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閉館目前に平田オリザが語った、こまばアゴラ劇場の先駆性。「民間の小劇場としてやれることは限界までやった」

2024年5月末をもって閉館すると発表された、東京・目黒区の「こまばアゴラ劇場」。同劇場の開館から約40年にわたる歴史を、芸術総監督を務める平田オリザにインタビュー。見えてきたのは、演劇を取り巻く時代の変化と場所性、未来を見据えた挑戦の軌跡だった。

聞き手・文=望月花妃 撮影=軍司拓実

こまばアゴラ劇場 外観

開館と閉館、それぞれの背景

──閉館が決まったこまばアゴラ劇場について、まず開館の経緯をお聞かせください。

 この劇場の始まりは、僕の父が1984年に自宅を改装して建てたというものでした。当時ここは木造の2階建てで、表側は商店街。それも昭和の時代ですから、商店街もまだお店がたくさんありました。僕の父は売れないシナリオライターでしたが、若い頃に演劇をやっていたので自宅を劇場にするのが夢だったんでしょうね。僕は大学に入学して僕の姉も社会人になって、子育てが落ち着いた頃合いに夢を実現しようと思ったんでしょう。自宅があったこの土地を担保にして、銀行から融資を受けて、劇場を建てたんです。

 ただ、準備不足な面が多く消防法に引っかかってしまいます。指導に従って工事を進めていくうちに、さらに2000万円ほどかかってしまった。柿落としとして、ご縁が重なった映画監督の大林宣彦さんが制作する映画を上映するはずでしたが、もちろん叶いませんでした。赤字が膨らみ続けるなか、僕が1986年の大学卒業を機に支配人(当時)に就任して、以来この劇場の経営をしてきました。

こまばアゴラ劇場 外観

──お父さまに代わってオリザさんが支配人になられる際に、ご家族ではどのような話がありましたか。

 話し合いも何も、ずっと家計が傾いていて大変でしたから。僕は就職してもよかったんですが、大学でやっていた演劇を続けるかというのもありましたし、劇場は人を雇うような余裕もないし、誰がどう見ても父よりはまだ僕のほうが経営のセンスがあったので、自然な成り行きでしたね。当時はバブルに突っ込んでいく時代で、僕は家庭教師をして稼ぎつつ、支配人として劇場を運営していくというかたちになりました。

──開館以来40年続いてきたこまばアゴラ劇場の閉館が発表されました。この理由や経緯について、改めてお聞かせいただけますか。

 継承ももちろん考えていましたが、元々あった借金を返しきれていないわけですから、このまま誰かに譲るというのは無理だったんです。そこで、ここは売却して、僕自身は江原河畔劇場を含む豊岡での活動に注力しようと考えました。

 完済しかけた時期もありましたが、その分を新しくつくっていた江原河畔劇場(2020年4月オープン)に再投資したんです。こっちも新型コロナウイルス感染症の影響を受けてオープニング演目などはすべて上演中止になりましたし、僕自身も海外の公演が中止が相次ぐといった時期が3年も続いたので、借金は残ったままでした。

こまばアゴラ劇場にて、平田オリザ

──売却されるのは、土地だけではなく建物ごとになるんでしょうか。

 はい、建物ごとですね。ただ、売却した後がどうなるかは言ってはいけないことになっています。「このまま劇場として続けてください」という条件でもありません。そもそも売却自体はずっと、自分の選択肢としてはあったんですよ。

 ちゃんと決めたのは2023年の2月ごろでした。銀行関係や不動産関係の知人に相談して内々に売却先を探していたところ、担当者も驚く好条件が提示されて急遽決まったんです。当初は2年ほどかけてゆっくり探す予定でしたから、劇場でも2024年4月以降の上演を募集していましたが、それもストップしました。

こまばアゴラ劇場はなぜユニークだったのか

──こまばアゴラ劇場の存在意義や理念について、オリザさんはどのようにお考えになってきましたか。

 成り行きで支配人になってからしばらくして、貸劇場というシステム自体に違和感を抱くようになっていたんです。つまり、「劇場は不動産業なのか」という疑問を抱いていました。

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