夜の獣たちの道徳
もう17年前になるが、当時グッチとイヴ・サンローランのクリエイティブ・ディレクターとしてトム・フォードが来日した際に彼が企画した展覧会会場で会うこととなった。彼がシネフィルということを聞いていたので、どんな映画に傾倒しているのかと問うと、「50年代のハードボイルドやフィルムノワールの時代精神と美意識に影響を受けている」と、そして、「いつか映画をつくることが夢である」と語ったことが昨日のことのようだ。その夢がついに実現し、映画『シングルマン』(2009)の監督としてデビュー、世界の映画祭を席巻した。そして、今回は、新作映画『ノクターナル・アニマルズ』を監督し、ヴェネツィア国際映画祭では金獅子賞を争い、審査員大賞を獲得している。
『ノクターナル・アニマルズ』は、オースティン・ライトの小説を、主人公の職業や時代設定を変えて映画化したものである。映画は、アートギャラリーのオーナーとして成功したスーザンの空虚なLAでの生活を象徴する展覧会レセプションのシーンからはじまる。翌日、20年前に別れた元夫のエドワードから「君との別れが着想になって小説を書いた。感想を聞かせてほしい」とメッセージを添えた小説の草稿がスーザンに送り付けられる。そこから映画は、スーザンの現在(LA)と彼女が読み進む小説 (テキサス)、そしてスーザンとエドワードとの過去の関係性(NY)が交錯しながら同時進行していく。小説は、映画の中で映像化され入れ子構造となり、「世界は重なり合って渦巻くこととなる」(トム・フォード)。
優れた映画制作者は、イメージとことばの均衡によるストーリーテリングの効果を知り抜いている。映画では、ジョン・カリンやジェフ・クーンズ、デミアン・ハースト、ジャック・ピアソンらによるアートワークが各シークエンスに配され、LAの虚無的空騒ぎとスーザンの心理的揺動を効果的に浮かび上がらせていく。実在の人々が虚構の人物に変容し、トラウマを物語にした閉ざされた空間では、人生が「夜の獣たち」の愛と復讐のルール、そして道徳によって支配されることとなる。スーザンは、もはや虚構とリアルの境界線が存在しない砂漠に足を踏み入れようとしている。トム・フォードは、「スーザンはまさに僕自身なのだ」と語っている。
(『美術手帖』2017年10月号「INFORMATION」より)