光の実験室:光に包まれる空間には様々な生がある
──いままでほぼ40年近く、あなたの作品制作の全過程を近くで見守ることができたのは、とても幸せなことでした。1980年代末にグループ展で作品を初めて見て以降、90年代初めにMoMA PS1に通った時期に重ねた対話、そして95年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展でナム・ジュン・パイク先生がサポートしてくださった「トラのしっぽ」展を進める過程でともに考え、制作に携わったことは、印象深く記憶に残っています。
あなたの作品は、とても瞑想的かつ強烈なエネルギーを帯びているため、観る者たちの心に強い共感と慰めを呼び起こすという特徴があると思います。何よりも作品一つひとつが生命力を持ち、歳月が過ぎても変わり続ける点でも秀でていますね。例えば、1980〜90年代に制作され、その特定の問題を反映した作品が今日でも変わらず同時代の作品として再読されたり、展示企画者たちの関心によって同じ作品でも多方面から再解釈できるというのは、あなたの作品世界が持つ唯一無二の力だと思います。私は、針が布や対象にふれ合う点から、縫う行為がつくり出す人と人とのネットワークの問題、そしてポッタリ(風呂敷包み)の移動と包容の概念が人間世界を超え、自然や光とともに宇宙にまで概念的に拡張していく、その過程に注目しています。これを包括的に定義して、あなたの作品世界は「点から無限への旅程」と言ってもいいかもしれません。
その作品世界は、時代性に言及する意味があまりないくらい、作品一つひとつが現在性と全体性を備えています。ですから今日の対話は、苦戦した最近のプロジェクトから始め、自由な時間旅行をするのはどうでしょうか。いま進行中のプロジェクトのなかで、コペンハーゲンのフレデリクスベア美術館にあるシスターネルネに設置されている作品《Weaving the Light》(2023)について、まず紹介していただければと思います。かつての地下貯水池を活用した展覧会場なので、まったく自然光が入らない空間に光を導入したと聞きました。制作についてお聞かせください。

Site-specific installation consisting 48 diffraction panels. Installation view at Cisternerne, Frederiksberg Museums, Denmark, 2023
Courtesy of Frederiksberg Museums and Kimsooja Studio. Photo by Torben Eskerod
キムスージャ(以下、キム) 私はいままで、光がまったくない暗闇のなかで光をつくり出し、それにさらに反応するといった制作を行ったことはありません。今回は4400平米ほどの規模で、3つの地下室に分けられているシスターネルネという昔の地下貯水池で制作しなくてはならず、そこは100パーセントの湿度をつねに維持する水が存在するという特殊な空間でした。もちろん、水を全部抜いてしまうという選択肢もありましたが、それはあえてしませんでした。
1つ目の地下室に降りていくと床が濡れており湿度が非常に高く、2番目の地下室は1番目の部屋に比べて水がたまっていて、三番目の地下室は水が満杯に溜まっていました。私は暗闇と鏡の代わりになる水、そしてこの3つの地下室全体をひとつの経験のスペクトルととらえ、どうすればその状況を充分に解釈し、実体化し、そして観客に何か特別な体験を与えることができるのか悩みました。その結果、私がこれまで使ったことのない人工の光を暗闇にもたらすという表現を思いついたのです。

Site-specific installation consisting 48 diffraction panels. Installation view at Cisternerne, Frederiksberg Museums, Denmark, 2023
Courtesy of Frederiksberg Museums and Kimsooja Studio. Photo by Torben Eskerod
それまでは、オブジェや新しい空間などの建築的な要素を新たに制作するのではなく、与えられた空間条件のなかに最小限に介入し、最大限の経験で応答するという姿勢で制作を続けてきました。シスターネルネの空間形態は、フランス・ボルドーのCAPCボルドー現代美術館と同様、赤壁のアーチ型をしていました。この暗い空間の中で、私はアーチ状の建築的空間全体に、光のタブローであるアクリルパネルを吊り下げました。私はガラス窓のあるアーチ型の構造物に回折格子フィルムを使用したことはあるのですが、今回はなかったので、ガラス窓の代わりに総数48個の大型アクリルパネルを設置し、回折格子フィルムを付着させました。そして、空間と位置ごとにそれぞれ異なる光源を用い、角度や光の強度を細かく調節しながら、互いに影響し合う光のスペクトルを演出しました。いわば、その空間全体をひとつの光の実験室ととらえたのです。
この光の実験室で私は、出発点から3番目の地下室に至るまでに、観客が徐々に経験を拡張できるような空間を演出してみました。2番目の地下室は10〜20センチメートルほどの水で満ちているため、観客が木でできた歩道を使って水際まで行けるようにしつらえ、フィルムを通過しながら鏡の効果によって水面に拡散された光による虹の饗宴を見ることができるようにしました。観客が水際を歩くとき、木のパネルの振動によって生じた細かい波が遠くまで連動していく様相を見ることができるわけです。そして最後に3番目の地下室では、多様なスペクトルの光のパノラマを一目で見ることができるように設置しました。
つねに湿度100パーセントの空間なので、冬はとても寒いうえ、水がいっぱいに満ちており、電気照明を設置するにはかなり苦戦しました。しかしながら、きわめて困難な空間条件下でも、現場のスタッフたちの豊かな作業経験のおかげで予想外の成功を収めることができました。私は今回のプロジェクトが、これまでの光の表現の集大成でありながらも、新たな一幕を開いたと感じています。

