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2021.2.8

国境を超えた他者との関わり、歴史への視点。竹川宣彰インタビュー

手捻りの陶器、カラフルなペインティング、ユーモラスなパフォーマンス。竹川の作品には、思わず手を伸ばしたくなる優しい空気が満ちている。「AMIGOS(友達)」と題した個展を機に、AMIGOSや刷音(シュアイン)というコレクティブとしても活動する竹川に、制作の根底にある考えを聞いた。

文=木村絵理子(横浜美術館主任学芸員)

「ヨコハマトリエンナーレ2020」での、竹川が参加するコレクティブ「刷音(シュアイン)」の展示スペースにて 撮影=池ノ谷侑花(ゆかい)
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 穏やかな語り口だが硬派な思考。それが竹川宣彰という人物/作品の印象である。

 2020年、世界中がパンデミックに襲われた年に、竹川はいくつもの国をまたぐ複数のプロジェクトに従事していた。オオタファインアーツで開催された個展「AMIGOS」、中国、韓国、日本のアーティストたちが協働するプロジェクト「刷音」による「ヨコハマトリエンナーレ2020」への参加、そして日本に住む脱北した元「帰国者」とアーティストとの共同プロジェクト「朝露」への参加と作品発表である。これら3つのプロジェクトのなかで、竹川の役割や作風はグラデーションのように少しずつ異なっている。時期的にも重なり合うように展開したこれら3プロジェクトを、個展か協働プロジェクトかという参画の濃淡の別なく、等しく考えてみることで、彼がいま目指している表現活動の本質をのぞき見ることが可能になるのではないか。

 まずは個展「AMIGOS」。これは後述する「刷音」とも一部重なり合う要素を持ち併せている。展示としては、サボテンや拳銃、メキシコふうの服装をした男女などが登場するカラフルな大判の木版画とペインティング、そして大きなダイニングテーブルとそれに関連する映像作品が発表された。スペイン語で友だちへの呼びかけを意味するアミーゴのタイトルを与えられた同展は、一見メキシコふうの装いに満ちている。しかしながら、韓流ドラマを知る人には、マカロニ・ウェスタンのようにメキシコと朝鮮半島とが重なって見えてくる構造ともなっていた。例えば竹川のペインティング《ここはどこ?》は、サボテンのある平原にパラシュートで着地した女性と、それを発見する兵士を描いた作品であるが、これは韓国の財閥令嬢がパラグライダーの事故で北朝鮮に不時着し、そこで出会った将校と恋に落ちるというドラマ『愛の不時着』に着想したものであるという。ほかの作品も、それぞれ韓流ドラマのモチーフが取り入れられているというこれらの作品について、また韓流ドラマへの興味について、竹川はこう語る。

 「韓流ドラマにひかれたのは、そのドラマに描かれた直接的な政治性というよりも、公平さや正義といった、日本では語られなくなったような視点が描かれている点にあります。例えばいま、世界中で民主主義の危機がささやかれる状況にありますが、韓国ではそのことを正面からちゃんと考えようとしているように見えて、しかもそれがエンターテインメントとして花開いているところにひかれているのかなと思っています」。

竹川宣彰 ここはどこ? 2020 キャンバスにアクリル絵具 130.3×194cm

 制作の順番としては、これら韓流ドラマに着想した平面作品と前後して、コレクティブとしてのパフォーマンス「AMIGOS」が先にスタートしていた。「AMIGOS」は、最初は2019年の韓国で、続いて東京、そして20年の個展と「ヨコハマトリエンナーレ2020」内で発表された、パフォーマンスでありプロジェクトである。毎回少しずつ参加メンバーを変えつつ、韓国と日本に出自を持つアーティストたちが集い、メキシコふうの服装で踊りながら登場する。メンバー一人ひとりにAMIGOSを構成するアルファベットの1文字ずつが割り当てられて、踊りを通じて文字の順番が入れ替わり続ける。じつはこのパフォーマンスの構造はタイトルである《From GSOMIA to AMIGOS》にそのすべてが語られている。2019年、日韓の摩擦の一因ともなった軍事情報包括保護協定の頭文字であるGSOMIAが、並べ替えるとAMIGOSのアナグラムになっているという発見が、メキシコふうの意匠、メンバー構成へと反映されたのだ。

