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彫刻家として追い求めるブレイクダンスの移動性。小畑多丘インタビュー

B BOY(ブレイクダンサー)をモチーフとした木彫作品で知られる小畑多丘。自身もダンサーとして活動し、身体の動きや物質の移動性への興味から生まれるその作品は、立体からドローイング、写真や映像まで多岐にわたる。なぜブレイクダンスなのか、ダンスがいかに制作と接続しているのかを聞いた。

聞き手・構成=安原真広

小畑多丘

ブレイクダンスから始まった制作活動

──小畑さんのこれまでの制作において、主題であり続けているのがブレイクダンスですよね。木彫の立体からドローイングまで、ブレイクダンスへの探求が貫かれていますが、小畑さんとブレイクダンスとの出会いはどのようなものだったのでしょう?

 小学生のときにテレビでブレイクダンスを見て、そのかっこよさに衝撃を受けましたNew Jack SwingとかMC Hammerが流行ってた時期で、日本でもダンスが流行っていましたよね。

 ダンスを入口としてラップミュージックをよく聴くようになり、さらに中学校でバスケを始めてNBAの流行に触れたり、ナイキのスニーカーに憧れたりしながら、アメリカのヒップホップ・カルチャーの虜になっていきました。兄からブレイクダンスを教えてもらってからは、従弟や友達といっしょにダンスのチームをつくり、毎日踊るようになったんです。

小畑多丘 TakuspeFAD 2014 (c)Taku Obata

──ダンスを含め、ヒップホップカルチャーから大きな影響を受けていた小畑さんですが、そこから彫刻作品をつくるようには、どうしてなったのでしょう。

 高校生まではダンスばかりやってたんですけど、兄が美術予備校のデザインコースに通い始めたことをきっかけに、自分も将来好きなことを仕事にしてやろうと思いました。ダンスの映像に興味があったので、最初は映像・演劇・映画といった学科を受験してどこにも受からず、浪人して美術予備校の映像科に通うことにしました。そこで、ヤン・シュヴァンクマイエルのアニメーション作品を見て衝撃を受けてブレイクダンスのクレイアニメと実写が混ざった作品などをつくってみたりしましたね。いずれにせよ、どんな課題が出てもブレイクダンスと結びつけて作品をつくっていました。

 あるとき、予備校のパンフレットで彫刻科の案内を見ていて、単純にB BOY(ブレイクダンサー)の彫刻があったらおもしろいんじゃないかなと思ったんです。彫刻でB-BOYをつくってる人なんかいないし、自分にも合ってそうだと思い、2浪目からは予備校の彫刻科に移りました。彫刻科ではデッサンに夢中になり、そのときはダンスをするのも止めて、3浪目で東京藝術大学の彫刻科に合格することができました。

──彫刻科に入学後、小畑さんの創作スタイルが木彫に絞られていったわけですね。

  彫刻科でのおもな制作は木彫と石彫と金属と陶製といった4種類が基本となっていて、最初はそれ学んでいくんですけど、初めての木彫の課題のときに、素材としての木が持っている存在感に惹かれました。造形には自信があったのですが、初めて木彫でカービングに挑戦したら、全然うまくできなくて。だからカービングでなんでもつくれるようになったら完璧なんじゃないかと思って、これをマスターしようと思ったんです。

 それに、木彫でB BOYをつくるなんて、絶対に誰もやっていないですしね。そのときから、等身大のB BOYをつくるようになりました。基本的に、軸となる木材を買って、それを寄木にして原型をつくり、削っていくという方法でやっています。一本木から削り出す人もいますが、僕は木という素材それぞれの組み合わせで動きをつくれるほうがおもしろいと思っています。

小畑多丘 untitled (c)Taku Obata

──立体の制作にあたってはダンサーをモデルを使ったりするのでしょうか?

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