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ひとりの脱北女性のドキュメンタリー。映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』

思いがけず脱北者となり、生活のために脱北を手引きする「脱北ブローカー」になると同時に、自らも韓国への危険な旅に出る北朝鮮女性B(べー)。平凡な幸せを望み、女性として、母としての葛藤を抱えながら過酷な日々を生き抜くひとりの中年女性の姿に、釜山出身の監督ユン・ジェホが密着。

文=古川美佳(韓国美術・文化研究)

映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』より © Zorba Production, Su:m

国家の狭間に潜む夢と絶望、分断された身体

 暗闇の中、終わりの見えない闇の道を誰かが移動している。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から逃れ、死を覚悟で国境を越える脱北者たち。北朝鮮の女性マダム・ベーも家族のために出稼ぎを目論んで中朝の境界・鴨緑江(おうりょくこう)を渡ったが、中国にたどり着くやだまされ、貧しい農村に嫁として売り飛ばされた。それでも、身に降りかかった運命として中国人の夫と義父母との新たな生活をたくましく受け入れていく。そして中国人一家を支えるいっぽうで、北朝鮮に残した家族をも養うために、自らが脱北ブローカーにまでなる。いまよりわずかでもより良く、幸せに、生き延びるために。

映画『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』より © Zorba Production, Su:m

 フランスと韓国を往来し映画を製作する気鋭のユン・ジェホ監督は、この女性の実話を通して、立ちふさがる世界史の矛盾と国家の不条理を無意識の領域から溶解させようと試みたのかもしれない。そのユン監督の透徹した視線による映像は、民族分断を強いられた人々の切断された心象風景のようであり、生々しく繊細だ。それはまた、監督自らのアイデンティティに対するアイロニカルな問いかけともいえよう。

 絶望の淵から微かな夢を追う脱北者の存在は、分断の狭間に潜む声なき声と痛みを可視化し、私たちの日常をも揺さぶる。

 2016年のカンヌ国際映画祭監督週間でも上映されたこの映画は、優れて今日的であり、近代史を共有する東アジアの私たちにとっても無関係ではない。だからこそ、ぜひ観ておきたい。

 (『美術手帖』2017年6月号「INFORMATION」より)

編集部

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