Site-specific installation consisting 48 diffraction panels. Installation view at Cisternerne, Frederiksberg Museums, Denmark, 2023
Courtesy of Frederiksberg Museums and Kimsooja Studio. Photo by Torben Eskerod
──光の実験室という、人工光を利用したプロジェクトが新たな一歩となったことは大変興味深いです。これからも一層期待できますね。
キム また特別と言っていいのは、私がこの作品を概念的にとらえ、展示タイトルを《Weaving the Light》としたことです。つまり、光を編むという概念に基づいて、このプロジェクトを進行したわけです。約40年に及ぶ制作過程において私は、裁縫すること、編むこと、そして包むことというテキスタイルに関わる行為と実験を、呼吸し、眺め、歩くことなどを通し、あるいは家事労働という日常的な行為を通して、発展させてきました。そして今回は、光を製織(織物のようにつくる)する行為として可視化してみたのです。実際には光が自ずと織り成すのですが、あたかも私が(あるいは観客が)光を織り成しつくり出しているかのように、製織の主体を擬人化し、光のスペクトルや針の形象、機能などと結びつけて、その空間内で積極的に体験できるようにしました。
──これまで制作してきたのは主に自然光を用いた作品なので、作家が作品で追求する方向性と実際の自然光が時々刻々と変わりながらつくり出す、いわば、コントロールすることのできない状況と出合う体験だったのですね。「光の実験室」という概念のように、今回の制作を契機に、光のないところに人為的に光を持ち込む、いわば製織する、つくり出していくという、より積極的な介入を始めたという印象を受けます。
キム 光をコントロールするというのが新しい要素であり、その過程を通じて生まれる観客の意図しない動きや、パフォーマンスによって無限の光の言語が誕生する瞬間が私にとっても、とくに魅力的なのです。
──新しい試みについてお話を聞くことができて良かったです。これまでの作品を振り返ると、あなたは「光」を非常に重要な媒介として扱ってきました。「光」を扱う作家もいますが、彼らの表現はなんらかの形態や造形として結実するものだ言えます。他方、あなたの作品は光と空間との相互関係による、形の定まらないものです。展覧会場である建築物の窓をひとつの契機としてとらえ、内と外の空間すべてを盛り込んだ様相を見ることができるようにしたと言えます。光を通じて無限の機能性を展望させてくれると思うのですが、光を扱うことになった契機や光に対する考えを、もう少し聞かせてください。
キム 実際、色から光への転換を初めに試みたのは2003年、劇場の照明を初めて使用したニューヨークのアートスペース「ザ・キッチン」でのコラボレーション時であり、以後、劇場の照明をポータブル形式に再現したヴィデオ・プロジェクションを通じて取り組み続けてきました。

Single channel video projection, 10:40 loop
Installation view at Gran Teatro, La Fenice, Venice, Italy, 2006
Courtesy of Kimsooja Studio. Photo by Luca Campigotto
ザ・キッチンでリンダ・ヤブロンスキーが企画した「Spotlight Readings」では、《To Breathe – Invisible Mirror / Invisible Needle》の原型となる舞台照明を初めてスクリーン・プロジェクションしながら、ひとつのステージ作品として公開しました。この作品の前にMoMA PS1スタジオで制作した、布とはしご、パスタマシーンなどのオブジェを使った初期の作品《Deductive Object》で電球を初めて導入し、アン・ソヨン先生とともに参加した「トラのしっぽ」展でも、色であり、物質でもある布を古びた倉庫の壁の穴に差し込み、ポッタリ(風呂敷包み)の作品を隅に設置し、蛍光灯を壁に立てかけておきましたね。それ以後、クリスタルパレス(ソフィア王妃芸術センター)で初めて自然光と回折格子フィルムを用いた《To Breathe – A Mirror woman》(2006/08)を制作しました。キャンバス布の縦糸と横糸の十字の表面と構造から派生するペインティングのあらゆる作業の基盤が、回折格子フィルムというナノスケールの十字形スクラッチというプリズムを通し、虹の光に変換されたのは、私にとってまさに絵画に対する根本的な問いが生まれた瞬間でした。それはひとつの転換点であり、ある意味そのときから私の制作は、色から光へと概念と次元が拡張されたと言えます。