AMIGOS From GSOMIA to AMIGOS 2020 シングルチャンネルヴィデオ、音声 6分55秒

 「『AMIGOS』の出発点には、歴史修正主義に対抗したいという意識がありました。現代的な政治問題であるGSOMIAにふれているけれども、その背景には日本人がそもそもあまり歴史を振り返ってこなかったという問題があると思っていました。その気持ちを共有できるような仲間が周りにいたので、このアイデアを反射的に投げかけたのです。投げたからといってこうしたコラボレーションは簡単にできるものではないと思いますが、ソウルのクィア・フェスティバルを通じたつながりでアキラ・ザ・ハスラーが韓国でイ・ランの前座を務めることになり、そこに同行することになったソウル・クィアフェスティバルと東京レインボープライドの架け橋としての役割を担っていた日本在住の韓国人たちが参加してくれることになって、AMIGOSが実現しました。アイデアは僕のなかから出てきたものだけど、政治的関係がうまくいっていない時期にも、強くつながり続けていた元々あった日韓の個人レベルの交流に支えられたのです」。

 こうして一見明るいメキシコふうのスタイルに貫かれた個展「AMIGOS」は、歴史認識にまつわる課題を出発点に、クィアのつながりによって実現した創造的コラボレーションとしての広がりと、象徴的イメージからなる絵画群として成立することになったのである。

竹川宣彰「AMIGOS」(オオタファインアーツ、東京)展示風景 Courtesy of Ota Fine Arts 

繊細な歴史問題に踏み込む

 続いて紹介する「刷音」のプロジェクトは、AMIGOSからもう一段階さかのぼったところで始 まった。

 「刷音(中国語でシュアインと発音する)」は、竹川が2018年に南京へ滞在した際にスタートしたプロジェクトである。アーティスト・イン・レジデンスと呼ぶほど組織化されたものではなかったようではあるが、四方美術館の宿泊施設に集ったアーティストたちのレジデンスに身を寄せることになった竹川は、南京という土地に相対した日本人としての責任について考え、アーティストとしてそこに応答しようとする。

 「ポスト・コロニアリズム的な態度表明や、歴史修正主義の問題にどう向き合うかというところで南京に興味を持っていました。2018年、レジデンスに滞在し始めた当初は、南京博物館を見学したりしました。そこから断続的に南京を訪問しながら、歴史問題に限らず興味を広げていくなかで、改めて南京事件についてふれたいという意識が強くなっていきました。でも、日本のアーティストがこういったセンシティブな歴史問題に踏み込んだら、中国の人はこんな反応をするかもしれないとか、けっこう複雑な話になったりするんじゃないかとか心配もあったのですが、全然反応が違ったのです。中国にもまたアーティストたちそれぞれの事情があって、政治的な表現など、できないことが多いことに対する苛立ちが強くありました。そういう彼らの感覚と、自分のやりたいこととがすれ違っていないかと不安で、夜な夜な拙い英語で会話していたのですが、そういうやりとりを続けるうちに、徐々に刷音の土壌とスタイルができ上がっていったのです。それは誰もが参加しやすいかたちで、直接歴史的なことや悲惨な事実について言及するのではなく、中心にある課題を囲むように思い思いに集まって、面白いことをつくっていこうという方向性です」。

南京での「刷音」の様子 撮影=長谷川唯

 「刷音」としての初めてのプロジェクトは、2018年10月に竹川が参加した野外音楽フェスティバル「巨响」からの流れで実体化した。南京大虐殺の追悼記念日である12月13日が近づく頃に再び音楽のイベントを開催しようとした竹川らに、繊細な時期に音を出すことへの難色が示され、そのことが「刷音」という名称を生み出すきっかけともなったという。

 「『刷音』という言葉をつくったのはレジデンスの中心的存在であったアーティストのタン・ディシンです。ちょうどプロジェクトのタイトルを決めようとしていた頃、美術館のスタッフから音楽はやめてほしいと言われました。南京大虐殺は追悼の日を前後して、1ヶ月くらい続いたそうですが、とりわけ激しい虐殺が行われた最初の1週間くらいの時期に、こうしたイベントは開催できないという理由でした。それで音楽はやらないという判断をしたのですが、そのときにタン・ディシンが、音を刷るという言葉を使えば、『印刷』という記録を意味する言葉と、『刷毛』で土器などを掃除するように発掘する意味を重ね合わせて、歴史を顕わにするという意味が生まれると言ったのです。タイトルとして完璧だなと思いました」。

