日本における初個展のテーマは“海”
──展覧会名「WHERE OCEANS MEET」を直訳すると、“海が出会う場所”といった意味になります。この印象的なタイトルにした理由を教えてください。
海は人や国を遠ざけるものでありながら、架け橋となって結びつけるものであると考えています。また、キューバと日本は異なる文化圏にありながら、ともに海に囲まれた島国であるという共通点があることから、キュレーターがこの展覧会名を提案してくれました。
──活動の拠点とされているハバナは、日常的に海を見ることができる環境なのでしょうか?
キューバ人が海岸を訪れるときには、いろいろな理由があります。レジャーで楽しむこともありますが、儀式のように通う場所でもあるのです。また、外の世界に出ていこうとする移民にとっては、大きな希望でもあります。
──日本人にとっても海は身近な自然であり、またノスタルジーやセンチメンタルな感情が喚起される対象として、昔からよく歌の題材にもなってきました。
キューバ人や日本人だけでなく、希望や懐かしさ、センチメンタリズムなど、世界中の人々にとって海に対する思いは多面的であり続けてきました。しかし、人々が違う思いを抱いているからこそ、ある意味では、海を通じて異なる人々とつながることができると言えるのではないでしょうか。
──出品作品はどのように選ばれたのですか?
日本で展覧会を開催するにあたり、メッセージを一番伝えることができると思われるテーマを設定して、作品を選んでいきました。例えば、「My Autumn」はノスタルジーに喚起されて制作したシリーズ、「Homeland」は政治的な色合いを含んだシリーズ、「Travel Diary」シリーズは景色を意図的に扱ったシリーズです。
──先ほど、“移民”について言及されていましたが、作品の題材にもなっているのですか?
「Homeland」はとりわけ“移民”をテーマに制作したシリーズです。初めて故国を離れて海外で作品を制作したのは、およそ8年前のことになりますが、この時、国家の概念や個人のアイデンティティについて考えるようになりました。世界には自由に国境を行き来できる人もいれば、できない人もいます。政治的・経済的な環境を理由にした移民の現象は、キューバ人だけの問題ではありません。そういった考察とともに、私たち自身の原点への憧れとして、移民というテーマに取り組んでいます。
──多くの作品で海を撮影した写真が使われていますが、プリントをピラミッド型に折ったり、透明のセロハンにシルクスクリーンで印刷して花形に切り抜いたりと、様々に展開されています。このような独自の手法をとるようになった経緯を教えてください。
私が生まれたのはシエンフエゴスという海岸沿いの街でした。現在の拠点にしているハバナには20年間ほど住んでいますが、海岸に行く度に、その生まれ故郷を思い出しているうちに、次第に海に対して抱く感情や意味合いが人によって違うということに関心を持つようになりました。そういった経験から、作品にいろいろな意味付けをしていくために、海を撮った写真を工夫して使うことを思いついたのです。学生時代には彫刻を学んでいましたが、写真と組み合わせることで自分の目的を果たせることに気づきました。ピラミッド型に成形したり、透明なセロハンにプリントして花形に切り抜くのは、最終的に伝えたいことを表せる方法だからです。
──写真は日常的に撮影されているのですか?
カメラは私の体の一部のようなもので、手の先にカメラがついているような気がしているほどです。自分の記憶のなかに、いつもカメラがあります。
──身体も多くの作品で重要なモチーフになっていますね?
人の体は、思考や精神、知性の入れ物だと思っています。身体のイメージを断片化することで、一つひとつの島を表しています。
──身体も、海と関連したモチーフなのですね?
海と身体は、やがて融合するものだと考えています。それを表しているのが、「Homeland」シリーズの《Medusas(メデューサ)》という作品で、断片化した身体が海という自然に溶け込む様を表しています。
──ピラミッド型や円形、螺旋といった形態が作品を構成する重要な要素となっています。どのような意味が込められているのでしょうか?