Installation view at the Crystal Palace, Museo nacional centro de Arte Reina Sofía, Madrid, Spain, 2006
Courtesy of Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía and Kimsooja Studio. Photo by Jaeho Chong
そして私が回折格子フィルムを使うようになったことは、1970年代末から80年代初めにつねに考え探ってきた平面、あるいは世界の構造、言語と精神の構造としての垂直と水平を表す十字記号とも関連しています。私はとくに韓国の建築、家具、ハングルの構造や自然の諸現像を注意深く観察し、研究して大学院で論文にまでまとめました。そうした蓄積が結果的には、私が問うてきた絵画における平面性、そして絵画の表面と構造の問題をさらに深く考えさせることになったのです。
回折格子フィルムの1センチメートル内には、ほとんどナノスケールの約5千個の垂直と水平からなるスクラッチがあり、光がその面に届く瞬間、回折して透明となり、反射して五方色の光の筋を誕生させるのです。私が長いあいだ探し求めてきた世界の構造、平面の構造と連携した問いが、この回折格子フィルムを使った光の表現へとつながったのは、必然だったと思います。そのときから光への旅が始まったと言えます。ですから、ほかの作家たちが使用する光と私が使用する光は、文脈がかなり異なっていると言えるでしょう。私は、より美術的な文脈において根本的な構造かつ材料として光を扱ったのです。

Installation view at the Crystal Palace, Museo nacional centro de Arte Reina Sofía, Madrid, Spain, 2006
Courtesy of Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofía and Kimsooja Studio. Photo by Jaeho Chong
クリスタルパレスで制作した作品の場合は、私がこれまで積み重ねてきたポッタリ(風呂敷包みの作業)という表現方法を建築物へと応用した点でも、より決定的な契機になったと言えます。透明な建築物をフィルムで覆ったことで、建築的なポッタリが生まれたのです。空いた空間を包み、光とパフォーマーの生が出合うことで、同時に生きている人の様々な生も一緒に包まれると、とらえています。
縫うと織る:呼吸することであり、生きること
──製織の概念を拡張させ、新たな材料や建築構造物を使用したのに加え、あなたはそこに「To Breathe」という前提を掲げています。以前からその前提を重視してきたがゆえに、物理的な空間自体が生と連関し、私たちがそのなかでともに呼吸し感じることができる可能性を得るわけでしょう。「To Breathe」という概念を導入し探求することになった背景についても、お話しいただけますか。
キム 回折格子フィルムを使用したのは、私がそれをひとつの布として見たからであり、それゆえ概念的にはポッタリ、すなわち風呂敷で包むという表現に適していると考えたからです。
要するに、吸い込む息と吐き出す息が絶え間なく交差する「呼吸」という概念を取り入れたわけなのですが、いわば息が停止した瞬間を私たちは死と見なすでしょう。つまり、裁縫することや編むことと同じように、境界を行き来する現象としての呼吸を取り入れた作品は、生と死、あるいは自己と他者を結ぶものと言えるのです。
つねに垂直と水平の空間として次元と概念を拡張する私の制作活動において、二元性の問題は絶えず進化する重要なひとつの軸だと言えます。ちなみに、ここで言う二元性とは、二元性として終わるのではなく、無限大に生成され、変化し、消滅し、変異されながら再解釈され、それがまたほかの世界を創出するという意味を持っています。ですからアイディアはふっとにわかに、稲妻のように浮かび上がり、二元性についての私の認識に概念的な進化をもたらしてくれるのです。

──あなたの作品自体がきわめて普遍的なメッセージを持っているので、ともすれば私たちの考える生と距離感が生じてしまう可能性があります。にもかかわらず、その表現は実際に生きて呼吸するかのように、現実の生と連結している。「針の女」シリーズのように、作家が「呼吸する」というコンセプトを与えたため、空間自体が有機体のようになり、経験する者の生までも巻き込むように感じられました。
キム 1980年代初めに執筆した、大学院時代の論文の話に再び戻ることになりますが、そのとき私は、垂直と水平、十字形の記号の普遍性と遺伝性について書きました。私は、モダニズム以降の現代美術界において数多くの作家が十字形を扱ってきた過程を見てきたので、大変興味をそそられたのです。現代美術が独創性と独自性を追求しているものであるにもかかわらず、なぜ私を含めた多くの作家たちが生涯のある時点でこの十字形に出合うようになるのかについて研究しました。その結果、カール・グスタフ・ユングの提唱する心の原型、マンダラに至ったのです。心象の形態が十字形から始まり、だんだん拡散する形態へと向かう、という考え方なのですが、それを私は心理学的な側面のみならず造形芸術の側面にも当てはめて考えました。つまり、私たちの心の原型が十字形であるために、本質にたどり着こうと努力すれば必然的に十字形に出合ってしまうという結論に至ったのです。
「To Breathe」というタイトルは、こうした形而上学的アプローチと物質的解釈が制作過程で同時に展開した結果だと言えます。同じ文脈で考えたとき、ポッタリの作品も、その風呂敷を広げた布の平面性、そしてそれで包んだ形状の立体的な側面が、まさに私たちの身体の誕生と死、記憶と生の哀歓を盛り込めたひとつのオブジェとして形而上学的かつ物質的解釈を伝えることができるのではないか、と思ったのです。そして、このような問いかけを通して、観客と作品が近づくことができたのではないか。いま一度言えば、「Weaving is breathing and breathing is living(織ることは呼吸であり、呼吸は生きることだ)」という思惟の転換によって、私の生と表現形式に対する態度を表すことができるのです。

