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2021.6.13

“尊重生命,拒绝遗忘”──艾未未(アイ・ウェイウェイ)は忘却にあらがい続ける

中国を代表するアーティストのひとり、艾未未(アイ・ウェイウェイ)。その挑発的で反権力的な作品は世界中に大きなインパクトを与え続けてきた。そんな彼が、四川大地震の被災者を祈念するために13年間取り組み続けているアートワーク《念念》について、その足跡と活動の意味を尋ねた。

聞き手・文=沓名美和

艾未未(アイ・ウェイウェイ) Photo(C) Ai Weiwei Studio
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2008年5月12日
中国、四川大地震発生

 四川大地震の被害は甚大で、日本からも多くの自衛隊員が派遣された。とくに「豆腐建築」と呼ばれる粗悪な施工で建てられた学校が数多く倒壊したことで、本来、犠牲にならなくてよかったはずの子供たちが大勢、命を落としたのだ。

 さらに中国政府が、亡くなった子どもたちの名簿を公開しなかったことで、この地震は自然災害から人災へと変わっていく。

 この震災によって起こった、理不尽に対する怒りと向き合い続けたアーティストのひとりが艾未未(アイ・ウェイウェイ)だ。

──四川大地震についてはこれまで、子供たちの命を奪った鉄柱でつくられた《Straight》、「あの子はこの世界で7年間幸せに過ごした」という犠牲者の母親のことばを学生鞄であらわした《Remembering》など、強いメッセージ性をもった作品を発表してきました。そして今年、これら《念念》と名づけられた一連の作品のひとつとして、中国のお盆にあたる清明節(4月5日)から5月12日まで、SNSのclubhouse上で、この地震によって亡くなった5197人もの子供たちの名前を読み上げる作品を発表しました。まず、13年におよぶこの活動がどのように始まったのか、教えてください。

 2008年5月12日、中国四川省の汶川(ブンセン)でマグニチュード7.9の大地震が発生しました。思えば、北京オリンピック開催まで3ヶ月足らずの時でした。

 この地震による死者は約7万人といわれています。当時、そのなかに多くの子供たちが含まれているという話でしたが、公式の発表はなく、圧力が掛けられていて正確な数はわかりませんでした。私は地震後すぐに「公民調査」という社会活動を主宰し、インターネットを通じて募集したボランティアとともに、死亡した学生の情報を調べることにしました。政府が秘密にするというなら、自分で調べようと思ったのです。

 集まった100人以上のボランティアのうち、半数近くが20回以上、被災地に入り調査しています。その結果、10校で校舎の倒壊により学生が亡くなっていることがわかりました。しかも学校は潰れたのに、隣の住宅は倒れていないのです。建物の品質について調べたら、粗雑な工事が行われたことがわかりました。これが「豆腐建築」と呼ばれる、手抜き工事による被害です。

 私たちは汶川で行方不明の子供の家族や関係者を調べて、ひとりずつ亡くなった子供の名前を記録しました。彼らの誕生日を含め、学校、クラス、住所、両親の名前など、完全な情報を記録しました。そのなかで私たちは何度も現地の警察に拘束され、調査資料の削除や、北京への送還など多くの妨害を受けました。このようにして約一年が経ち、私たちはようやく5197名の死者たちの名簿を完成させたのです。この活動が《念々》の始まりです。そして、インターネットを通じてほとんど何も知らないネットユーザーと一緒に活動をするスタイルができあがりました。

アイ・ウェイウェイ Straight 2008-2012 Installation view at the Brooklyn Museum, New York, 2014

──四川大地震の被害について知るほど、人権問題について考えさせられます。アーティストとして、また中国人として、人権についてどのように考えていますか?

 四川大地震をめぐる私の活動には、共通する基本的な概念があります。それは“尊重生命,拒绝遗忘”(命を尊重し、忘却を拒絶する)というものです。この八文字をどう解釈するか、私は考え続けています。中国を含む世界の国々や、社会のなかで起こる多くの不本意なことは、命や人権の無視によって起こっていると思います。

 無視とはつまり忘却です。私たちの身近な暮らしのなかでもそれは起こるのです。人の記憶は歪みやすく、抹殺、改竄されるからです。社会を統制するためにも忘却は都合よく利用されます。過去の歴史を忘れさせ、命の価値を忘れさせ、私たちがどこから来た何者なのかを忘れさせるのです。その社会のなかで私たちは、他者と関わり存在する「個」であることを忘れていきました。

 地震から13年が経ち、中国も世界のなかで存在感のある強国のひとつに発展しました。しかし、人権や言論、司法に対する考え方は変わっていません。だから、中国国民には依然として言論の自由や選挙権がありません。私は活動のなかで、こうした問題を強調しているので、中国では異分子となり、いまや故郷を離れざるを得ないのです。

アイ・ウェイウェイ Remembering 2009 Installation view at the Haus der Kunst, Munich, 2009

──今年、地震で亡くなった子供たちの名前を読み上げるプロジェクトをclubhouseで行ったのはなぜですか?

 今回、インターネットの世界にも様々な変化があることを発見しました。clubhouseのような空間は、自由な言論を発する能力があります。初めて全世界の人が同じ部屋で話をすることができる、非常に新しいプラットフォームです。

──具体的にはどのように行われたのでしょうか?

