京都精華大学で陶芸を学んだ中村裕太は、自作にタイルを使う。しかし、それは造形的な使用ではない。中村が素材として扱うのは、タイルを巡る「文脈」である。
「大学教育における陶表現は、生活のための器づくりか、現代陶芸をつくるかの二者択一が付いてまわります。けれども『他にできることがあるのでは?』という疑問がずっとあり、それがタイルと出会うきっかけでした」。
タイルは不思議な素材だ。建築史の文脈では被覆材程度にしか見なされず、陶芸の世界では大量生産可能な産業工芸品として見向きもされない。しかし、歴史を紐解けば、日本人の近代化=西洋化を促した「生活改善運動」において、大正期以前の暗く湿った木造家屋の生活を明るく衛生的なものへと転換したのがタイルの導入であった。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』の中で白色タイルを「ケバケバしい」ものとして批判し、日本家屋古来の空間を褒め称えたが、自邸の浴室にはタイルを使っていた。そういった近代化の屈折を作品化したのが「六本木クロッシング」に出品した《豆腐と油揚げ》(2013)であった。
2018年1月27日まで開催のギャラリー小柳での個展で、中村は同ギャラリーの江戸時代以来の生業であった陶器商(屋号は「丸十」)にちなんだ新作をつくるという。「関東大震災以降、銀座にはバラック建築が急増しました。今回は、その時代の店舗ディスプレイに見立てた空間をギャラリー内に設えますが、単なる歴史資料の展示ではありません。発想の飛躍があるのがアートの楽しいところで、それは小柳さんのお父さんが銀座界隈で行われた『柳まつり』にちなんで『小柳まつり』なんてダジャレ的な催しを考えたことにも通じる気がします」。
(『美術手帖』2017年12月号「ART NAVI」より)