Site-specific installation with diffraction grating film
「時を超えるイヴ・クラインの想像力―不確かさと非物質的なるもの」展(金沢21世紀美術館、石川)の展示風景より
Courtesy of 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa and Kimsooja Studio. Photo by IKEDA Hiraku
──個人的な質問をしてもよいでしょうか? 最近お亡くなりになったあなたのパートナーは精神科医でしたが、お二人はたくさんの会話を交わし、インスピレーションを与え合ったと思います。私がサムスン美術館プラトーにいたとき、彼はひとりで私の展覧会を観に来て、『山海経』を置いていったことがあります。それくらい美術に対しても関心があったようですが、あなたの人間と宇宙、垂直と水平に対する考えについて、対話することはあったのでしょうか?
キム 長い時間を通じて非常に多くの対話を重ねてきたのは事実ですが、私たちが初めて出会ったのは、私が大学院で論文を書いていたときです。その当時は美術に関してお互い詳しい話をしませんでした。彼も美術にふれる機会がほとんどなかったのだと思います。けれども、生と体、精神についての本質的な問いをつねに念頭に置いて生きていた人です。実際、以前の私の作品のなかで《Deductive Object - Remembrance》(1991)というオブジェがあるのですが、それは仏教で僧侶たちが座禅するときに使う墨色の刺し子の敷物についている木の杖に小さな古い布の切れ端を丸く結び垂らし、丸い模様のスチールフレーム装飾を包帯で巻いて立てかけたものでした。それを見た夫は、全面的に私の芸術を信じることにした、これを精神科的な教科書にするよ、と言ったのです。

Used Monk's Mattress, used Korean clothing fragments, acrylic, wood, steel decoration, bandage
183x129.5x43cm
Courtesy of Kimsooja Studio.
──彼にとってあなたは、自分の考えを可視化してくれる人だったのではないでしょうか。実際、あなたの作品には特定の宗教が反映されているわけではないですが、宗教的な要素が複雑に絡み合ってもいます。前述した光を扱った作品は、建築物に備え付けられていたガラス窓を活用したものなので、ごく自然にステンドグラスの伝統と連なるものに見えます。フランスのメッツ大聖堂のステンドグラスを制作したという話も聞きました。展覧会に向けた制作とは異なる、きわめて特別な経験だったと思いますが、それについても聞かせてください。
キム フランスでもっとも美しい聖堂のひとつとして知られるメッツ大聖堂の永久的なステンドグラスを制作することになったのは大変光栄でした。同時に、とても歴史のある空間であったので、大きなプレッシャーを抱えながら制作に取り組みました。

Permanent stained glass installation commissioned on the occasion of the 800th anniversary of the Cathédrale Saint-Étienne de Metz.
Courtesy of Axel Vervoordt Gallery and Kimsooja Studio. Photo by Jan Liegeois
初めはナノプリマで実験的な作品をつくろうとしました。ところが実際、空間に材料を仮置きしてみたら、観客からの距離が遠すぎて、ナノ構造が持つディテールの美しさや光の動きを見せるのが難しかった。とりわけ歴史的な概念を管理し意思決定を下す機関である大聖堂は、何をおいても伝統を重要視し、守らなくてはならないため、新物質であるナノプリマ材料の使用承認もなかなか受けることができませんでした。結局、私は手工の古代ガラスと、新たに開発されたダイクロガラスを一緒に使う代案を提示しました。それによりダイクロガラスが虹色に発光し、観客が移動するにつれて異なるように見えるため、結果的には、壊れやすいナノプリマをまとわせたガラスを使うより良い解決策となりましたし、古典的なステンドグラスとは違った新しい表現方法を提示することになったので、私にとっても大きな意味を持ちました。とくにステンドグラスを制作したフランスのアトリエ「パロ」は、ノートルダム大聖堂を復元するチームでした。最高の協働者たちと制作過程をともにする良い経験となったと同時に、私がガラスという物質を新たに取り入れる契機となりました。最近もガラスを用いた施策に感心を持ち続け、いろいろと実験中です。
このプロジェクトはカトリック聖堂で遂行されましたが、実際、私はどの宗教に対して理解したいと思っています。もちろん、私も夫も実家は代々カトリックであり、私は一時期カトリックの学校に通っていたため、かなり馴染みのある親和的な空間でもあります。ただ、ステンドグラスの色を決めるにあたっては、相変わらず五方色を適用しました。五方色とはもともと、道教や儒教、ひいては仏教にも出てくる色の領域であり方位や次元を表すため、五方色と聖堂の出合いは、ある意味西洋の虹と東洋の五方色の興味深い出合いとも言えます。

