ボイスを経由したパレルモ
──ブリンキー・パレルモ(1943~77)は日本ではほとんど知られていない作家ですが、「作家のための作家」として認められているところもあって、展覧会を様々な世代の作家に見てもらいたいですし、見た人がどう感じたのかを聞いてみたい、というのが関心としてあります。率直に言うと、いま展覧会を準備していて、個人的にパレルモの面白さを体感的にわかってくるところはありますが、なかなか言葉にしてパレルモを説明することができなくて、今井さん、五月女さんお二人にご協力いただきながら、この場を借りて言語化したいという思いがあります。
僕自身は学生の頃、ゲルハルト・リヒターや写真に関心があり、パレルモはリヒターともコラボレーションしていたので、図版を目にする機会もありましたが、正直に言ってさっぱりわからなかった。たまたまパレルモやその友人のイミ・クネーベルを所蔵する美術館に就職して、あらためて作品に臨む機会がやってきたんですが、じつのところなかなか作品の勘所がわからなかったんです。でも、とくに愛知県立芸術大学の作家と話しているとパレルモが参照項として出てくる。まずはつくり手としておふたりがパレルモの作品をどう見ているのかをお聞かせいただけますか?
今井 鈴木さんがおっしゃっるように、愛知芸大の作家たちがパレルモを参照しているというのはすごく理解できます。僕がパレルモという人を知ったのは、昔のことなので記憶が定かではありませんが、おそらく額田宣彦さん(現在、愛知芸大教授)経由なんですよ。僕が大学に入ったのが1998年で、たぶん彼が非常勤で1年だけ武蔵野美術大学にいたんだと思います。僕は直接教わっていないんですが、先輩たちと額田さんが話している横に僕がいて、パレルモの名前が出ていた。なんだろうと思ってムサビの図書館で見てみた、というのがパレルモを知ったきっかけです。98年、僕は20歳で大学に入ったばかりで現代美術もそんなに知らないし、「なんだろうこれ」「でもなんかかっこいいな」という、それこそ体感でしかわからないというところから入った。
僕はパレルモが好きなんですけど、いろんな作家とパレルモの話になっても「なんかいいよね」でまとまるんです。ものすごく難解というか言語化しにくいというか......本人があまり喋らない人だったらしく、言葉が残っていないというのと、周りからの証言でパレルモ像が組み立てられているとしたら、伝説化されている部分も大きいんだと思います。
僕はパレルモを経由してアメリカの戦後美術を知っていったんですよね。一番好きな作家はエルズワース・ケリーですが、パレルモを知ったときはまだケリーを知らなかったですからね。すごくねじれてる。日本語の文献なんてほとんどないのでちゃんと読めているかわからないですが、ドイツ人のパレルモはアメリカ美術を気にしていた人なわけじゃないですか。布の絵画とか見ても、ぱっと見ではアメリカの美術だよね、という感じ。そういうところから僕はアメリカ美術に入っていったので、自分のなかでは思い入れがあります。美術の、いまの仕事につながるスタートライン、導入としての作家だったなという感じがしますね。
五月女 僕がパレルモの作品をまとまって見たのは、たしか8年ほど前。アメリカのディア・ビーコンでしたね。パレルモは同世代のミニマリズムの作家たちと明らかにありようが違うという印象があって、それは直感で「軽やかさ」だと思ったんです。アルミにペインティングで色が重ねてある作品でした。
僕は今回の展覧会のなかで、ボイスと抱き合わせだということが一番重要だと思うんですね。むしろ、ボイスなくしてパレルモ作品の理解に近づくのはなかなか難しい気さえする。ボイスが一番敬愛していた生徒であるという事実もありますし、2人の作品には少なからず通底する部分がある。その「つながり」というのは僕の最近の関心とも近いところでもあるんです。僕自身は彼がいわゆる「ペインティング」をつくっていたわけではなくて、何かにつなげるための「媒体」をつくっている、というイメージが強いんですよね。そういう意味で、ミニマルな作品の裏に潜むコンセプチュアルな部分に焦点を当ててお話しできたらと思っています。