 《念念》というのは芸術プロジェクトですから、明確な概念と実施プロセスが必要です。プラットフォームをclub houseに定め、公開形式で進めました。

 期間は4月4日の清明節から、地震の起きた5月12日までの全部で39日間です。私たちはルームの管理人と副管理人をそれぞれ39名置き、8時間おきに交代しながら運営しました。私たちのチームは主にアメリカ東部、ヨーロッパ、中国大陸にあるので、ほぼ24時間カバーできるのです。合計936時間、1ユニット200人分の名前を約13分で読み上げるルールです。

clubhouseで行われた《念念》を読み上げるプロジェクト

──参加者はどのくらいいましたか?日本でこの活動を知っている人は少なかったと思います。

 参加者は約300人。正直、とても少ないです。聴衆も、34日目を過ぎたあたりにはほとんどいませんでした。もし私が台湾や新疆の問題などを話すなら、きっともっとたくさんの人が聞きに来たでしょう。これは、人々がその瞬間起こった事柄にしか興味がなく、過去の問題を正視したり、歴史に直面することを嫌う傾向の現れだと思います。

 新しい話題も、過去になれば誰も口にしません。人間はあらゆることに無関心で、記憶を放棄する時代に入ったように感じます。記憶は、私たちの脳の重要な機能です。私たちが知恵を生み、分析して判断する最も重要な根拠です。にもかかわらず、中国人だけではなく、あらゆる人種、国籍の人たちが、この脳の最も重要な機能を積極的に放棄しようとするなら、それは脳に何か問題が発生した時ではないかと思っています。

 このインタビューも、もしほかの話をすれば、より多くの人が注目したと思いますよ。でも、この《念念》のプロジェクトに対して日本で受けたインタビューは初めてですし、とても嬉しく思っています。ありがとう。

アイ・ウェイウェイ 念念

──《念念》を始めた当初といまでは艾さん自身の状況も変わったと思います。活動を続けるうえで、困難を感じることはありますか?

 じつは活動を始めた当初、私はいまと比べて楽観的でした。私は、政治とは透明性がとても重要だと考えます。ですから、私の行動によって社会に多くの情報を伝えられるし、何が起こったのか明らかにできるとポジティブに考えていました。けれど、私と政府の関係はどんどん悪くなっていきました。それは私が、「なぜ学校が倒壊したのか」と問い続けているからだと思います。

 私たちと同様に地震の調査をしていた人権活動家の譚作人氏が逮捕されたとき、彼を弁護するために四川を訪れた私に、警察は暴行を加えました。頭部を負傷し、ドイツで治療を受けましたが、もう少しひどければ私はこの世にいなかったかもしれません。それでも私たちはその翌年も翌々年も、毎年、四川大地震に関する活動を行い、作品をつくり続けてきました。

──今後も《念念》の活動は継続していきますか?

 今回の作品は5月12日をもって完成しましたが、《念念》は今後も継続します。四川大地震のほかにも私は、ミャンマーの難民問題、メキシコ・イグアラ市学生集団失踪事件、香港の民主化運動なども作品のテーマとして扱っています。世界のあらゆる場所で起こる人権問題について、多くの人に普遍的な見方をしてほしいと思っています。私はこれらの作品を通して、私が生きているこの世界、この時代を学んでいると思っています。

アイ・ウェイウェイ 念念

記憶と忘却の間を生きる

 ボルヘスは不死性についての講演のなかで「ひと言でいえば、不死性というのは、他人の記憶のなか、あるいはわれわれの残した作品のなかに残存しつづけるのである。」と語っている。とすると、亡くなった子供たちの名前を私たちが読み上げるとき、その作品を目にするとき、わたしたちはその子たちの一部を共有し生きているともいえるのではないだろうか。

 また、《念念》が問いかける記憶と忘却の問題を考えるとき、私たちの背後を過ぎる無常な時間の存在を感じずにはいられない。

  「Date Painting」(日付絵画)などの作品をつくり、その生涯をさまざまなかたちで記録し続けた河原温は、『百万年』という、過去と未来の100万年の年数をタイプした計20巻にもなる書物をつくった。そこには1ページにつき500年、1巻につき10万年の時が記録されている。河原温はこれを延々と読み上げるパフォーマンスを行った。

 私たちの一生は1ページのなかのせいぜい数十行、亡くなった子供たちはたった数行かもしれない。淡々と刻まれる数列はあまりに壮大で、だからこそいっそう、その存在の尊さを実感させてくれる。

 いずれも記録によって作品を残した艾未未と河原温だが、両者の大きな違いは記録に対する態度にある。自分の存在を敬虔な態度で記録する河原に対して、艾未未は作品のなかから自身の存在や匂いをどれだけ消せるかを強く意識しているようだ。共通するのは、揺らぐ記憶が動揺のない記録を用いた作品を通じて、もっともも完璧に表現された点である。

 過ぎ去る時間を避けられず、等しくすべてが過去になっていくとき、私たちにできることは記録者として、つかむことのできないすべてのいまを無言でただ記録することかもしれない。