Permanent stained glass installation commissioned on the occasion of the 800th anniversary of the Cathédrale Saint-Étienne de Metz.
Courtesy of Axel Vervoordt Gallery and Kimsooja Studio. Photo by Jaeho Chong
さらに、聖堂のガラス窓はダイヤモンド型だったのですが、仏教においてダイヤモンド型は完成された自我を象徴するため、私にとっては大変意味深い視点となりました。このように私自身の解釈によって複数の要素を併置させるのは、歴史的記念碑である聖堂に対する急進的なアプローチとも言えますが、聖堂側は寛容に受け入れてくれました。
──同じようにフランス・ポワティエでの展示「通過/キムスージャ」(2019)の一環としてノートルダム大聖堂に設置した《Solarescope》(2019)という作品にも五方色をお使いになりました。五方色には、本来は共存できない事柄を包容する面があると理解しました。お話をしていると、私と一緒にサムスン美術館プラトーの「地獄の門」前に設置した《Lotus: Zone of Zero》(2011)という作品が思い出されます。天井に吊った巨大な燃燈仏から音が鳴りだしたわけですが、各宗教の聖歌を一斉に流すというものでしたね。

Site-specific lighting installation at Notre-Dame La Grande, Poitiers.
Installation view of Traversées \ Kimsooja, Poitiers, France, 2019
Courtesy of the City of Poitiers and Kimsooja Studio. Photo by Yann Gachet
キム そうです。サムスン美術館プラトーで発表した《Lotus: Zone of Zero》は、チベット仏教の聖歌、グレゴリオ聖歌、そしてイスラム聖歌を同時に聞かせるというものであり、視覚面ではマンダラ的な燃燈仏を見せました。ある意味、仏教の寛容な態度をそこに示したと言えます。あらゆる宗教が和合し、理想的な世界へと転向してほしいという願いを込めました。同作品は、宗教によって多くの戦争が起こり、葛藤が世界全体を激しく揺さぶったあとの表現でもありました。世界中のあらゆる人々の共存と平和に対する私たちのメッセージだったと言えるでしょう。
そもそもポワティエでの作品は、かつて2003年の第2回バレンシア・ビエンナーレで初めて行った、戦争によって破壊され廃墟となった建物の外壁に五方色が徐々に変化するプロジェクション・マッピングを施した《Solarescope》から始まったものでした。「Solarescope」は「大地の知」を意味します。建物の壁に光を映写し、その壁面を強調することで、逆にそれ以外の空間の存在に目を向けさせ、二分された空間の共存を示そうという意図がありました。当初はこのような意図があったのですが、ノートルダム大聖堂での発表を終えた後、寄付をして毎年クリスマスのたびに上映するようにしました。

Site-specific lighting installation at Notre-Dame La Grande, Poitiers.
Installation view of Traversées \ Kimsooja, Poitiers, France, 2019
Courtesy of the City of Poitiers and Kimsooja Studio. Photo by Yann Gachet
──光を扱った制作の場が、規模が限定された空間から、規模を限定することができない空間へと拡張したのは、2010年にソウルのアトリエ・エルメスで初めてお目見えした《Earth - Water - Fire - Air》(2009)という作品でした。それは自然それ自体、または自然の四元素を扱っているため、もっとも根源的でありながら、現在に至るまでのあなたの制作を包括するような作品のひとつでした。地・水・火・風の各々の作品タイトルにも深い意味が込められていたのですが、四元素が互いのあいだを編み、織り成すことを提示しましたね。