──パレルモの面白さのひとつとして、五月女さんの仰るように、ボイスを経由して「戻ってくる」というのがあるんですよね。それは単純に影響関係だけではなく、彼が制作をするにあたって、アメリカのケリーとかバーネット・ニューマンとかの実物や図版を見て、いろんなものを吸収したときに、自分が受け入れたものを軽やかに押し返していく姿勢を感じられるんですね。今回はボイスとパレルモの2人展ではあるんですが、必ずしも「ボイスから影響を受けたペインター」というパレルモの位置づけではなくて、むしろ、パレルモがいることによってボイスがまったく違って見えてくる、という展覧会になるといいなと思っています。
今井 パレルモは貪欲な吸収力があったと思うんですが、絵が「絵である」「オブジェである」というよりも、「何かの媒介としての物質としてそこにあるだけ」という気もするんですよね。彼の作品のなかで重要なのは壁画だと思います。あれは壁自体を絵画とすることで、その空間全体がどう機能するかということを試みた。そこに見に行って、見ている人に空間を把握させるメディウムとして色面が塗られている。そこが普通の絵描きとは全然違うという気がしますね。現存していないのでドキュメントを見ての想像でしかないですし、実際に体感することができないのが残念ですが。
五月女 僕は、ヴェネチア・ビエンナーレのイタリア館で展示されていた、ガラスが支持体になっている作品が気になりました。もちろん、実際に観た訳ではないので想像の域を出ませんが、あの作品は彼のひとつの到達点というか、わかりやすくパレルモの作品を表している気がします。外の光が入ってきたときに、ガラスを通過して、絵具に当たって跳ね返るという循環があったのではないか。その循環は、ひとつの時間を示していると言えるかもしれません。
パレルモの布絵画、金属絵画
──本展では、ディア・ビーコンで展示されていたような、金属絵画の4枚組の作品も展示予定です。こうした作品は意味を考えようとすると、かなりキツイ。例えばリヒターやアンゼルム・キーファーは具象的な要素を用いつつ、ひいては大きな歴史を背負っていくようなところがありますが、パレルモの作品はそうした物語を手がかりにしづらく、作品読解に取り組み難い。パレルモ研究者の本を読めば、パレルモがアメリカのネイティブ・アメリカンの色彩の理論などを研究していたということなどが書かれてはいますがじつのところはハッキリとした色彩の順序やルールはない。
でも、作品をじっと見ていると、色彩理論などのルールではない原理で作品が成り立っていると考えた方がいいように思えてくるんです。4枚組の金属絵画は、おそらく基本は1枚ずつ見ることが想定されていたと思います。例えばこの1枚をじっと見ていると、緑の色彩が自分の網膜にずっと残り続ける。そして作品から視線を外して白い壁を見ると、自分の目のなかに補色の赤がふっと浮かんでくる。それにさらに色を重ねて、順番に見ていくと、画面に物質としてある色彩と、自分が見ている視覚としての色彩が混ざっていくという。4つの順番をランダムに見て、また戻っていったりすると、自分のなかに、この作品でしかありえない色彩経験ができあがってくるんですね。それは循環というキーワードで言ってもいいと思うし、もっとベタにいうと、ボイスの「誰もが芸術家」という言葉があるように、鑑賞者に能動的な見る姿勢を促しつつ、またそもそも見る人が色彩を「生み出している」という面白さがあるなと思います。
今井 いまの金属絵画の話は面白いなと思います。擬色が見えるとか、補色が白い壁に見えてしまうことは面白い現象ですよね。僕は2007年くらいに初めて金属絵画をアメリカで見たんですが、(自分が)絵描きなのでやっぱり作品の側面を見てしまうんですね。意外ともったり絵の具が塗られていて、結構重ねているんだなと。きっちり塗ろうとしているのにすごく雑に見えて、でもモノとしての佇まいや心地よさもある。キャンバスではないということが彼にとって重要で、地が絵具を吸わないのでプラスしかしないところが面白いなと思いますね。
五月女さんの絵は何色も重ねていて、僕はパレルモを思い出したんですね。キャンバスに吸わせているので全然違うんですが、単純でミニマルな形態を取っているのに、ものすごく時間の厚みがある。最後は真っ黒になってしまうけれどその下にある色がとても重要なんだろうな、と。単純なものでこれだけの想像力を働かせてくれるというのは面白いなと思いました。
