「イラストレーター」であり続けること
──宇野さんは、画家や芸術家と名乗らずイラストレーターにとどまり続けています。ポリシーがあるのでしょうか?
昔働いていた日本デザインセンターの先輩が、僕のことを幇間(ほうかん)、つまり太鼓持ちと評したんです。場を賑やかにする芸者とスポンサー的なお金持ちの旦那がいて──イラストレーターの場合、それは企業や出版社や新聞社だったりするわけですけど──芸者や旦那を面白がらせて、自分も楽しんでいる大鼓持ちがいる。いわば自分で芸をやる画家とは違って、太鼓持ちのイラストレーターは、こういうメディアとテーマでやってほしいと言うスポンサー側の要求に応えます。僕はこれが自分の言いたいことだと言わずに、よそからきたテーマに対して、ターゲットは女か男か、若い人か否かとか、そういう計算をしながら、視覚化していくのが面白い。だから幇間とは、うまいこと言うなと思ったんです。
会社に入る前ですが、演劇をやっている先輩に、絵を提供したことがあって、そのときに「日本を確立するためにはもう少し思想を持て。センチメンタルな絵では日本は再建できないぞ」と言われたことがあります。でも自分で言いたいことがあんまりないのに、「何か思想を持たなきゃいけないのか」って反発心がありましたね。
ちょっと前までは自分でデザインもしてたんですけど、いまはデザイナーのところに原画を渡してつくってもらう。デザイナーの才能を遊ばせてあげるという感じで委ねて、自分が考えてもいないような現象や、いろんな変容の可能性を楽しんでいます。
──小学6年生で終戦を迎えました。幼少期は戦争の影響が色濃いですね。