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2018.4.6

NYを代表するギャラリー「ファーガス・マカフリー」が東京に進出。その狙いを聞く

2006年の設立以来、日本戦後美術を欧米に広めてきたニューヨークのギャラリー「ファーガス・マカフリー」がついにこの春、東京・表参道に進出する。なぜこの時期なのか? そしてなぜ東京なのか? 3月24日のオープンを前に、設立者のファーガス・マカフリーと、空間デザインを手がけたビル・カッツに話を聞いた。

ファーガス・マカフリー外観
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|ギャラリーデザインに「一切の妥協なし」

――ファーガス・マカフリーはもともと白髪一雄をはじめ、元永定正や中西夏之など多数の日本人アーティストを取り扱っているので、日本進出は自然な流れにも感じます。欧米のメガギャラリーが香港や上海などに進出する傾向が強いなか、ファーガスさんがあえて東京にギャラリーを出店しようと考えた理由についてお聞かせください。

ファーガス 東京進出はじつは10年以上考えてきたことなのです。このスペースは2年にわたって探してきました。アジアに進出する際、香港などの候補もあるなか、なぜ日本なのか。それは、日本は文化が持つ潜在的な力や、アーティストたちに訴求する力が強いからです。展覧会の話を持ちかけると、「日本だとぜひやりたい!」という作家は多いんです。お金を稼ぐのであれば香港かもしれません。でも、文化的な活動をするのであれば東京です。

――マーケットの観点から見ると、東京は魅力的ではないということになりますか?

ファーガス そうではありません。日本は中国に追い越されはしたものの、いまなお世界第3位の経済大国です。日本のアートマーケットはまた拡大してきていますし、いまはコレクターも育ってきていますよね。私たちはグローバルなアートマーケットのなかで仕事をしていますし、素晴らしい展覧会をすると、アジア、ヨーロッパ、アメリカなどからの関心が強くなります。東京は素晴らしいインフラを備えた世界的な都市であり、訪問するのには非常に魅力的な場所です。東京でスペースをオープンすることで、ワールドワイドな育成をすることができます。

青山通りから見たギャラリーの外観

――今回オープンするスペースは独特の雰囲気がありますね。どういうコンセプトでデザインされたのですか?

ファーガス チェルシーのスペースは1000平米ある広大なものですが、日本では日本の風土や住環境に合わせた空間にしたい、と考えました。西洋の近代建築は、日本の伝統建築に大きな影響を受けています。東京のスペースについて考えたとき、

私はその関係性を明らかにしたかったのです。そこで今回は、日本の数寄屋建築家・中村外二さん、建築事務所のムトカ、ニューヨークの大御所展示デザイナーであるビル・カッツがコラボレーションしました。日本のクラフトマンがこのギャラリーオープンに参加してくれるのは大変光栄なことです。中村さんが持つ伝統と、ビルのコンテンポラリー性がうまくマッチしていると思います。ビルはこれまで、ジャスパー・ジョーンズやサイ・トゥオンブリー、フランチェスコ・クレメンテ、ロバート・インディアナ、アンゼルム・キーファーといった数多のアーティストたちと数十年にわたり仕事をしてきました。その経験もあって、空間における作品の生かし方がとても巧みなんです。彼らがいなければ成功しなかったでしょう。

ファーガス・マカフリー

 チェルシーの空間をそのまま東京に当てはめてしまうと、とても「冷たい」感じになってしまう。チェルシーにあるような、ただのホワイトキューブにはしたくなかったんです。日本には特有の「詩情」があります。そういった要素を活かすには、ビルと中村さんの力が絶対に必要だったのです。

障子が印象的なギャラリー内部

――木をふんだんに使ったファサードがとても印象的です。

ビル ギャラリー自体は大通りから入ったところにあるります。エントランスの前には様々な色や広告が広がっていますので、私は真っ黒なファサードをデザインしました。静かで、でもはっきりしたデザインで「ここがギャラリーだ」とわかるようになっています。中村さんと彼のチームは、エントランスポーチをすばらしい日本の手仕事で仕上げてくれました。

