端正な映像のなかに見えてくる「記録」の力 『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』
レイモン・ドゥパルドンはフランスを代表する写真家である。ポジションとしてはアンリ・カルティエ=ブレッソン、ロベール・ドアノーに続くスナップショットの名手であり、マグナム・フォトに所属するフォト・ジャーナリストとして第一線で活躍してきたベテランだ。まさに写真家らしい写真家と言える存在だ。
したがって、『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』は、その写真家人生を回顧した映画だと早合点していた。大間違いだった。たしかに映画にドゥパルドン自身が登場するが、そこにはいままさに写真を撮影している彼と、過去に撮影したドキュメンタリー映像が交互に登場するのだ。
映画には2つの時間が流れている。ひとつは現代。ドゥパルドンはフランス中を旅し、8×10の大判フィルムを使うカメラを三脚につけ、ここぞという風景を探している。街角があり、自然があり、人物の集合写真がある。旅を追う映像もまた、ドゥパルドンの写真のように端正だ。
もうひとつの時間は1960年代から2000年代までドゥパルドンが撮影してきた映像フィルムである。題材となっているのは20世紀後半の世界史に大書される事件、紛争、とくにアフリカを扱ったものが多い。また、フランスの社会問題や裁判制度にレンズを向けた作品もある。
ドゥパルドンは写真と映像によって、事実を記録する。彼のスタイルはファインダーをのぞいて待つこと。ネルソン・マンデラが口を開くまでカメラを回し続けたシーンは、ドゥパルドンの写真家としての人との向き合い方をも想像させる。
ドゥパルドンが活動したおよそ50年のあいだに社会における写真、映像の立ち位置は大きく変わった。だが、ドゥパルドンが変わらずに持ち続けているポリシーは、未来へ残すべきものを記録することだ。その一貫した姿勢は、不自由な大型カメラで、フランスの街角を丹念に撮影する現在のドゥパルドンの姿に凝縮されている。
(『美術手帖』2017年10月号「INFORMATION」より)