五月女 やはり未だに「絵画」というとき、描かれたイメージ自体を分析する場面が多いように感じます。しかし、「コンセプチュアル・ペインティング」という言葉があるかはわかりませんが、いっぽうで、画面の「外側」に広がりを持つ作品も存在します。それが空間なのか、街や社会、政治なのかわかりませんが、そのような豊かなコンテクストをもたせることを可能にしている作家は今の時代においてもそう多くはないのかもしれません。取り巻く空間や時間をその作品の一部としてとらえられるような状況をつくれるという点において、大変稀な作家だと思います。それはまさにボイス作品に近づいているのではないか。
だからこそボイスとの抱き合わせで見せる意味は大きいはずです。いくら言われてもなかなか実感できないものを、立ち止まり、よく観察し、往復しながら繰り返し見ることで、理解が深まる展覧会になると思います。
今井 僕はクネーベルとパレルモの2人展を見てみたいなと昔から思っているんですけど、ボイスとの2人展が先ですよね。
──五月女さんはこの対談の前にメールでやりとりしていた際、「パレルモが如何に開かれた作家なのか」ということをおっしゃってましたね。
五月女 パレルモの作品は、何か具体的な対象を指し示すためにつくられたものではないというところが大事だなと僕は思います。単純な見方をすると何もないようにさえ映ってしまうし、どのようにとらえるかということが鑑賞者に委ねられている。パレルモは政治的な発言をする作家ではないですが、その作品から何を受け取るかということは大切で、僕個人としてはやはり大きな意味で社会に開かれる作品と言ってもいいんじゃないかと思うんですよね。
彼がもしあんなに早く亡くならずに、ボイスと同じくらいの歳まで生きていたら、あの作品をいつまでつくっていたのかなと疑問に思うんです。平らな作品からは離れていたんじゃないかなと。もしかしたら彼が展開していたかもしれない部分を想像してみてもいいかもしれません。
今井 物質としてもギリギリのところで保たれているように見える。金属絵画や壁画は自分の手でやっていますよね。でも布絵画に関しては、自分で縫ってさえいない。布絵画の立ち位置が彼にとってなんだったのかはとても疑問で。彼は布を選んで縫ってもらって、それをストレッチャーに貼るだけ。既製品だけでつくっているけど、ストレッチャーに張ることによって絵画という体裁だけ整えている。壁画すら、彼はローラーではなくブラシで塗っていたわけじゃないですか。なのに布絵画は、市販の布を選んできてそれを縫い合わせて張っているだけですよね。でもかなり長い期間やっていた。
──そうですね、足かけ5~6年はやっていますね。
今井 ほかのドローイングなどもすごく魅力的な筆致があるのに、布絵画には手仕事がまったく見えない。仕事に対して彼は何を思っていたのかという疑問がある反面、彼は展覧会のたびに壁画ばかり描いていたので、売るためにはしょうがなかったのかな、とか。
──布絵画で言うと、彼がどこまでコントロールしていたかはわかりませんが、多くの美術館の「タイトル、制作年、素材・技法、寸法」というキャプションの、「素材・技法」のところに布とストレッチャーが書いてあるんですよね。見えないけれど、木枠というのが素材としてカウントされている。それは当時のほかのペインティングにはないことですよね、普通は「oil on canvas」なので。そこに例えば「cotton, stretcher」と書いてある。
今井 なるほど。「張られている」ということがかなり重要だったんですね。
──そうですね。たぶん布という不定形のものが、木枠と組み合わさることによって何かになる、ということが、彼にとって面白かったんじゃないかなと。
五月女 僕はすぐにボイスのことが出てきてしまうんですが(笑)、それって「結晶が固まって形態ができること」と一緒じゃないですか。不定形からかたちができる、それが流れていってまた固まって、というようなことを繰り返す仕事をしていたのかもしれないなと思いました。