 音のない音楽的なアーティストたちのセッションとして命名された「刷音」。結果的にイベント当日になってみると音楽のための機材が準備されていたというが、シルクスクリーンのワークショップは約束通りに音楽なしで実施したうえで、南京だけでなく上海や東京から集まったアーティストたちの創造的競演としてのアフターパーティが実現したという。そしてこうした刷音の活動に共鳴し、2020年の夏に東京オリンピックが行われているはずだった日本で、同時期に「刷音」を野外フェスとして開催するというのが、筆者もまた主催者の一員として関与していた「ヨコハマトリエンナーレ2020」での当初のプランでもあった。残念ながらコロナ禍において、中国や韓国からアーティストを招へいすることや、大勢の観客を一度に集めてイベントを実施することの困難さから、横浜での「刷音」はオンライン上での開催へとかたちを変えたが、「階層化されない環境を見いだし、培っていくこと」が彼らの原動力となっていると、「ヨコハマトリエンナーレ2020」のアーティスティック・ディレクターであるラクス・メディア・コレクティブが、プロジェクトの紹介テキストで語った「刷音」の魅力は、場を変えても失われることなく、むしろ「中心」が不在であるオンラインの領域でも、如何なく発揮された。

北朝鮮という場所を自分たちの場所として考えてみる

 そして最後に紹介するプロジェクト「朝露」もまた、2019年に始まった複数のアーティストと参加者によるコラボレーションとして展開している。中心となっているのはアーティストの琴仙姫(クム・ソニ)で、彼女がコラボレーションをしたいと声をかけたアーティストのなかに竹川が含まれていた。

 そして協働の相手は、日本に現在200名余りいるとされる脱北した元「帰国者」である。1959年から84年にかけて、断続的に行われた日朝の赤十字主導による「帰国事業」。これによって北朝鮮に移住した人々とその子孫は、過酷な生活を余儀なくされ、命を落とすことも多かったという。命からがら脱北してもなお、新たな差別や制度上の不備に苦しめられる。ここにも個人の力では立ち向かうことが難しいと思えるような歴史と政治の課題が横たわっているが、竹川は脱北したプロジェクト参加者とともに、北に残してきた父に教わった「どんぐりころころ」の歌という個人的な思い出と、その父にいつか贈り物をするというありえるかもしれない未来に思いをはせ、陶器のどんぐりを制作した。このプロジェクトは、東京での作品発表の後、鳥取、韓国へと場所を移しつつ、いつかは北朝鮮へもつながることを夢想しながら継続していく予定であるという。

「朝露 日本に住む脱北した元『帰国者』とアーティストとの共同プロジェクト」(北千住BUoY、東京)での竹川宣彰《トットリころころ》(2020)の展示風景 

 「報道では、どうしても情報が消費されてしまう側面があるじゃないですか。苦難の行軍の時期なども、楽園とされた北朝鮮がこんな苦境に陥っています、とまるで見世物にするような内容でないとニュースにもならない。そこには本当に苦しんでいる人がいて、どうにかしなければならないはずなのに、本質はなかなか届かない。本当のことがわからない現在のコロナ禍でも、それと同じようなことがまた繰り返されるんじゃないかと危惧しています。だからこそ、いま、北朝鮮という場所を、自分たちの場所として考えてみることで、見えてくるものがあるのではないかと思っているのです」。

 竹川の活動の根底にはつねに、歴史、とりわけ近代史に対する内省的な視点が貫かれている。と同時に、朴訥ぼくとつとした味わいのある手跡や筆触豊かな温かみに満ちた表現が同居して、居心地の良い空間をつくり上げているのである。こうした表現から見えてくるのは、誰かを糾弾するのではなく、理解するために他者を受け容れようとする柔軟性だ。それは、立ち位置の明確さが求められ、わかりやすさが重視される社会では、にわかには気づかれにくい性質かもしれないが、個人の作品でも、コラボレーションによる活動でも、絵画であってもパフォーマンスであっても、竹川の目指す表現の本質が揺れ動くことはない。そして彼は語る。

 「アートって同じ時代の人にはすぐに伝わらなくても、違う時代の違う場所でひもとかれる可能性を秘めているじゃないですか。そうやって遠くまで届けられるものだと感じています」。

『美術手帖』2021年2月号「ARTIST PICK UP」より)