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ヤン・ファーブル 玉虫色が照らし出す歴史の暗がりと生死の寓意

初期フランドル派の画家ヒエロニムス・ボスと、アフリカ大陸で混乱の歴史を辿ってきたコンゴ。 一見接点を発見しづらい両者に、ヤン・ファーブルは「遺伝子的なつながり」を見出す。 そこには、21世紀に生きる「中世の芸術家」を自称する彼の原点に根ざす眼差しがあった。

内田伸一

開幕直前の展覧会会場にて。前日に来日したヤン・ファーブル 撮影=川瀬一絵

ガラス壁に囲まれた空間で陽光を浴び、青、緑、黄と輝きを変化させる大判の絵画群。スカラベ(ブラジルタマムシ)の鞘翅(さやばね)を無数に貼り付けて描かれたものだ。個展「ヒエロニムス・ボスとコンゴ─ボスを讃えて(2011 -2013)」で来日した作家を、会場のエスパスルイ・ヴィトン東京に訪ねた。描かれたモチーフの多くは、ボスの《地上の悦楽の園》(1503 〜04)に依る。

「初めてボスの絵にふれたのは、10歳の頃。父に連れていかれた美術館でのことです。ボスやルーベンス、ヴァン・ダイクの模写をするためにね。そこで《愚者の船》に出会った。政治的・宗教的権力を茶化すような感じもある油絵です」。

ボスのみならず、フランドル派の芸術家すべてに多大にインスパイアされたと語る、ベルギー出身のファーブルは、自らを「巨人の国で生まれた小人」と語る。彼ら先人には、現代に通じる想像力や表現性も感じるという。

「現在のベルギーを中心としたフランドル派は、小規模なコミュニティーでした。欧州各国の領土となってきた歴史を持つ土地で、支配側の大国で生まれた絵、いわば権力の伝達手段としての絵画に対する皮肉を、彼らは描いた。同時に、その作品には祝祭性もあり、食や踊り、宴や裸体もとり上げる。ボスの絵にも官能的な含意が隠れていて、例えばよく描かれるイチゴは、欲情の表象ととらえられます」。

故国ベルギーにも被支配のみならず、支配者としての歴史がある。今回の出展作は、19世紀のベルギーによるコンゴ植民地化について寓意したものだ。

この主題は2002年、依託を受けてブリュッセル王宮の天井に百数十万の鞘羽で描いた《悦楽の天国》にすでに見られる。美麗なモザイク画からは、よく見ると切断された女性の乳房や野生動物の体などが浮かび上がる(彼のファンであるパオラ王妃はこのプランを支持したが、極右派政治家からは強い反対もあったという)。今回の連作もこの作品の延長線上にある。

ベルギー、ブリュッセル王宮内「鏡の間」の天井に常設された、玉虫の鞘翅を用いた作品《悦楽の天国》(2002)Photo by Dirk Braeckman © Dirk Braeckman

ところで、なぜボスの《地上の悦楽の園》だったのか? 「美の残酷さ、残酷さの美に対する探求からです。ベルギー領時代のコンゴの写真を集めるうちに、当時の現地民への拷問や残忍さと、その何百年も前にボスが描いた怪異な世界が、いわば遺伝子的なつながりを持つように感じたのです。かつて画家の空想だったことが現実化したかのように」。

ボスの三連画《地上の悦楽の園》は、左右にそれぞれエデンの園と地獄を、中央に裸の男女が集う快楽の園を表したものだ。これを「人の欲と傲慢さをある意味で祝福し、同時に戒めるもの」と解するファーブルは、そこから様々なモチーフを流用し、彼一流のアレンジを加える。

例えば地獄の玉座で人間を喰らい、排泄する鳥頭の怪物。ファーブルはその頭に乗るヤカンに「SABENA」の文字を加えた。かつてベルギー本国とベルギー領コンゴとを空路で結ぶために設立された国営航空会社の名だ。怪物の所業と、植民地から富を運ぶ搾取が重なる。

