クリスチャン・マークレーは音楽と美術の両ジャンルを跨ぐようにして1970年代後半から活動を行ってきた。音楽家としてはヒップホップDJとは異なる実験的なターンテーブル奏者の先駆として名高い。他方、とりわけ《ザ・クロック》(2010)で2011年の第54回ヴェネチア・ビエンナーレの金獅子賞を受賞して以降は、美術家としてより広く知られるようになった。彼のヴィジュアル・アートは音声メディアであるレコードやテープ、電話などを素材とした造形物のほか、音にまつわる写真を用いた展示、無数の映画から演奏シーンをサンプリングして構成した映像作品、あるいは様々な音楽批評をカットアップするように切り刻み再編したテキスト、また近年ではマンガのオノマトペを使用したコラージュに至るまで、表現形態は多岐にわたっている。東京都現代美術館における国内初の大規模個展「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」では、そうした美術家・マークレーの多面的な活動が「翻訳」というキーワードによって切り出されている。
マークレーのヴィジュアル・アートに共通しているのは、つねに音または音楽に関わる要素がモチーフとなっている点だ。なかには実際に音が鳴り響く作品もあるが、視覚的要素のみで構成された作品も多い。後者は現実には何も聞こえないものの、見る者に音を想起させる。その体験はまるで「聞くこと」を「見ること」に置き換えているかのようだ。だがこうした「聞くこと」をつねに起点とするとらえ方は正確ではない。なぜならそもそも音や音楽に視覚的要素が密接に関わっているからだ。マークレーはこう説明する。
「もちろん、音楽とは耳のためにデザインされた表現で、聴かれることを前提としています。けれどいまや日常のあらゆるところに音が根ざしていて、音楽が生活の一部になっている。私としては、音や音楽には『聞くこと』だけが存在しているのではなく、そこに紐づいている文化や視覚的な表現が、切っても切り離せない状態で存在していると考えています。なので『音を聴く』ということは、耳で何かを聴くだけで音を理解しているのではなく、聞こえてきた音に付随する知識や、音や音楽に限らないあらゆる歴史、そして生活の手触りや日々の習慣が合わさって理解しているものだと思います。録音技術やデジタル化といったテクノロジーも、音と私たちの関係に歴史的な変化をもたらしてきました。しかしそのように音が視覚的な文化と密接に紐づいて存在していることは、なかなか気づかれていません。私としては、音とイメージは切り離せるものではないし、それらを翻訳するというよりも、それぞれ対等の状態で人間生活のなかに存在している表現方法として扱っています。つまりヴィジュアル・アートの制作のために音をイメージに翻訳しなければならないのではなく、それらはあらかじめ同等のものとして存在しているんです」。