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2020.11.3

藤原ヒロシ インタビュー。カルチャーと呼応するアートを見つめる

1980年代の日本のクラブ・カルチャー黎明期よりDJとして活躍し、90年代には「裏原」と呼ばれる、日本のストリート・カルチャーの隆盛をつくりあげた藤原ヒロシ。音楽やファッションのみならず様々な文化のディレクションを担い、世界中に多くのフォロワーを生んできた。ニューアルバム『SLUMBERS 2』の発表を機に、藤原がこれまでいかなるアートに触れ、どのようにとらえてきたのかを中心に話を聞いた。

聞き手・構成=安原真広(ウェブ版「美術手帖」編集部) 撮影=稲葉真

藤原ヒロシ
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 1980年代の日本のクラブ・カルチャー黎明期よりDJとして活躍し、90年代には「裏原」と呼ばれる、日本のストリートファションの隆盛をつくりあげた藤原ヒロシ。「fragment design」名義で、ファッションのみならず様々なジャンルのクリエイティブを担い、世界中にファンを生み出すとともに、ミュージシャンとしての活動も積極的に続けている。

 80年代よりロンドンやニューヨークのアートシーンを見てきた藤原は、アートコレクターとしての一面も持つ。3年振りとなるニューアルバム『SLUMBERS 2』の発表を機に、藤原がこれまでいかなるアートに触れ、それをどのようにとらえてきたのかを中心に話を聞いた。

音楽活動とつながるアート

『──新アルバムSLUMBERS 2』は、前作『SLUMBERS』に引き続き、サカナクションの山口一郎さんが設立したNF Recordsよりリリースされました。アルバムを聴くと80年代の日本のシティ・ポップやフューチャー・ファンクのような、どこか懐かしくも新しい楽曲づくりをしていると感じます。今回のアルバムで目指したものを教えて下さい。

 楽曲が溜まったらアルバムをリリースする、といった感覚なので、前回のアルバムと曲の構成やフォーマットは似た感じになったかなと思っています。ただ、今回はちょっとハウスミュージックのようなダンス系の要素も入っています。僕の音楽キャリアはDJから始まっているので、DJをするときにかけてたようなタイプの曲も織り交ぜたりしながら、自分のアーカイブを昇華しつつ制作しました。

──今回のアルバムの楽曲には、全曲ミュージックビデオが用意されています。神山ゆりさんやonnacodomo、ReeeznDといったアーティストやデザイナーが参加していますね。

 友人のアートディレクターで、ODDJOBの社長の藤井進午くんにたまたま会ってアルバムの話をしたら、「ミュージックビデオをつくろうよ」という話になりました。どうせやるのなら全曲つくろうという話になったのですが、つくってみてよかったですね。ODDJOBのクリエイティブチームがほとんどのアートディレクションをやってくれて、ムービーのアイデアも彼らが出してくれました。

──「TERRITORY」のミュージックビデオには、アーティストのKYNEさんのアートワークが使われています。

 KYNEくんを使いたいというのは僕のアイデアですね。ミュージックビデオに実在の女性モデルを出す感じでもなかったので、KYNEくんのキャラクターをうまく出せないかな、と考えました。KYNEくんと知り合ったのは2年ほど前ですが、いまや大人気のアーティストになっちゃいましたね。アート業界ってやっぱりすごいですね、若い人が急に高く評価されたりするので。

──アルバムのリミテッドエディションに収録されている「harmony」という楽曲は、写真家の川内倫子さんの短編映画『HARMONY』のサウンドトラックでもあります。

 野口真彩子さんと佐々木拓真さんによる、「NOMA t.d.(ノーマティーディー)」というファッションブランドのコレクション発表を機に、川内倫子さんが短編映画をつくることになりました。そのときに、映画音楽として楽曲を制作したんです。川内さんとはそんなに面識があるわけではないのですが、川内さんとテリ・ワイフェンバックが一緒にやった展覧会「Gift」(2014、IMA gallery、東京)を見に行ったことは憶えています。とても良かったですね。

ロンドン、ニューヨーク、触れてきたカルチャーとアート

──ここからは、過去に藤原さんがその目で見てきたカルチャーやアートシーンについてお聞きできればと思います。1980年代にロンドンに渡り、マルコム・マクラーレンを始めとするパンクシーンをつくりあげた人々と交流していました。アートの世界においてもロンドン・パンクに影響を受けた作家は多く、例えばダミアン・ハーストやバンクシーといったアーティストが思い浮かびますが、藤原さんは当時のパンクにまつわるアートシーンをどのように見ていましたか?