The Pot Calls the Kettle Black(鍋がやかんを黒いと言う) 2012 木に玉虫の鞘翅 227.5×173×8.1cm Photo by Pat verbruggen  © Angelos bvba

他、独自の調査と連想による仄めかしは随所に見られる。自国の暗部に対峙するのも、彼の言うフランドル派の伝統を継ぐ行いだろうか。

「歴史を受け止める、ということですね。ベルギーは欧州では可愛らしい小国と見なされますが、数十年前には我々も、異国を苦しめることでゴムやダイヤ、そして金銀を得たのです。その富でブリュッセルという都市がつくられたとも言える。過去の悪行の話題は避けられがちですが、歴史の一部なのは否定できない。ここにも遺伝子的つながりを感じます」。

時間と人体、覚醒と変容

展示風景 © Louis Vuitton / Yasuhiro Takagi

今回、ガラス張りの空間でスカラベ絵画に囲まれて感じたのは、この空間が異なる時間をつなぐ寓意を宿した、歴史的・政治的・文化的な「標本」ではという思いだった。

「私は、アマチュア昆虫学者ですから(笑)。(曾祖父アンリによる)『ファーブル昆虫記』にも大きなインスピレーションを受けています。なお私にとってはスカラベも、フランドル派の伝統につながります。ヴァニタス画において昆虫は生死の架け橋であり、死への橋もポジティブなエネルギーの場として扱われる。死は覚醒や変化を引き起こすものととらえられ、私としてはそこに傾倒しています」。

初期の代表的なドローイング連作「青の時間」は、夜の生物が眠りにつき、昼の生物が目覚める、その間の静寂をテーマにしていた。彼にとってこうした"時間"の考察は、美術の他にも手がける舞台、詩などいずれにおいても重要な要素だという。

「最近、24時間かけて演じられる舞台『オリンポス山(Mount Olympus - To glorify the cult oftragedy)』を上演しました。ギリシア悲劇がテーマで、政治的・宗教的・今日的なカタルシスの探求ですが、私の表現における共通の関心は、人体及び、それが時間とともにいかに変容していくかです」。

変容とは前進か、あるいは輪廻のようなサイクルか。今回の連作には彫刻も数点あるが、やはりスカラベで覆われた頭蓋骨が咥えるロイヤル・ストレート・フラッシュを前に、我々は何を思うべきだろう。ファーブルは悲観的な運命論者なのか?

Skull With Poker Hand(どくろとポーカーハンド) 2013  玉虫の鞘翅、ポリマー、厚紙 22×19×28cm  Photo by Lieven Herreman © Angelos bvba

「いえ、違いますよ。たしかに人は常に運命に弄ばれつつ、死と戯れもします。どちらにも転べず、逃げ場がない。頭蓋骨は死の運命の表象とも言え、つまり死こそが運命の決定版なのです。ただ、私は人類という種の脆弱さ、危うさの中にある美を信じる者です。今多くの芸術家は権力の経済的なシステムを活用しますが、私はそうした方法論は用いません。作品もシニシズムを拒絶し、希望に満ちたものにしているつもりですよ」。

彼はそう言い、チャーミングな笑顔で話を締める。テーブルを隔て、白シャツとジーンズをまとう「中世の芸術家」と対峙するのは、奇妙で刺激的な時間だった。

『美術手帖』2015年9月号「ARTIST PICK UP」より)

PROFILE

JAN FABRE 1958年ベルギー、アントワープ生まれ。曽祖父で昆虫学者のジャン=アンリ・ファーブルの研究に影響を受け、死と変容をテーマに、スカラベの鞘翅(さやばね)を用いた彫刻やインスタレーション作品を制作。同時に、劇作家・演出家としても活躍。2010年に金沢21世紀美術館にて船越桂との二人展『Alternative Humanities』、東京都現代美術館のグループ展『Transformation』に参加、また「あいちトリエンナーレ2010」では演出・美術・振付を手がけた『Another Sleepy Dusty Delta Day~またもけだるい灰色のデルタデー』を上演。

編集部

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