──2015年9月の「Rhus Verniciflua」展は、日本文化に根付いた素材である漆を素材として用いた新作を中心に構成されています。まずは、本展に出品している作品についてお聞かせください。
私は日本が大好きで、訪れるのは今回で14回目です。漆の樹液とおが屑を素材とした平面作品は、秋田県の職人の手でつくられた漆パネルをもとに制作しました。
漆に興味を持ったきっかけは、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』(1933-34)です。独特の反射の仕方や、光を必要としない美しさに魅力を感じました。ピンク色を選んだのは、桜の色を表現したかったからです。
新作の立体作品は、フィールドリサーチで採取した火山岩に、陶芸の手法を使って金色の釉薬を施したものです。
──今回の展示では、平面作品と立体作品を同時に展示しています。空間における絵画と彫刻の関係性については、どのように考えられていますか?
同じ空間に展示されている作品同士がコミュニケートすることが重要だと考えています。作品にかぎらず、事物は環境によってまったく違った存在となる可能性がありますよね。
出品している立体作品の美しさは、周りのものの色を反射するという点にあります。周囲に平面作品が展示されていることで、立体作品そのものの金色と映り込んだ平面作品のピンク色の2つの属性をもつことになり、どちらの色とも違った、色彩の魅力を生むのです。
──この空間全体をインスタレーションとしてとらえられているのでしょうか?
もちろん、物体を配置して空間を構成することにも関心がありますし、そういった意味では本展にはインスタレーション的な側面があるともいえます。しかし、私の作品の本質はむしろ、制作過程における偶然性にあります。
──制作過程における偶然性とは、具体的にどのようなものでしょうか。
私が作品制作において重視しているのは「過程」と「素材」です。まず完成形をイメージしてから、どのような過程を経るかを決める作家が多いと思いますが、私は真逆のやり方をします。予期せぬ展開を求めて素材に向き合う実験の過程から、作品が生まれるのです。だから、制作する際には、最終的な作品の完成形ではなく、素材の研究や実験といった過程を中心に考えています。私にとっての創造性とは、「不完全なもの」に対する探求心なのです。
──制作活動の中心は、探求のプロセスなのですね。しかし、作品の最終形態を目にする鑑賞者に、制作の過程について伝えることは、難しいことでもあると思います。ご自身の作品と鑑賞者の関係については、どのように考えられていますか。
作品をどう見るかのヒントを鑑賞者に与えることが、私はあまり好きではありません。作品の理解とは、外から与えられる情報に基づくのではなく、内面的なものであるべきだと思っているからです。作品の意味は、鑑賞者自身の創造性に由来すると思います。
だから私は、作品を展示するときに各作品について説明しません。本当なら、タイトルもつけたくないくらいです。今回の展示タイトル「ルス・フェルニシフルア(Rhus Verniciflua)」とは、漆の学名です。あえて、作品が示すものとは遠い、素材名をタイトルとしました。
──ソディさんは、素材の収集に膨大な時間とエネルギーを使われています。なぜ、素材に対してそれほど強いこだわりを持っているのでしょうか?
素材を使った実験が大好きですし、素材自体の力を信じているからです。私はいまも、神をつくるためにさまざまな素材を探す錬金術を信じています。子どもっぽいところがあるのかもしれませんね。
── 一見してこの作品の素材が漆であることに気づく人は多くないのではないかと思います。作品にかんする事実や真意が鑑賞者に伝わらないことに対して、ジレンマを感じることはないのでしょうか。
私の作品について何か勘違いする人がいたとしても、それは異なる意見として興味深いことだと思います。作品は、考える余地のある開かれたものであるべきです。
テキストなどを通じて、アーティスト自身が「何を考えるべきか」を鑑賞者に示すような展示が、年々増えているように感じます。紙に書いてある説明を読んだのに作品を理解できない、というようなことも起こります。私はそういった作品があまり好きではありません。作品自体について「理解」されなくても、考え、推測する機会を与えられるものをつくりたいと思っています。
美術に限らず、美とは不完全で、偶発的で、予測できないものであるべきだと考えています。また、自発的で、読み取りやすいものであることも重要です。美しいものを見ると、自然と心の中に何かが湧き出ます。説明が必要なものは、美しいとはいえないのではないでしょうか。
重要なことは、特定の考え方を伝達することではなく、見る人に考えさせること、そして楽しませること。私の作品がその人の人生に、何か前向きなものを与えられれば嬉しいですね。
── 一方で、あなたの作品に非常に高い値段がつけられ、売買されていることについては、どのようにお考えですか?
これは難しい問題ですね。自分が好きなことをして生活できているのは、もちろんとても幸運なことだと感じています。しかし、楽しみのために制作した作品が高価な値段で売られていることについて、違和感を感じるのも実情です。
そしてこういったことは、私がメキシコに「カサワビ基金」を設立した理由のひとつでもあります。私が稼いだお金を、自分ほど幸運ではないアーティストたちや地域のコミュニティに還元したいと考え、この基金を設立しました。メキシコのアートシーンは、とても勢いのある時期を迎えていて、面白い活動をしている将来有望なアーティストがたくさんいます。
「カサワビ」という名前は、「侘び寂び」からとっています。過度に変化せず順応性のある、オーガニックな基金をつくりたいと思い、質素であることに価値をおく「侘び寂び」という考え方に共感したのです。また、「侘び寂び」の思想を表現する建築家の安藤忠雄さんに基金を設計していただけたことも、由来のひとつです。
いずれにせよ、マーケットや価格は作品自体とはなんの関係もないとととらえて、お金ではなく作品の美のために、私は挑戦を続けていくつもりです。
──日本の文化や哲学への共感は、基金の活動にも反映されていたのですね。では最後に、今後の活動についてお聞かせください。
現在制作しているのは、大量の粘土をキューブ状に成型した作品です。この作品もまた、素材研究や実験を経て、当初の計画とはまったく違う形になりましたが、それも美しい驚きといえます。
コントロールのきかない状態にこそ、作品の固有性は表れます。それは、大自然に囲まれているときのように、「いま、ここにいる」感覚を、思い起こさせてくれるものなのではないでしょうか。
PROFILE
ボスコ・ソディ 1970年メキシコシティ生まれ。メキシコで絵画を、スペインで写真を学ぶ。現在、バルセロナとベルリンを拠点に活動。主な個展に、15年Galeria Hilario Galguera(メキシコ)、14年Galeria Fernando Santos(ポルトガル)など。07年には文化交流プログラムの一環としてTWS青山のクリエーター・イン・レジデンスに滞在したほか、日本国内でも個展を多数開催している。