 僕自身は本当にダイレクトなパンクシーンを体験したわけではなく、あくまで後追いでした。ロンドン・パンクが流行していた当時はまだ中学生で、ロンドンに渡ったのはその3〜4年後。すでにニューウェーブの潮流が強くなっていた頃でした。

 ただ、パンク・ファッションの人はまだ街にたくさんいましたし、全盛期の香りは残っていました。当時は、アンドリュー・ローガンやダギー・フィールズといったロンドンのアーティスト達と仲良くさせてもらっていましたね。セックス・ピストルズの最初のライブがアンドリューの家で行われたことからもわかるように、パンクが音楽だけでなくアートやカルチャーの集合体であることは体感していました。

 パンクって、おもしろいことをやっている変わった人達が仲良くなっていく感じで、全員がマイノリティの集合体のようなものなんです。僕もまた、ロンドンの日本人として、マイノリティのひとりだったんですね。

 当時の空気はアーティストにも様々な影響を与えたと思います。ダミアン・ハーストは僕と同世代ですし、バンクシーのパフォーマンスを見ても、当時のロンドン・パンクがつくった雰囲気に影響されているとは思いますね。

──パンクに傾倒していた中学・高校時代に惹かれていたアーティストはいますか?

 例えばアンディ・ウォーホルは知っていたけれど、当時はその凄さがあまりわからなかったですね。やはり、セックス・ピストルズのアートワークを手がけたジェイミー・リードなどのパンクの表現が好きでした。その後、ちょっと大人になってから、彼らの表現がシチュアショニストたちに強い影響を受けていることを知りました。

 例えば、シチュアショニストとしてはデンマークのアスガー・ヨルンがいますが、近々、彼の作品を全面にプリントしたシャツが、とあるブランドから出るという話を聞きました。中学生の頃に惹かれていたパンクの表現の源流が、そのようなかたちで再評価されるのはなんだか嬉しいですね。

──藤原さんはロンドン滞在後、マルコム・マクラーレンとともにヒップホップ・カルチャーが隆盛し始めたニューヨークに渡ります。80年代後半のニューヨークでは、グラフィティを始めとするストリートアートを目にしていたのではないでしょうか?

 そうしたカルチャーも、パンクの延長という感じで見ていましたね。建物に落書きするといったアナーキーな行動は、アティチュードとしてはパンクに近い。だから、パンクの人たちも、ストリートカルチャーに惹かれていったんじゃないですかね。

 当時はFutura(フューチュラ)や、STASH(スタッシュ)といったストリート・アーティストとの出会いがありました。フューチュラは『ワイルドスタイル』という映画のプロモーションで日本にも来ていて、彼が大阪の繁華街で女の子たちに声をかけてホテルに一緒に連れて来たら、ヤクザのような人が怒って押しかけてきて「大阪、ブロンクスより怖い」なんて言っていたことを憶えています(笑)。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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アーティストを見つけ、作品を所有する楽しみ

──ロンドンやニューヨークでは、出会ったアーティストの作品を購入していたのでしょうか?

 その頃は、まだ作品を買うということはなかったですね。当時はキース・ヘリングも来日していて、「描いて」とお願いしたら普通に描いてくれたりしていました。そういう意味では、ストリート・アートがちゃんとしたアートとして受け取られていなかった時代とも言えると思います。

 ジャン=ミシェル・バスキアが亡くなった後、追悼の意味も込めて、クリスティーズかサザビーズかのオークションで彼の作品を買ったのが初めての大きなアートの買い物ですね。そのとき、ゲルハルト・リヒターのエディションのポスターも一緒に買ったことを憶えています。

──2008年にカイカイキキギャラリーで開催された「"HI & LO"」では、村上隆さんのディレクションのもと、ご自身のコレクションを展示しています。フューチュラやホセ・パルラ、アンディ・ウォーホル、ダミアン・ハーストなどが並んでいましたが、現在では何点くらいの作品を保有しているのでしょう?

 有名作家の高額作品をたくさん持っているわけではなく、無名の作家のものもたくさんあるのですが、小さいのも含めたら100点くらいはあると思います。ある程度は部屋に飾りながら、定期的に入れ替えたりする感じです。

──藤原さんは政田武史さんや小村希史さんといったアーティストの作品も、キャリアの初期の段階で購入していますね。

 政田さんはたまたまインビテーションを目にして展覧会を見に行き、惹かれたという感じですね。小村さんも、村上隆さんの「Geisai#10」(2006)のときに知って、すごく良い作品だったので、その後に何点か買わせてもらいました。黒坂麻衣さんの作品も好きで結構購入していますが、彼女もたまたまウェブで見つけて気になった作家です。ちなみに、今回のアルバムに収録した「MAIとPAUL」は彼女の作品をイメージした楽曲です。

 あと、最近はTIDEさんがすごい勢いありますよね。SBIのオークションで4000万円を超える高値がついたのには驚きました。彼の作品は、写真で見ると平面的ですが、実物はしっかりと油絵具の質感を感じられるのが良いですよね。狙ってるわけではないと思いますが、KAWS的なカートゥーン風味のキャラクターを、五木田智央さんの作品を思い起こさせるようなモノトーンで、しっかりとした厚塗りで描いている。みんなが欲しいと思っているものを、このタイミングで出せるのはすごいと思います。

──アートオークションもよくチェックされるのでしょうか?

