舞台演劇のような絵画空間、ヴァルダ・カイヴァーノに聞く

数色のみで描かれた抽象画。思考の痕跡と身体の所作が、キャンバスに瑞々しく浮かぶヴァルダ・カイヴァーノのペインティングは、その筆触や余白が見る者の想像を無限に掻き立てる。2月4日まで小山登美夫ギャラリーで開催されている個展に際し、常に絵画と向き合い対話を続けてきた作家に、自身と絵画空間の関係について話を聞いた。

島田浩太朗

個展会場にて Photo by mitograph

想像を掻き立てる終わりのない絵画

 アルゼンチン、ブエノスアイレス出身で、ロンドンを拠点に制作を続けるヴァルダ・カイヴァーノは、世代や地域間の差異を超えて、現在もっとも優れた画家の一人として知られる。ロイヤル・カレッジ・オブ・アート大学院在学中からヴィクトリア・ミロ(ロンドン)でのグループ展(2011年)に参加するなど、彼女の絵画作品は初期の頃からつねに注目を浴びてきた。近年では、第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の企画展「エンサイクロペディック・パレス」(2013年)での展示が大きな話題を呼んだ。京都、清澄白河を経て、3年ぶり3度目となる日本での個展のために来日した作家に話を聞いた。

 「今回の個展は、シカゴ大学ルネサンスソサエティでの個展『行為の密度』(2015年)で発表した(グレー、ブルー、ブラウンを基調とした)灰色の絵画と新作を中心に構成しています。2011年のローマでのレジデンス・プログラム参加をきっかけとして、灰色が持つ歴史やその複雑性に興味を抱くようになり、灰色の絵画についての研究を始めました。初期の頃から13年のヴェネチア・ビエンナーレまでは鮮やかな色を用いた作品を制作していましたが、その後、モノクロームな作品世界へと移行することを決めました」。

ヴァルダ・カイヴァーノ 無題 2016 キャンパスに油彩、木炭、コラージュ 52×76.5 cm © Varda Caivano Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 灰色、あるいは灰色の絵画は、西洋において古代から好まれてきたグリザイユという灰色を基調とした単彩画や、ルネサンス以降の素描に見られる灰色のように、白でも黒でもなく、同時にその両方でもあるような、限りなくファジーな特質を持つ。そして灰色がつくりだす絵画空間は、濃淡の微妙な変化や光と影の戯れなど、明暗の繊細な機微の表現を可能にする。

 「私にとって絵画空間とは作品が生成されていくプロセスそのものです。計画と即興が同時に起きている、遊戯的な場です。鑑賞者の眼前にひろがる絵画空間は(描き手によって)すでに決定されたものではなく、鑑賞者の目のなかにおいて解明されるものです。時折、私が自分の絵画を、転移の空間、あるいは内的空間と呼ぶのはそうした理由からです。つまり、絵画とは再現/表象ではなく、詩や音楽における上演のようなものなのです」。

展示風景。ドローイング、ペインティング作品19点が発表された © Varda Caivano Photo by Kenji Takahashi

実験のためのスタジオ 上演のための絵画空間

 制作と観察、そして対話─本格的に絵画を学び始める前に美術史を専門的に学んだ経験を持つヴァルダは、一人の画家であると同時に、冷静に作品を観察分析し批判する一人の美術評論家、あるいは作品と対話することが大好きな一人の美術愛好家(ディレッタント)でもある。

 「ドローイングとペインティングは、それぞれに異なる時間を持っています。ドローイングは、新しい建物をつくるための構造体のようなもので、より構築的な行為ですが、詩や音楽(における楽譜)のように、制作した次の瞬間には何か別のものへと変貌します。いかにして点が線となり、線が面となり、面が三次元のかたちを持つものとなっていくのかという、言語学における表記法とその流動性の問題でもあります。他方、ペインティングは(構造体としての)線や面を拡張させつつも、その痕跡を残していくような行為です」。

 線や色彩、素材や筆触、奥行きや密度といった要素の選択と組み合わせについての発想、配置、表現、記憶、そして発声が日々繰り返される場としての制作スタジオを、ヴァルダはキッチンや実験室に喩える。そこはイメージが生成と消滅を繰り返し、いつまでも未完成のままでいられる、あらゆる可能性に開かれた場所である。

ヴァルダ・カイヴァーノ 無題 2016 キャンパスに油彩、木炭 101.5×76.3 cm © Varda Caivano Courtesy of Tomio Koyama Gallery

 「スタジオではいつも複数の作品を同時に描いています。壁にかかっていたり、床やテーブルの上に置かれていたりするわけですが、......時々、ある作品を持ち上げてみたり、あるいは場所を入れ替えてみたりする ......それは実にダイナミックなプロセスです。(展示のために)作品がスタジオを出るときになってようやく私はそれらの作品が完成したことを確信するのですが、展示室に展示された瞬間に、また作品との新たな対話が始まります」。

 舞台演劇(シアター)のような絵画空間─ヴァルダの作品世界は、時空を超えて、異なる演者や観客による受容と再解釈を経て、幾度も上演され続ける古典のような魅力を放つ。「劇(プレイ)は遊び(プレイ)である」─かつて演出家ピーター・ブルックは日常生活における〈もしも〉が虚構/逃避であるのに対して、演劇における〈もしも〉は実験/真実であると主張した。

 「たしかに絵画空間は舞台演劇に似ているかもしれません。舞台には光や色もあります。特に灰色はとてもシンボリックな存在です。舞台演出においては、光と色によって、夜明けや夕暮れ、昼間や真夜中が表現されます。舞台演劇においてすべてがライブ・パフォーマンスとして上演されるように、絵画空間においても上演について考えることはとても重要なことです」。

ヴァルダ・カイヴァーノ ドローイング作品の展示風景 © Varda Caivano Photo by Kenji Takahashi

 かつてクレーはその著書『造形思考』において、宇宙(コスモス)と混沌(カオス)、秩序と無秩序という対概念によって支配される「生命力の作用」を論じつつも、灰色を「生成と死滅にとっての運命的な点」と位置づけた。多様で複雑な事象を多様で複雑なままに再現/表象すること、そしてその上演に立ち会い、その詩や音楽に耳を傾けること─ヴァルダがつくり出す灰色の絵画空間は、静止することを知らない自然や心象の再現/表象であると同時にその上演でもあるのだ。

『美術手帖』2017年2月号「ARTIST PICK UP」より)

編集部

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