──例えばですが、今井さんの制作では布というものを目の前にして、筆触をあまり見せない画面づくりをされています。そこに布絵画とのアナロジーを無理やりつくる必要はないかもしれませんが、塗るという行為はもちろんそこにあるんだけれども、筆致を見せないというのは何か感覚的なものとしてあるのでしょうか。
今井 僕が洗礼を受けたアメリカの作家たちの影響は大きいと思います。後期ケリーの様な手垢のない仕上げが好きなんです。でもパレルモの金属絵画を見たときの筆致の残り方が、明らかに「絵だな」と思ったんですよ。 絵って豊かだなと感じました。僕の作品はいろんな人に「プリントでいいんじゃないの」と言われるんです。僕は筆致をできるだけ見せたくないのですが、色と色のキワで塗っているときのゆらぎが重要だと思うんですよね。色と色のぶつかり方が均質だと面白くない。そこが、僕が手で塗っている最大の理由です。でも手わざは見せたくないという、変なゆらぎがあるというか。それが僕なりの絵画の豊かさになっていくのかなと思っています。
パレルモは金属絵画で生涯を終えることになるけれど、色にすごく特徴のある作家ですよね。僕もそうですが「色は光」だなと。彼はアルミ板に色をたくさん重ねていくのに、一番最初にちゃんと地の白を塗っている。それも、光を制御したかったからかもしれないなという気がするし、彼は壁画において壁の白を光としてとらえていたのかもしれない。布絵画でも最初の頃に白い作品をつくっていますよね。色というより、彼は光に興味があったんだろうなと思います。金属絵画のほうは刷毛で塗ってあって、刷毛目があるので、見る位置によって全然反射の仕方が違うものに見える。そういうところも彼にとっては重要だったのかなと。クネーベルがパレルモのことを「色彩の魔術師だ」と言っていたと記憶していますが、色彩というよりも、光を操りたかった人だという印象が強い。そうでなければ、金属板に描こうとは思わないんじゃないかな。
いま、「絵」を見ることの重要性
五月女 僕も今井さんの作品もそうだと思いますが、見る側面が固定されると、単純にグラフィカルなものになってしまう。「バランスの美しさ」とかいう話に回収されることが多いと思います。いままでもそうだったし、2021年の現在もたぶんそうだと思う。そういう見方だけではないというか、パレルモを見せることで、見るための深度を深くしてもらえる気がしますね。いわゆる勝負だと思うんです。想像力をいかに働かせるか、見る側にとっては挑まれている感じがする。単純に見ようと思えばなんとなく通り過ぎてしまう。
例えば自分の所属ギャラリーの話ですが、以前イジー・コヴァンダが青山目黒で展示していたのですが、彼の作品はとても繊細なんですよね。それこそ、吐息を吹きかけたら飛んでしまうような、間違えて踏んでしまうような作品だったりする。そういう繊細なものに、見る側は挑まれていると思うんですよね。どれだけそこから考えられるか。それはコンセプチュアルなものの見方を鍛えるいい方法にもなると思います。不定形な、不確かなものに向かってどう想像力を働かせるかという問いかけができれば、楽しい展覧会、鑑賞体験になると思います。
──「パレルモはどういう作家ですか」と聞かれると、ひとまず「画家です」という答え方になってしまう。それは間違っていないのですが、作品自体が、絵画を絵画として成り立たせていくことだけを考えてつくられているわけではなくて、作品がある種のメディウムになっている。あるいは、今井さんがおっしゃったように光への興味を、この世界にあまねく存在しているものを少し組み替えてコントロールしようとする姿勢に読み替えてみたりすると、素材が持っているものをほかのものに置き換えようとする、とか、空間にわずかに揺らぎをもたらす、とか、それがひいては、循環のようなものを生み出し、社会への接続のなかで作品を見るものに能動的な参加をうながすとことにもつながります。そこまで彼が望んでいたかはわからなりませんが、そういったものとして彼の作品を見ることもできます。
今井 そうですね。いまのお話を聞いて思ったのは、作品も彼本人もシャーマンみたいな存在なのかなと。
──それこそボイスっぽい言葉ですね。