 見ますし、自分のコレクションを出品したりもしますね。オークションと言えば、おもしろいことがありました。KAWSと久しぶりにお茶をしていたときに、たまたま僕は彼の作品をオークションに出そうとしていたんです。僕自身、持っていたことを忘れていた彼の初期作品です。

 そこで、彼に「自分の作品がオークションにかけられることについてどう思う?」と聞いたら「10年同じ絵を飾ってたら当然飽きるし、売ったりオークションにかけられることについてはなんとも思わない」って言うんです。しかも、たとえ売ったものであろうが、彼は自分の作品はずっと自分のものだと思っている、と。

 その意識は僕にはないものでした。音楽をつくったら、発売と同時にみんなのものになるし、Tシャツやグッズだって買った人のものだし、いつまでも自分のものだなんて考えたこともなかった。でも、彼は自分のつくったものは自分のものだと言う。それはすごいおもしろい観点だと思いました。

 さらに、「オークションに出そうとしている作品ってあれでしょ」と、具体的な作品まで当てられてしまった。そんなに憶えてくれているのなら「あと10年は持っておくよ」と、預けていたオークション会社から引き上げてまた所有しています。そういった視点を貰えるという意味でも、アートはおもしろいなと思いますね。

──KAWSとはかなり親しいようですが、出会いのきっかけは何だったのでしょうか?

 シュプリームの創設者のジェームス・ジェビアがKAWSの実力を買っていて、それで紹介してもらったんだと思います。僕はキャラクターものがそんなに好きではなかったんですが、KAWSはそのコンセプトが本当に良かったです。バス停の広告ケースの鍵を手に入れて、中の広告に作品を描いてから戻すあのパフォーマンス、すごくおもしろかった。

 KAWSもいまや世界的なアーティストですが、今の日本でもKYNEくんやTIDEさんのように、若い人が急に成長するのがおもしろいと思います。

藤原ヒロシ

勢いづくアート業界と、本当に大切なこと

──若いアーティストが急激に高い評価を得るのは、作品を購入する若い世代のアートファンが増えているという要因もあると思いますが、藤原さんは現在のアート業界をどのように見ていますか?

 業界そのものがいま変革していますよね。アーティストがSNSなどで自分から情報を発信できるので、ギャラリーのあり方も問われていると思います。でも、ギャラリーの大切な仕事としては、作家の作品を美術館で発表できるようにして、歴史に残るアーカイヴにしていくという役割もあるはずです。美術館に収蔵されることに若い作家が興味を持てなくても、やはりアーカイヴされることは大事だと思っています。

──京都精華大学では客員教員をされています。若い世代にはどのようなことを伝えているのでしょう。

 特別なことを教えているという意識はないのですが、何かつくりあげるということを一緒に考えています。作品のキュレーションをして展覧会をやってみたり、ZINEをつくってみたり。

 ZINEという存在を知らない子もたくさんいますからね。ウェブコンテンツをつくりたいという学生は多いのですが、それとは逆方向のアナログで切り貼りするZINEをつくってみて、メディアの多様性を知ってもらったりしています。

──ご自身で手を動かすということについても、大切にされているのですね。

 自分で手を動かすことは好きですね。グラフィックをデザインするときも、まずは手で切り貼りしたものをつくって、コンピューターに取り込むということが結構多いです。アナログ的な作業をするために、自宅にはカッター、ピンセット、のり、カッティングボードなんかがつねにあります。音楽でもデザインでも、つくるときのアナログなアプローチは大事だし、いろんなものを混ぜてみるのが好きですね。

──美術の世界も、文脈のなかでさまざまなものを引用したり混ぜたりして新しいものがつくりだされてきたという側面があります。

 最近は、何かを引用したり混ぜたりするにしても、文化とは関係ない外側から、批判の声が飛んできたりしますよね。美術も同じで、大変だと思います。誰だって最初は、何かに似たものをつくったりするものですが、そこを乗り越えることこそが大事なはずです。美術は時間の経過が重要なので、誰かの真似をしていても、それを20年続ければその人のものになっていくわけです。ただ真似をすることが良いわけではないけど、そこから変わっていくものの価値もあるはずです。

──美術の入口は広いですが、深いところに行くためには蓄積が必要ですよね。

 音楽でもファッションでも、僕がやっていることを「誰にでもできる」と言う人はいる。けれど、そのときは誰もやっていなかったということに意味があると思うんです。それは、絵画でも写真でも同じです。

 サイ・トゥオンブリーの作品なんて誰でも描けると言えるかもしれないけど、その描くという行為に向かい合ったからこそ価値がある。リヒターのアブストラクトも、やろうと思えば誰でもできるかもしれない。けれど、積み重ねた絵画の歴史的なバックグラウンドがあるから、彼はあれほど評価されるわけですよね。

 結局、どこまで深いところに行けるのかは本人次第だと思います。そこがわかる人は残っていくし、わからない人は残らない。そういうことだと思います。