写真を通じて見えてきた自己
──今回の個展「僕が居ようが居まいが」を写真作品で構成しようと考えたのはなぜでしょうか?
まず、僕の見ている景色や世界を垣間見たいという声があり、写真による個展のお話をいただいきました。改めて、自分がこれまで趣味として撮ってきた写真を見返したり、作品として意識してみると、自分がどういったフィルターを通してこの世界を見ているのかということを客観的に考えることができたと思います。展示作品を選ぶときも、自分のなかで直感的にセレクトしていくことで、僕の価値観が立ち上がっていくような経験ができて、とても新鮮でした。

──直感で写真を選んだとのことですが、その選定の基準をあえて言葉にすると、どのような感情に結びついているのでしょう。
僕のなかでは「寂しさ」を感じることが大切だと思っています。自分が撮影した写真を見ながら、胸がキュッとなる感じを探していたり。例えば今回は、ハンガリーの抜けるような空が印象的な風景を撮った作品を出展していますが、広い空の下に1本の大きい木が立っていて、勇ましく見えるはずなのに広すぎる空との対比で、そこに孤独を感じたりする。そういった寂しい感覚を大切にして作品を選んでいると思います。
表現をすることって、僕はすごく孤独なことだと思うんです。自分の孤独な気持ちを紛らわす作業だとも思っていて、今回作品を発表することも「その孤独な感情を自分は大事にしているんだ」ということを確かめるような試みだったと思います。

──それは大森さんが自身の楽曲の歌詞をつくるときにも共通する感覚でしょうか。
共通点はあると思います。ポピュラー・ミュージックをつくっているという自覚があるので、多くの人に音楽を届けるうえで僕が大事にしているのは、自分が先導者ではないという意識です。価値観を定めたりだとか、何かの答え合わせをするために歌詞を書いてるという感覚はありません。あくまでも、そのときに生まれた心情や情景を書きつづり、それをどう読むかは受け取るみなさんに任せる、という姿勢が大切なのではないかと思っています。
Mrs. GREEN APPLEは、前向きなメッセージを届けていると思われることも多いのですが、僕自身はそういう気持ちで歌詞を書いたことはないんです。 読む人によって、感じ方がまったく違なるような歌詞をつくることができたら いいと思っています。その人が、生きてきた経験を投影しながら感じてもらうものだと思うので、そこの余白を残すということは意識しています。



















