南仏の光に彩られたほろ苦い青春の記憶
セザンヌとゾラとの出会いは中学時代。セザンヌは、「移民の子」といじめられていたゾラを助け、ゾラはそのお礼にリンゴをプレゼントする。この有名なエピソードを含め、バスティアン少年を加えた仲良し3人組の夏の川遊びや山歩き、画家への夢を父親に反対されて苦悶するセザンヌと彼を励ますゾラ、パリに出たもののエコール・デ・ボザールの試験に落ち続け絶望するセザンヌ、小説が売れず日々の食べ物にも事欠くゾラ、マネに嫌味を言うセザンヌなどの場面が、カットアップ的な手法で時間軸を飛び越えて、錯綜するように展開していく。
しかも映画のタイトルが示すように、2人を均等に扱っているようでありながら、じつはややゾラ寄りの視点からのセザンヌが描き出されてもいる(仏語のタイトルはさらに直截で『Cezanne et mo(i セザンヌと私)』)。時に衝突しつつも、支え合ってきた2人。それでも、セザンヌの意固地な性格に腹を立てたゾラが見せる諦め半分の表情が印象的だ。
そしてゾラの小説『制作』をめぐる対立と決別。セザンヌは自分をモデルにしたと激高するのだが、この小説はどう読んでもセザンヌよりはマネを思い浮かばせるのだ。ここは「君一人がモデルじゃない」というゾラに軍配を上げるべきだが、とにかく頑固なセザンヌには何を言っても通じないのだから致し方なし。
とはいえ、エクスの自然に育まれた少年時代の彼らの友情を包んでいた夏の光、そのかつてもいまも変わらぬ明るく透明な南仏の光に満ちたラストシーンには、互いの才能を認め合いつつもそれゆえに決別せざるをえなかった表現者たちの深い孤独が秘められている。その明るさと哀しさが胸を打つ(セザンヌの名誉のために一言。袂を分かった2人だが、ゾラの謎めいた死の知らせを聞いたとき、セザンヌは号泣したという)。
(『美術手帖』2017年8月号「INFORMATION」より)