「Madeleine(マデリン、マドレーヌ)」という人名とフランスのケーキは、ヒッチコックの映画『めまい』(1958)、そしてマルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』(1913-27)に、ともに記憶の「引き金」として登場する。プルーストの小説では、マドレーヌケーキの特別な香りが主人公の記憶を呼び起こす。ヒッチコックの映画では、マデリンという役が主人公・スコティをカルロッタの墓へ連れて行き、記憶がひもとかれる……ヒッチコックは言うまでもなくプルーストを参照しており、視覚や聴覚といった「遠回り」な手がかりの代わりに、匂いや香りが人間の記憶や感情への「ショートカット」を形成する、のちに「プルースト効果」と呼ばれる現象を示した。そのため匂いは、不随意の記憶を呼び起こしたり、受動的な状態へ「マジカル」かつノスタルジックな感覚を与えたりする、個々人にとって親密なものとみなされてきた。
本年のヴェネチア・ビエンナーレでは、アーティストのクー・ジョンアが韓国館を匂いのオブジェで埋め尽くし、観客に新旧の記憶をもたらすプロジェクト「Odorama Cities」を展開する。クーはこれまでに大規模なインスタレーションを実践してきたが、同時にとても小さく、親密で、ノスタルジックなインスタレーションも手掛けてきた。本プロジェクトは、ブロンズ彫刻、無限大のシンボルが刻まれた木製の床、2本の巨大な「メビウスの帯」、壁画、そして16の香りによるインスタレーションの、5つの要素によって構成されている。キュレーションはヤコブ・ファブリシウスとイ・ソルヒが担当し、「香りの記憶」に関する大規模なオンライン調査も実施。朝鮮半島全土から600を超える香りが寄せられ、多くが自分自身の経験に関する日用品を挙げている。
本稿ではビエンナーレの開幕に先立ち、上述のアーティストとキュレーターへ書面インタビューを行い、プロジェクトがどのように構想され発展していったのか、そして個人的な経験が普遍的な感覚をもたらす可能性について聞いた。
香りで分断を縮める
──「香りの記憶」についてのアンケートでは、何件ほどの回答を得たのでしょうか?
クー・ジョンア(以下、クー) 私たちは、公募によって600の香りのストーリーを集めました。世界中の匿名の人々から寄せられた香りのストーリーには驚かされています。それらは非常に複雑で、都市や自然、非常に古い記憶から最近の韓国まで、様々なものに関連しています。そうした記憶は、生体分子や建築的な規範の影響から残ってきたものです。
──アンケートの結果についてどのようにお考えですか?