坂 茂インタビュー。建築と災害支援の両輪を担う建築家

建築家・坂 茂は、フランスのポンピドゥー・センター・メスや、国内では静岡県富士山世界遺産センター、大分県立美術館など、数々の代表的な建築を手がけてきた。そのいっぽうで注目が集まるのは、坂が代表を務めるNPO法人ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)による災害支援活動だ。避難所に赴き、紙管を用いた復興住宅や自身が考案した「紙の間仕切りシステム(PPS)」を展開することで、避難環境の改善やプライバシー保護といった精神的な安全性を守ることに従事している。本インタビューでは、その災害支援活動をメインに、紙管建築やPPSの開発、NPO法人の設立のきっかけ、そして坂が現場で感じる課題感について、直近のウクライナ侵攻やガザ紛争、能登半島地震などの事例から話を聞いた。

聞き手・文=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部) 撮影=稲葉真

建築家・坂 茂氏

建築と災害支援の両輪を担う

──1985年頃に坂茂建築設計を設立し、その後パリとニューヨークにもオフィスを展開させるなどグローバルにご活躍されている坂さん。建築家としてのスタートから40年弱が経過した現在、総勢何人くらいのスタッフと、いくつのプロジェクトを進行しているのでしょうか。

坂 茂(以下、坂) 東京のオフィスには45人くらいで、パリには現在20人弱ぐらいが在籍しているかと思います。フランスではプロジェクトごとに契約をしているので、大きなプロジェクトの際には30人以上いたりもします。ニューヨークにも現在10人ほど在籍していますが、コロナ以降は皆様々な場所で仕事に当たっています。ヨーロッパのプロジェクトはパリのオフィスが、アメリカのものはニューヨークのオフィスが動く、といったかたちです。

──数々の代表的建築を生み出してきた坂さんが建築家を志した経緯について改めて教えてください。

 幼い頃は大工を目指していました。家の増改築を見ていて、憧れがあったんです。その頃は建築家という職業があることを知りませんでしたから。中学生になると、学校の技術・家庭科で、住宅設計の授業がありました。夏休みには宿題で住宅模型をつくるという機会があったのですが、それがすごく得意でした。それがきっかけで建築の勉強を始めました。

──いままで手がけてきた建築プロジェクトのなかで、坂さんにとって転機となったものをいくつか教えてください。

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