今井 結局、何かと何かを媒介して何かを召喚する、ということをやっている。彼の興味に基づいてそれをただやり続けて、生涯を終えてしまったという感じがするんです。自分が34歳になったときにパレルモの年齢を超えて、彼の年齢をもう一回意識したのですが、この歳でこれだけのことができていたって化け物だなと思ったんです。20代の作品を見てもすごいキレがあるし。
──僕がこの展覧会をやろうと思ったのが2016年くらい。それがたしか、今井さんと同じで、自分がパレルモの歳を超えたなと思ったときだったんです。そこから時間が経って、いまになってしまったんですが。
五月女 コロナ禍にあえて言及すると、これだけの情報があふれているにも関わらず、結局は自らが欲する限られたものに集中してしまって、自分で視野を狭めてしまう状態になっていると思うんです。そのなかで、一度立ち戻って、視野を広げていけるような作品を観ることには意味がある。それはビデオとか新しいメディアだけでなくても、可能だということの証明とも言えるのではないでしょうか。
美術界もそうですが、作品はその内容というより形式的なことが話されること多いと思うんです。単体の作品が何を語ろうとしているのかとか、どういう豊かさがあるのかという話ってしづらい。パレルモがいた時代と現代はやっぱり違っていて、ペインティングを描いている身としては、背筋を正さなきゃいけないなという思いはあるんです。よく言われますが「なんでいまペインティングをやっているのか?」という見方もできるわけじゃないですか。そのときに、それでもなおやる意味があるんだということを、少なからず作家は考えなければいけないと思うし、作品として提示する必要があるかはわからないですが、いつも頭の片隅に置かなきゃいけない。そんななかでパレルモのような作家は、いまだからこそ見ておきたい存在です。
今井 いま見る意味はすごく大きい。いまマーケット先行の美術業界で、流行りは絵画や彫刻ではない形態のものか、絵画だったら売れているのは──言い方が悪いですが──バッドでフィギュラティブなペインティングじゃないですか(笑)。日本で作品を買う人はすごく増えましたが、彼らにとっての美術は日本のすごくドメスティックな美術や、ストリートカルチャー寄りなものが多かったりしますよね。でもそれだけではない美術が同時並行で動いていることを認識してもらうためにも、こういうハードな展覧会があることは良いと思います。
──今回の展覧会は、「ボイスがわからない」「パレルモがわからない」という意識から始まっているところがあります。その意味でもなかなかハードかもしれません(笑)。
今井 でも、そういうものをちゃんと見られる環境が用意されるのはすごく大事なことだと思います。これを見てわからなくて、「ボイスって何」「社会彫刻って何」と調べはじめる人がひとりふたり出れば成功じゃないですか。そこからパレルモという作家がいて、同時代にクネーベルやリヒターもいて、アメリカの美術とのつながりがあって......という風にどんどん視野を広げられたらいいのになと思いますね。
──ドイツの作家でもリヒターやキーファーなどはすでに何度も日本で紹介されてきましたがが、別の文脈の、知られていない作家を見せる機会はかなり限られていると感じます。その後はひと息にコンテンポラリーに跳んでしまう。そのギャップに重要な作家が何人もいるはずなのに、それが抜けてしまって語られなくなっているのがもったいないなと。
五月女 そういう意味では極端なものに目が向けられがちですよね。。パレルモのような作家は、さっきから話していてもなかなか何を指し示しているのかわからないぐらいで、多様性とは違うかもしれませんが、豊かではあるわけです。そういうグレーな部分をつくっている作家は、メディアでも取り上げられにくいし、答えを与えてくれないから理解しづらく、難しいものだと捉えられているのが現状です。
社会性といっても色々な意味があって、何も考えていなくてもそこには政治性が含まれているというのと同じで、どういうレベルでどういうものを見るのかということを、自戒も含めて、考えるべき時期が来ているのかなという気がします。
今井 美術手帖でパレルモの話をするというのもすごいことですよね(笑)。僕とか五月女さんがやっている仕事は、日本の美術業界のメインストリームには立ちにくいじゃないですか。だからこそ、そういう作家が好きなんだろうなと。