ピラミッド型は、四つの側面が宗教、科学、芸術、政治などの知識を表し、四隅から頂点へと導かれる形に刺激を受けて、作品に取り入れるようになりました。この頂点は、人生の終着点や、ニルヴァーナ(涅槃)に達することを象徴的に表しています。
円は永遠に回り続けることから無限を、螺旋は成長しつづける様を表しているのです。
瞑想の実践とアート制作
──現代アートにおいては、制作を外部に発注することも珍しいことではないですが、展覧会場で上映されているインタビュー映像には、アトリエでご自身が写真プリントをピラミッド型に折ったり、ピンの一本一本までご自身で加工される様子が映されていて、すべてご自身で作業されていることに驚きました。
私の場合は、資材の加工からほとんどが手作業で、ひとりで行ってきました。ですから、1つの作品制作には数ヶ月かかりますし、作品によっては年単位の時間を要します。最近、アシスタントに手伝ってもらえるようにはなったのですが、できるかぎり自身が関わって制作するようにしています。
──素材の調達には苦労されることもあるのでしょうか?
おっしゃる通りではありますが、不足しているからこそ、より創造性が生まれると感じています。
──今回の展示では、昨年から制作を始められたという映像作品も展示されていますが、手作業で制作する作品と心構えや表現したいことは異なりますか?
まったく違う感情で制作しています。コンピューターで画像を見るのと本を読むのとでは体験が違うことを思い起こしていただければ、理解していただけると思います。1つの手法が、1つのことを与えてくれます。ですから、異なる手段は、異なるテーマを私に与えてくれるのです。
手仕事のときは実際に物質を触りながら作業するので、やり進めて行くうちに瞑想しているかのような感覚になります。いっぽうで、映像の制作は、無限の可能性を与えてくれると感じています。
──映像作品だからこそ表現できたこととはなんですか?
映像はバーチャルな世界に没入させてくれるように感じます。「Buoyancy」シリーズの《SUBLIMATION 2022》は、NFTアートの映像作品ですが、水中でもがきながらも浮き上がろうとする人の様子を表現しました。
──展示会場では、インスタレーション作品が隔たれた会場をつなぐ重要な位置に配置されていました。鏡と海の写真が表裏となった断片が無数に吊り下げられていて、鑑賞者はこの空間を歩くときに鏡に映る自身の姿を見ることになります。鑑賞者を作品に取り込むことを意図されているのかと思いますが、その理由をお教えください。
心で作品に向き合ってほしいと思ったことがきっかけで、こうしたインスタレーションを制作するに至りました。つまり、作品と相対して見るだけでなく、その中に入ってもらい、感じてほしかったのです。
──作品について語られるとき、瞑想という言葉をよく発言されています。ご自身でも瞑想されるのでしょうか?
自身でも時々瞑想をするのですが、アート作品を作ることもまた、私にとっては瞑想のひとつなんです。日本にある禅宗のお寺では、座禅という実践があると聞いていますので、ぜひ訪れてみたいと思っています。
キューバ人はみな芸術批評家?
──キューバの芸術をめぐる状況についてお伺いします。ご自身はどのような環境のもとで芸術を学ばれたのでしょうか?
学んだ学校は、とても快適な環境でした。最初に通ったサン・アレハンドロ芸術学校では、海外の芸術作品を含めた様々な手法を教わりましたし、そこに知性を加えてくれたのがキューバ国立芸術大学でした。大学では先生が生徒たちと芸術について分け隔てなく議論する機会がたくさん設けられていて、その経験のおかげで成長することができたと感じています。議論においてタブーはなく、考えを押し付けるようなこともまったくありませんでした。
──キューバでは、美術館などの施設は充実しているのでしょうか?
各地方には美術館だけでなく、芸術を学ぶ学校があり、すべてが無料です。また、舞台芸術や文学など盛んです。
──2017年には、第57回ヴェネチア・ビエンナーレのキューバ館に作品を出品されていますね? 海外で作品を発表されるようになって、キューバ国内との違いを感じることはありましたか?
ヴェネチア・ビエンナーレは、ヴィジュアル・アートのオリンピックのようなものですから、なにもかもが驚きの連続でした。また、海外に出るようになってからとくに印象的だったのは、鑑賞者の反応の仕方です。キューバの鑑賞者は、とても厳しくて批判するんです(笑)。言い換えれば、それくらい人々が普段から芸術に親しんでいるということでもあるのですが、キューバ人はまるで地震でも起きたのかと思うくらい、大袈裟にリアクションしてくれます。
──最後に、日本のみなさんへメッセージをお願いします。
日本で私の作品を展示する機会をいただけたことを、心から感謝しています。多くの方々に見ていただいて、日本とキューバの対話のきっかけになることを願っています。