Commissioned by Lanzerote Biennale and Hermes Foundation, Paris, Courtesy of La Fabrica, Madrid and Kimsooja Studio
キム はい、四元素は言ってみれば、水は水ではなく、また火は火ではないという概念です。水はつねに火を頼りにし、風によりかかり、また地を頼りにしているように、連帯関係にあるということです。仏教の縁起説が語るように、ひとつであってもひとつで存在しているのではないという意味です。
例えば、私は水と地についてこんな風に考えました。まず水、すなわち海では静まりかえった水が絶え間なく満ちている。それを見ながら今度は、山野風景を思い浮かべ、そこに地の存在を見出すように、地と水、空気と水などの要素は連関し合い融合していく。こうした思索が、私の制作にとって重要な自然と物質との関係を示す概念となって発展していったのです。
針とポッタリ:生命の収縮と膨張
──光と空間、自然について対話をしながら、あなたの制作における核心的な哲学が反映された針とポッタリ(風呂敷包み)を連想せざるをえません。すでに数多くのインタビューで言及されていますが、制作の出発点であり核心となるアイディア、針とポッタリについてお話しいただければと思います。哲学的かつ普遍的なメッセージの込められた表現は、針仕事など作家本人の個人的な体験を連携させることで、より明確になると思います。1980年代の韓国の美術アカデミーの雰囲気はかなり閉じられたもので、画一的かつ男性中心的でしたが、どのようなきっかけで今日の作品世界を開くことになったのか、若い作家として初めて足を踏み出した当時の状況についてお教えください。
キム 実際、1970年代中盤から80年代初盤に至るまで、私は弘益(ホンイク)大学および大学院に通っていたのですが、当時の弘益大学では単色画派の教授たちの影響力が強く、私もその影響からは逃れられませんでした。いっぽうで私は1970年代末から前衛的な実験をしており、身体を通したパフォーマティブな写真制作も行っていました。大学ではある問題に対して積極的な態度で別の観点を提示したり質問をしたり、ときどき大学で問題提起をしたりもしましたが、それが私や同僚たちの制作や意識に影響を与えた部分もあると思います。
当時は、私が探っていた世界についての構造、平面の構造に対する関心と問いを、私の生のあらゆる面を通して解釈しようともしました。同時に、どうすれば私自身の言葉、つまりいままで美術史で使われてこなかった言葉で表すことができるかに悩み、多様な材料を用いた実験もしました。でも自我と媒体、あるいは方法論との同質性をなかなか感じることができませんでした。そのような時期にある日、母と一緒に布団を縫いながら、針と糸との画期的な出合いを果たしたのです。
ほかのインタビューで何度か言及したように、針が最後に柔らかい布に達した瞬間、本当に全宇宙のエナジーが私の頭を打ち、指先に乗ってまさにその布と針の終わりにたどり着くかのような戦慄を覚えたのです。針と天が出合ったその瞬間が、まさに私がずっと悩み続けてきた垂直、水平をはじめとするすべての構造の問題に向き合う出発点でした。それで「あ、これだ!」とひらめき、針仕事を始めました。針仕事をするなかで非常に衝動的かつ自然にオブジェを包む作業、すなわちポッタリへと向かうことになるのですが、実際、ポッタリは直感的に展開したものでした。なんらかの概念を考えたり、結果を予想したのではなく、私はそれをしなければならない、というエネルギーに突き動かされ、直感的にポッタリに没入したというわけです。
例えば、リング型の《Untitled》(1991)という題目の作品があります。私はサークルを形成する、その曲がりたわんだ四角のフレームをひとつのキャンバスに見立てました。キャンバスの連結によってリングがつくられ、それが空間を縫う、ないし包む構造となったのです。そして、これがポッタリへと発展したのです。

