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《元気炉》の制作を通して見えてきたもの。栗林隆インタビュー

社会や自然、そして日常生活や身体の「境界」をテーマにした大型のインスタレーションで知られる美術家・栗林隆。旧発電所である美術館にて、原子炉を模したサウナ作品をつくった彼に、美術の「文脈」から脱することと、自分と社会の関係について話を聞いた。

文=山本浩貴(文化研究者)

逗子のアトリエにて 撮影=岩澤高雄

 美術家・栗林隆を形容するもっとも適切な言葉は「elusive」である。「定義の難しい」や「とらえどころのない」といった意味を表すこの英単語は、連絡がつきにくく、音信不通になりがちな人物を指す形容詞でもある。同時に、美術史家・批評家にとっても、より本質的な意味で、栗林は非常に「elusive」な美術家だ。彼は、2000年代に開始したアートプロジェクト「YATAI TRIP」では、屋台を引いて国境を越え、様々な場所で様々な人々と交流した。2010年の「ネイチャー・センス展」(森美術館、東京)に出品したインスタレーション《ヴァルト・アウス・ヴァルト(林による林)》(2010)では、自然界の境界線の流動性を描き出した。「境界」というものの存在に関心を持っていると言えそうだが、彼は他者が規定する自己のイメージにとらわれることなく、その時代に即した多彩な芸術実践を行ってきている。それもそのはず、彼は美術業界から距離をおいた独自の哲学を持っている。

 「過去の美術家やキュレーターがつくってきた文脈にリスペクトはあります。でも、既存の文脈に自らを位置づけていくことには関心がありません。むしろ、自分はこれまでにない文脈をつくり出していきたい。既存の文脈にとらわれすぎることは、美術家としての個性をつぶしてしまうような気がします」。

 こうした発言からもわかる通り、栗林は、(アンディー・ウォーホルやダミアン・ハーストのように)自らを際立った存在としてセルフ・プロデュースすることを通して、プレイヤーとしての自己を無限に差異化し続ける、現代美術界の椅子取りゲームには目もくれない。では、彼の創作のモチベーションはどこにあるのか。

 「作品をつくるのは好きだし、アートの力を信じています。1990年代にドイツの美術大学にいましたが、そこで教授には最初に『お前の作品はどうでもいい、それよりもお前は何者なんだ』ということを徹底して問われました。そういう意味でも、自分は何者かという問いを追求することの根源的な初期衝動が、表現活動に結びついています。自分と徹底して向き合うことは、結果的には、社会と徹底して向き合うことに直結すると信じています」。

 栗林自身はあまり公言しないが、彼の少年のように純粋な心性の背後には、昆虫の生態写真を専門とする写真家である父・ さとし の影響があるように思われる。人間の視点からではなく昆虫の目線から見たような、ダイナミックな世界を写し出す彼の写真は、国内外で高い評価を獲得している。昨年、2人は初の親子コラボレーションを美術館で実現させた(「DOMANI・明日展2020 文化庁新進芸術家海外研修制度の作家たち」、国立新美術館、東京)。父について、栗林はこう語る。

 「多くの人が父からの影響を聞きたがりますが、それはほとんどありません(笑)。父は自分の興味のあることだけをとことん追求してきました。影響があるとすれば、『人は人、自分は自分』という一貫した姿勢かもしれません」。

 栗林の言葉の端々からは、おそらくは彼が父から受け継いだ、純度の高いエネルギーがあふれ出す。このエネルギーを凝縮した作品が、下山芸術の森発電所美術館での個展に際して制作された新作インスタレーション《元気炉》(2020)である。

下山芸術の森 発電所美術館(富山)に設置された《元気炉》(2020)。左下に見える黒のフレコンバッグは福島から持ち込んだもの
Photo by Rai Shizuno

《元気炉》に込められた思い

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