ファーガス ギャラリーに入るとカウンターにスタッフが2人いて、黙々とパソコンに向かっているーーそんなエモーションレスな空間は嫌なんです。もっと温もりを感じてほしい。今回、ビルが参加してくれたことで、ギャラリーとしての機能性と、日本的な空間のバランスがとてもよく取れていると思います。

ビル 今回のスペースは2つの空間にシンメトリーに分かれており、それぞれに障子戸が付いています。障子越しの外光が入るので、その光が明るいグレーの壁に溶け込むようになっています。

外光を和らげる障子

ファーガス 東京スペースは、10年以上夢に抱いてきたことですので、一切の妥協なしでつくりあげました。

ビル 今回が私にとって日本で初めてのプロジェクトでしたが、非常に技術の高い職人たちと仕事できたことは大きな喜びでした。

ビル・カッツ

|日本戦後美術をグローバルな文脈へ

――その温もりのある空間で最初に作品を見せるのは、ロバート・ライマンですね。

ファーガス 展覧会では、1961年から2003年までに制作された11の作品を通して、ライマンの活動を概観します。また、彼の哲学的でプロセスに基づいた制作アプローチと、中西夏之や河原温など同年代の日本人作家の制作アプローチがどのように共鳴するかを追求します。

ロバート・ライマン Concert 1 1978頃 グラファイト・油彩、ファイバーガラスにアルミ板
106.7x106.7cm © The Artist; Courtesy of Fergus McCaffrey

――中西夏之の名前も出ましたが、ファーガス・マカフリーでは多くの日本人アーティストを扱っています。今後の展覧会ではどのようなラインナップをお考えですか?

ファーガス 私は日本政府から奨学金をもらい、京都大学で哲学を学んでいたこともあるので、日本の戦後美術に精通することができました。私は日本と日本の人々に恩を感じていますので、今回のギャラリーオープンはその“恩返し”とも言えますね。ただ今後のプログラムでは、日本で展示されたことがない作家を紹介したい。いっぽう、白髪一雄や元永定正といった作家たちを見せていく責任もあると思います。これまでも、日本の作家をグローバルな美術史の文脈の中で紹介してきましたが、この活動は東京でも継続していきます。

ギャラリー内部。これと同じ空間がもう一つある

――ニューヨークと東京、2つの都市でギャラリーを展開する意義についてどう思われますか?

ファーガス 歴史的に、ニューヨークは河原温や草間彌生、杉本博司など、ニューヨークで活動した、あるいはしていたアーティストたち以外の日本美術の美学的な発展に対して盲目的でした。しかし、高松次郎や中西夏之、白髪一雄など、アメリカに渡らなかったアーティストは非常に多く、彼らのことはほとんど知らていなかった。 私たちは、この情報のギャップを少しでも減らすよう努めてきました。

 しかしこの10年で、日本の戦後美術に対する評価は激変し、いまや海外では高い評価を得ています。いっぽう、日本ではまだその評価に対するタイムラグがある。そこで我々が東京にギャラリーをオープンすることで、そのギャップやタイムラグを少しでも縮められればと考えています。

 例えば具体美術協会の会員で、協会の運営においても大きな役割を担っていた吉田稔郎などは認知度が低いですよね。私は彼の展覧会をここでやりたいと考えていますし、それによって具体への理解も変わると思います。私見では、彼はピエロ・マンゾーニやルチアーノ・フォンタナにも匹敵するアーティスト。彼の作品を見る人たちの反応が楽しみですね。

ギャラリー内部

――両国の橋渡しとなるような存在を目指すということですね。

ファーガス 加えてギャラリーと美術館の関係についても提言したいですね。ニューヨークで展覧会をする場合、アメリカの美術館は作品貸し出しに非常に協力的だし、キュレーターたちともよく一緒に仕事をします。ですが、この関係性は日本では見られません。美術史とマーケットは本来表裏一体のはずです。しかし、日本では美術館とギャラリーは2つの民族のように分断しています。まるで違う言語を話しているかのよう。今後の活動を通して、その環境も変えていきたいです。

左からビル・カッツ,ファーガス・マカフリー