Used cloth, copper line, thread, 7 iron ring
diameter 185x4cm (each)
Installation view at Gallery Hyundai, Seoul, 1991
Courtesy of Kimsooja Studio. Photo by Lee Dong Kun
実際、ポッタリを用いた表現方法は、私が包みながら思いついたのではなく、あるとき、ポッタリが置いてあるのを見てひらめいたのです。それで以降、ポッタリの制作を続けるなかで、私が包むという表現を続けるのは、ある意味ポッタリ、つまり風呂敷で包むことと同じ行為ではないかということに気がついたのです。つまり、布でオブジェを包む行為は結局、針仕事と同じではないかという認識に至ったのです。布という平面を包む行為が針仕事なので、オブジェを包むこともできると考えたのです。
つまり、すべてのことがらがあの当時特有のエネルギーと私の個人的な体験が合わさって始まったと言えるのですが、じつは同時に、明確な構造的論理が転化されて、そうしたことが成り立ったのだということに気づいたのです。このあらゆるものが私の制作における核心を与えてくれ、制作のソースとなり、「To Breathe」シリーズのような作品が誕生したのだと思います。
──実際、1970年代から80年代へと移るなかで、韓国美術史でも大きな方向転換がありました。多様性が叫ばれる今日の状況とは異なり、当時は韓国におけるモダニズム形式である単色画の大きな流れが起こったものの、1980年代には民衆美術に取って代わられました。大きな流れがほかの流れに覆われてしまい、異なる試みはほとんど不可能な時期でした。あなたの場合は、モダニズムの限界について絶えず悩み、反抗し、それに対しひとつの突破口を見つけながらも、民衆美術という家父長的な大きな流れに飲み込まれはしなかったのだと思います。実際、民衆美術は時代精神を反映する役割を果たしましたが、美術界に対しては、なんの代案も提示できなかったという側面があります。いっぽうであなたは、その新しい時代精神に共感してフェミニズムやノマド的な時代状況などを積極的に表出しながら、長いあいだ模索してきた造形形式に落とし込みました。それゆえアーティストとして大変意義のある道を歩めたのだと思います。
キム 私は民衆美術のみならず、集団の流れや行為にとても抵抗があり、私の気質にも合いません。実際、民衆美術がまさに始まった頃、のちに民衆美術の中心メンバーとなる人たちと大学時代に協働したこともあります。しかし結局、私はひとりで活動する道を選びました。もちろん、大学時代は単色画や男性中心的な雰囲気に影響されましたが、当時私が韓国のアヴァンギャルドの動きを経験し、アンデパンダンのような活動にも参加しながら、実験美術に関心を持ち続けてきたため、そのような決定が可能だったのではないかと思います。そして、単色画の教授や作家たちが後続の若い作家たちを引き入れようとする態度に抵抗することができたのは、私が単色画自体をグローバルで普遍的な表現と見ることができなかったからであって、芸術において実験的で前衛的な態度に価値をおいていたからです。けれど単色画と民衆美術という既存の2つの軸が現実的に韓国美術界に影響を与えていたのは事実でしょう。だから、私は孤独なひとりだけの道を行くほかなかったのです。
──単調な画壇の雰囲気が作家に反発力をもたらし、自らの道を模索する契機となったわけですね。ポッタリを用いた制作は自分で包む行為をしながら思いついたのではなく、そこにあるものを「見て」ひらめいたとおっしゃっていましたね。だからでしょうか、ポッタリやそれに連関した制作では、つねに「演繹的オブジェ」というタイトルがつけられています。そのようにタイトルをつけた理由について、もう少し説明をお願いします。
キム 実際、「演繹的オブジェ」という作品名は、私が1990年代初盤にラッピングシリーズを制作する過程で初めて使用したものです。当時、私は農機具や日常のオブジェ、自宅などに十字構造を発見するのに興味があり、ラッピング作業は、その構造を再確認することでした。構造を変形するのではなく、それを再確認し、再び原型に戻すという意味で演繹的オブジェという作品名を使ったのです。
スタジオにはポッタリがたくさんありますが、MoMA PS1スタジオで偶然、下を向いたとき、ひとつの赤いポッタリが目に入ったその瞬間から、ポッタリをひとつの前衛的なオブジェとして認識するようになりました。それ以前にも身近にたくさんありましたが、以前はそのように認識できなかったということでしょう。私が何かを持ち運ぶために包んだものでしたが、その瞬間、私はポッタリが有する驚くべき意味と造形的な要素を発見したのです。
──ポッタリはそれ自体に完成したものとしての意味があるけれど、それを束ねたり広げたりする行為を通して観客たちとの接触面を広げる性質もあると思います。観客が参加することのできるパフォーマンスも何度か行いましたが、それぞれ様相は異なりますね。1995年の第1回光州ビエンナーレ当時、光州の犠牲者たちのために丘に広げられたポッタリと衣服は、私の心に強く刻まれ、いまでも感情が揺さぶられます。いっぽうで世田谷美術館や海外の美術館では、コーヒーテーブルを布団を包む大きな風呂敷で覆うことにより、布団包みが持っている歓喜の瞬間を観客たちと分かち合うなど、楽しいイメージが強いです。また「国立現代美術館 現代車シリーズ2016:キムスージャ、心の記録」展(ソウル)では、より積極的に観客の参加を促し、観客が作品の一部をつくるような構成にしました。観客があなたにとってどのような存在なのか、気になります。
キム 質問に答える前に、まずポッタリに使用した布団包みについて説明させてください。世田谷美術館のコーヒーテーブルにおいた布団包み(褓)は韓国の新婚夫婦が使うもので、捨てられた布団包みを中心に使いました。ところで、布団包みは目が覚めるほど鮮やかな色でつくられており、また補色対比によってより一層互いの色が目立つという、色のスペクタクルを見せてもいます。あわせて長寿、愛、幸福、財産、多産などを象徴する漢字や数字が入っており、花、蝶、鹿や福財布(巾着)など、私たちが人生を歩むうえで経験する幸福を象徴する記号が込められています。これは、とくに新婦の母が心を込めて贈るものですが、実際にはうまくいくことばかりではありません。むしろ悔恨の布団包みとなることもあるでしょう。人生はつねに美しく、華やかで、幸福ではないので、ポッタリの布も外面は華やかでも、それ自体に矛盾を抱えているとも言えます。世田谷美術館のコーヒーテーブルにおいた布団かけ包みも実際、生の矛盾した現実を提示するものととらえることができます。
また同時に、例えば寝所では食事をしてはいけないように、禁忌とされているものを、ひとつの平面上、つまりペインティングとして提示したのです。出会い、食べ、対話するという人々の活動を、四角形の空間であたかも見えるようにあわせて連想させることで、見えないラッピングという概念を展開したのです。私はポッタリを、生のフレームと考えました。ポッタリが包み、広げる行為は、すなわち私たちの生が包まれ、広げられ展開する人生と似ているのです。
だからこそ世田谷美術館の観客たちは布団かけ包みの周辺で起きる行為を、あるいは光州ビエンナーレの観客たちがジョン・レノンの『イマジン』を聴きながら古着の上を歩き、ポッタリを結んでは開く行為を許容したのです。
観客の参加を受容し、私は第三者の眼で彼らの行為を眺める。それはあるいは作品のもうひとつの見方だと言えます。個人の肖像権などを守るために、撮影して提示はしませんでしたが、その空間のなかで繰り広げられた人々のすべての行動、生自体を、予測不能なパフォーマンスとして見るということです。おそらく、こうした要素を考慮していたために、私は《Archive of Mind》(2016/17/19/20)のような観客参与型の作品を、より積極的に提示することができたようです。
「子午線」:ポッタリの再誕生
──今日、私たちは時系列を行ったり来たりしながら、重要な作品の概念について理解を深めてきましたが、最後に再び現在に戻り、最近の展示について話しながら、対談を終えたいと思います。今年の2月、メキシコのプエルト・エスコンディード地域の非常に特別な空間で「子午線」という個展を開いたと聞きました。そして、その展示が同施設の開館展だったという話ですね。空間の紹介とあわせて、その空間にどのように対応しようとしたのか、展示概念についてもお話しください。
キム 実際、展示会場の名称でもある「メリディアノ」は、スペイン語で「子午線」を意味します。空間が非常にミニマルで明るく澄んで美しいのですが、この「子午線」という垂直性かつ円形である命題自体が、私にはとてもインスピレーションを与えてくれました。大変興味をそそられたのですが、これをどう解釈し提示するかについては考察が必要でした。
その当時、私は時間的な余裕がなくて展示場所を直接見ることができない状況でした。こうした状況で何かを決定して見せるということには、かなり慎重にならなくてはなりません。ですから実際に現場に行くまで、あえて何もアイディアを出しませんでした。その代わり、アクセル・フェルフォールド・ギャラリーのボリス・フェルフォールドと話し合い、「リスクをとろう」との合意のもと、10日間ほどその周辺に行って考えてみて、なんらかの案を思いつければ作品を見せ、そうでなければ現地に行ってから案を考える、という条件で現地に行くことになりました。
そのように私は10日間のあいだ海辺で波の音を聞き、散策をし、メキシコの焼けつくような日差しを浴びた樹木たちを、あるいは夜の空を眺め、それらを体験しながら、そのミニマルな空間のなかに太陽が描いた線、太陽とこの空間が出合う地点、絶え間なく変化しつつ形成される光と影の幾何学的な線を見出しました。
私は展示が始まる前の何もない空間で、儀式を執り行うかのように、ひとりで存在したかったのです。太陽と地面が出合う地点で変化する光の角度に照応しながら、私という垂直の存在を克明に表すことにより、子午線の幾何学的特徴を現出させようとしたのです。このシリーズは一連のパフォーマンス写真作品となりました。つまり、これはひとつの空間に遭遇した私だけの儀式だったと言えます。
その後、私が唯一行ったのは、その地域で発見した岩石を黒で塗って、空間の入り口に置くことでした。時間性と物質性を最大限に持っている岩というオブジェを黒い色で塗ることでラッピングしたのです。これは前述の「国立現代美術館 現代車シリーズ」(2016)で発表した五方色の《Deductive Object》以後、2番目のペインティングとして制作した《Deductive Object》ととらえることができるかもしれません。ここでラッピングとペインティングを初めて融合させることができたことで、私は再びペインティングへと帰っていくことができたのだと思います。また、岩を黒い色でラッピングすることでポッタリも再誕生することになったのです。

