• HOME
  • MAGAZINE
  • INTERVIEW
  • 絶えない悲劇の闇から光を照らす。ヒロシマ賞・ハッセルブラッ…
2023.3.4

絶えない悲劇の闇から光を照らす。ヒロシマ賞・ハッセルブラッド国際写真賞をW受賞したアーティスト、アルフレド・ジャーへの質問

世界の政治的な争いや社会的な不均衡を調査し、多様なメディウムを用いてその危機と対峙するための表現を続けるアルフレド・ジャー。歪んだイメージ文化をあらわにし、見るものに人道的な考察を促すたゆまぬ努力から、2018年にヒロシマ賞の受賞者に決定し、20年にはハッセルブラッド国際写真賞を受賞した。今夏ついに開催される広島市現代美術館での個展を前に、独占インタビューを行った(本稿では作家名を広島市現代美術館の表記に合わせ、発音に近い「アルフレド・ジャー」とする)。

文=飯田真実

アルフレド・ジャー。ニューヨーク市のスタジオにて(2023年1月6日、撮影=著者)
前へ
次へ

アートとはコミュニケーションだ

──まず、日本のファンのために簡単に自己紹介をお願いします。例えば、アーティストになろうと思ったきっかけ、なぜニューヨークを拠点にしているのか、好きな思想家や日本のアーティストは誰かなど。

 まず、このようなインタビューの機会に感謝します。私は日本とその文化、そしてもちろん日本の人々を尊敬しています。また、たくさんの日本現代アーティストを尊敬しています。

  私はアートをつくる建築家であり映像作家です。私はアーティストになりたかったのですが、それを良くないと考えた父に、建築を学ぶよう説得されました。そのため、私はまず建築家になったのです。父には感謝しています。というのも私がアートをつくるとき、あらゆる点で建築家の方法論を用いているからです。建築家でありアーティストである私にとって、コンテクストがすべてです。私は何もないところや私の想像について作品を作ることはありません。すべての作品は、非常に具体的な文脈に基づいて制作されています。

  さらに言うなら、私は自分自身をコンセプチュアル・アーティストだと考えています。私は特定のメディウムだけを用いた制作をしていません。水が必要なら水を、石が必要なら石を、写真が必要なら写真を、フィルムが必要ならフィルムを使う。観客に伝えようとすることの本質に対応するものであれば、どんな素材でも使う。そういう意味で、私はアイデアを元に作品をつくるコンセプチュアル・アーティストです。

 私がニューヨークを拠点にしているのは、軍事独裁政権下のチリを離れた80年代、この街はアート界の中心であり、そこにいたいと思ったからです。いまでは、たったひとつの中心ではなくなり、すべての大陸には複数の中心があります。私たちは非常にグローバル化したアートの世界に生きていますが、80年代は違いました。

 日本の現代アートシーンでは河原温の大ファンです。彼の作品も多数集めています。私にとって河原は20世紀を代表するアーティストのひとりです。また偶然にも、私たちはソーホーの同じ通りに住んでいました。彼のビルは私のビルの隣だったんです。

スタジオはマンハッタン・チェルシー地区の歴史を刻んだビルの9階にあり、NY市内の街並みを見渡せる © Alfredo Jaar. Courtesy the artist, New York.

──私にとってあなたとあなたの作品との最初の出会いは、東北大震災後に開催されたされた「あいちトリエンナーレ2013」での《生ましめんかな(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ)》(2013)でした。最近では昨年のパリフォトで《Gold in the Morning》(1985)、《Real Pictures》(1995)などの代表作を見ることができました。あなたは国籍や人種を超え、この世界に生きる鋭い感度を持った知識人として普遍的で力強いメッセージを発信し続ける稀有なアーティストです。そのモチベーションはどのようにして維持されているのでしょうか。現地調査の際、どんなに惨い環境でも必ず「光」が見出せるのでしょうか?

 ありがとう。私はこの世界を理解し、見つけたことを観客に伝えようと努めています。私にとって、アートとはコミュニケーションです。コミュニケーションとは、メッセージを送ることではありません。答えを受け取ることです。答えが返ってこなければ、コミュニケーションではない。それはアートでもない。

 今日、世界各地の社会で大衆と現代美術のあいだにある種の隔たりが見られますが、その原因はほとんどのアーティストがコミュニケーションを図ろうとしていないからです。

 だからこそ、アーティストである私にとって観客とのコミュニケーションは常に重要であり、真のコミュニケーションを促進するためのすべての要素が作品に含まれていることを常に確認する必要があるのです。そうすれば、作品は翻訳可能で解釈されやすくなり、人々はそれに共感することができます。理解されるからこそ、作品はより普遍的なものになりうるのです。

 トンネルの先に光はあるか? そうであってほしいと思っています。そういう意味で、世界中に存在する悲劇と向かいあうとき、私が尊敬するイタリアの哲学者、アントニオ・グラムシの教えを守っています。グラムシは30年代にイタリア共産党を創設し、ムッソリーニ政権下ではその生涯の大半を獄中で過ごしました。彼は、自分は「Pessimism of the Intellect, Optimism of the Will(知性の悲観主義、意志の楽観主義)」と書いています。私はその思想・哲学を自分にも当てはめました。私もまさにそのような人間なんです。私の知性は悲観的で、周囲で起こっていることについて落ち込んでいます。しかし、私の意志は楽観的で、前進するよう働きかけてくれます。グラムシのマニフェストを英語で示した作品はここ、私のスタジオにあります──サミュエル・ベケットの「I can't go on, I'll go on.」という言葉をもとにしたネオン作品です。私の知性は「I can't go on」と言い、私の意志は「I'll go on」と言っているのです。

アルフレド・ジャー 生ましめんかな(栗原貞子と石巻市の子供たちに捧ぐ) 2013 © Alfredo Jaar. Courtesy the artist, New York.
アルフレド・ジャー I can't go on, I'll go on 2016 © Alfredo Jaar. Courtesy the artist, New York.

公共空間で作品を展開する理由