「新型コロナウイルス特別助成」は今年2回目を実施したが、選考基準に新たに「地域の現代美術活動をつなげ共存・維持させる活動・団体」を加えた。個々のアーティスト活動に対してだけでなく、それを将来的に支える環境も支援していくという考えによるものだという。

 さらに今年から新たに、現代美術に関する翻訳活動と、調査・研究への助成も始めた。これは、小笠原が常々、日本人アーティストは自身の活動に関するプレゼンテーションの仕方で損をしていると感じ、また日本の現代美術に関するテキストの英訳が多くの場合わかりにくいと思っていたからだ。

 「アメリカでは、活動のテーマや作品のコンセプトをまとめたアーティストステートメントを準備しているのが一般的で、美術大学にはそれを作成するためのカリキュラムもあります。日本でも少しずつそういった認識が高まりつつあるようですが、より広く強化していくことが重要ではないかと思っています。それから、作品を説明するテキストの英訳は残念なクオリティであることが多く、もう少しレベルを上げなければ十分に伝わりません。日本の現代美術がもっと海外により良く紹介されることを願っています」。

 もともと小笠原は、アメリカで一般大学を出てから美術大学大学院を卒業し、アートを教える仕事に就いていた。

「ティーンエイジャーの生徒たちのなかには、複雑な家庭環境の子や、反抗期を迎えた難しい時期の子もいました。そういう生徒たちを相手にアートを教え、ワークショップを行うのはなかなか大変でしたが、それゆえに刺激的でしたし、アートを介してコミュニケーションを取ることはやりがいもあり、楽しく良い経験になりました。私は幼少期からアメリカで育ちましたので、欧米と日本の美術教育は少し異なる感じがするのですがどうなのでしょうね」。

 その後、日本で、株式会社ニフコ常務執行役員、ジャパンタイムス代表取締役会長などの要職に就くことになったが、ビジネスの世界に身を置いていた時期でも常にアートのことが意識にあった。ニフコ勤務時代には、自社製造工場から出るプラスチック素材を活用した作品制作ができるようアーティストインレジデンスがつくれないか、と密かに構想していたこともあったほどだ。

科学技術分野から文化芸術分野まで

 そんな小笠原は、最近とみに、社会における現代アートの重要性を感じているという。

「社会がどんなにテクノロジー化し目覚ましく進化しても、クリエイティビティは人間にしかない能力で、創造されたアートにはヒントを与えてくれる力があると思います。私自身、アートにインスパイアされ多くのアイデアを与えてもらった経験があります。そうしたヴィジョンを可視化できるアーティストたちの活動を支援することで、社会的貢献をしていけたらと思っています」。

 小笠原敏晶記念財団の名前はアート界では無名だが、じつは昨年「公益財団法人 小笠原科学技術振興財団」から改名するまで、35年にわたり科学技術分野への助成事業を続けてきた歴史がある。

「財団を創立した亡父・敏晶には、自身がパイオニア的事業家だったように、次世代を担う若いチャレンジングな人材の育成に貢献したいという強い思いがありました。1986年、科学技術分野への助成を始めたときに、文化・芸術の分野への支援も考えていたのですが、諸事情により時間がかかってしまいました」。

 そうした敏晶氏の遺志を引き継ぎ、また有輝子氏の強い意向もあり、今までの科学技術分野に加え、昨年ようやく文化・芸術の分野へも助成を拡充するに至ったわけだ。

 その文化・芸術への助成を開始して2年目。今後の支援の仕方についてはどう考えているのか。

「ポストコロナになってからの具体的なプログラムはまだ思案中ですが、経済的支援は続けていきたいと思っています。アーティストたちは、コロナ禍で困窮する以前から常に大変な環境で活動していますから」。

 小笠原敏晶記念財団ならではの助成プログラムとして、例えば、科学技術分野の知見を活かしたアイデアを取り入れるなど、両方のフィールドをリンクさせた独自性のあるものが考えられるかもしれない。

 いずれにしても一貫しているのは、財団の設立時からの理念「常識に挑む、熱き才能に寄り添う」。志を持つ若い日本人アーティストたちには、創造的な活動を継続していってほしい。そのためにも、もっと海外とのつながりが広がり、さまざまなイノベーションを起こせる環境が整うよう、財団にはますますの支援を期待したい。