1950年代から60年代前半に活躍したオーストラリア出身の芸術家、キース・カニンガムをご存知だろうか?存命中に作品を一般公開することはほとんどなく、あまり世に知られていないが、ダミアン・ハーストが所有するギャラリー、ニューポート・ストリート・ギャラリーで開催中の「The Cloud of Witness」展(〜8月21日)で彼の多くの作品が初公開され、いま注目を集めている。
カニンガムの作品は、彫刻的な筆使いとぼかされたタッチから伝わる生々しさが特徴的で、フランシス・ベーコンやレオン・コゾフ、フランク・アウエルバッハらに似た、ダークな色彩を表現豊かに仕上げる力強さがみてとれる。骸骨や血、動物の闘争などをモチーフにし、同時期に活躍したアーティストらと同じように、日常生活の現実を切りとり表面下にある深いものを表す、比喩的な絵画を追求していたのだろう。
キース・カニンガムとは一体どんな人物だったのか?
カニンガムは1929年にシドニーで生まれ、49年にセントラル・スクール・オブ・アートでグラフィックデザインを勉強するためにロンドンへと渡る。建築に関する論文を提出して卒業するも、ペインティングへの熱い情熱からロイヤル・カレッジ・オブ・アートに出願し、入学するやいなや彼の才能が認められた。55年には奨学金を得てスペインを旅し、この旅が彼の創作活動に大きな影響を与えたという。
翌年の卒業時にはロイヤル・アカデミーのサマーエキシビジョンと、当時ロンドンでもっとも影響力のあるギャラリーのひとつ、ボザール・ギャラリーでの展示を果たす。さらに、2年連続で名高きロンドン・グループの展示にも選ばれ、タイムズ紙の芸術評論家などから高い評価を得ていた。彼のチューターであり画家の、ジョン・ミントンが「ロイヤル・カレッジで学んだ学生のなかでもっとも才能のある画家のひとり」と言ったほどだった。
60年代、多くの人に愛され、コレクターのなかでも引っ張りだこだったカニンガムは、世界的に有名になる寸前。だが突如として、67年に彼はアート界から完全に身を引くことを決心する。作品を公に展示することを拒み、ほぼ誰にも作品を見せなくなってしまったのだ。代わりにグラフィックデザインにフォーカスするようになり、70年代から80年代にかけて、『エコノミスト』などといったマガジンや本の表紙デザインを手がけた。
それから2014年に85歳で亡くなるまで、創作活動は続けるも、彼のほとんどのコレクションが世に出ることはなかった。