Rock, matte black water-based paint, 128 x 176 x 117(LxWxH)cm. production location: Meridiano, Puerto Escondido, Mexico
Courtesy of Meridiano and Kimsooja Studio, Photo by Sergio López
いっぽうで、内部のギャラリー空間で何を見せるかにはとても悩みましたが、苦悶の末に眠ったときに見た夢で偶然、火が出てきたのです。それをきっかけに、火が持つ岩との対極的な要素、すなわち刹那性、気化性、垂直的消滅の幾何学を、空間の中に火を起こす表現によって可視化させようと決めました。

Site-specific installation for Jaoseon at Meridiano, Puerto Escondido, Mexico, 2023
Courtesy of Meridiano and Kimsooja Studio. Photo by Sergio López
火を起こす過程も興味深かったです。まずベクトル構造を敷き、その上に砂を被せ、その上をまた平たく削り、さらに木を格子上に重ね、ピラミッドを築くかのように積み上げました。その上で火を焚くことで煙が空にのぼり、開けられた天井を通して光が入りつつ、光と天井の終わりの部分が出合うところで光と煙の幾何学を見せることができました。形成されては消え、最後には私自身が消えながら、結局すべてが無に帰る、そんなパフォーマンスとなりました。
この子午線というものは、中心で地球の赤道に直角に交差するように両極を結ぶ大円であり、絶えることなく存在する線です。私はこの子午線を通じて、幾何学的で宇宙的な地球と人間の身体、そして太陽の関係を語ることができました。そうした子午線の垂直性を、私たちの体が代わりに表しているのです。これはある意味、ブラマンダの黒い石からインスピレーションを受けた演繹的オブジェである「宇宙の卵」とも連なっています。この一連の流れは私にとって、ポッタリが再び誕生したかのような興味深い経験でした。

Performance at Meridiano, Puerto Escondido, Mexico, 2023.
Courtesy of Meridiano and Kimsooja Studio. Photo by Sergio López
──子午線という概念を持った空間の中で、時間と空間、光と影、火と空気、自然と人間が遭遇する状態を過不足なく明確に具現化されたと言えますね。そのなかで繰り広げられたパフォーマンス《A Needle Woman》と《Deductive Object》は、あなたの芸術の核心ではないかと思います。これからも観る者の思考を拡張し、鼓吹する活動を期待しています。







































