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2020.7.12

クリストとジャンヌ=クロードを振り返る。「アートは、Joy(楽しさ)とBeauty(美しさ)だ」

ライヒスタークやポンヌフをはじめ、様々な巨大プロジェクトを夫婦で成し遂げてきたクリストとジャンヌ=クロード。ふたりがこの世を去ったいま、その人柄や作品に対する姿勢を、親交があったライターの高石由美が振り返る。

文=高石由美

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 突然の訃報が届いたのは6月1日朝。前日にクリストが逝去したと聞いてもにわかに信じられず、しばらく呆然としてうわの空状態になってしまった。目を閉じると、ひとりスタジオで制作しているクリストの姿が浮かんできた。何かのドキュメンタリー映像で見たシーンだ。

 クリストとジャンヌ=クロードの毎日は本当に多忙で、講演や複数ある進行中のプロジェクト準備のために各地を飛び回っていた。プロジェクトに関しては、明確に役割分担していたわけではなく、ふたりでつくり上げていった(個性が強く妥協することのないふたりは、ときには激しく議論することもあったが)。ただ、ドローイングやコラージュやオブジェなどの作品はクリストのみが制作する。こうした作品のサインがクリストひとりなのはそういうわけだ。

クリストとジャンヌ=クロード 撮影=筆者
クリストのサイン(右下)が確認できる《マスタバ、アラブ首長国連邦のプロジェクト》のドローイング Photo by André Grossmann (C) 2012 Christo

 ふたりを訪問したある日の午後、リビングで話をしていたジャンヌ=クロードが時計を見るや、グラスに豆乳ドリンクを用意し、いつものようにトランシーバーを使って、上階のクリストに飲む時間だと連絡していた。そうでもして声をかけないかぎり、クリストは休み無く制作に没頭し続けるからだった。

 クリストのバイタリティにはいつも圧倒された。例えばふたりが来日した際のこと。先に着いたクリストと、別の便に乗ったジャンヌ=クロードが到着するまでの数時間、成田空港で一緒に待ったことがあった(彼らは、飛行機で移動する際、必ず別々の便なのだ。万が一事故に遭いふたりとも犠牲になると進行中プロジェクトに影響が及ぶという理由からだ)。

 クリストはニューヨークから十数時間の長旅の疲れなどまったく見せず、展望デッキに出て飛行機の発着を眺めたり、本屋に立ち寄ったり、ひたすら歩き回り、とうとう1分たりとも腰掛けることはなかった。

《フローティング・ピアーズ》に立つクリスト(2016年6月) Photo by Wolfgang Volz (C) 2020 Christo

 あるとき、クリストが唐突に、いたずらっ子のような表情でポケットから何やら取り出して見せてくれたことがあった。なんと1玉のニンニクだった。尋ねると、「持ち歩いていて、時々むいてかじるんだよ」と茶目っ気たっぷりに笑っていた。クリストのスタミナの根源はこれなのか!と思った。何度か朝食を共にしたことがあるが、クリストはいつもヨーグルトを欠かさなかった。ブルガリア人の朝食としては定番なのだろうが、クリストはそこにニンニクの欠けらを入れていたこともある。

 クリストはブルガリアの美術大学卒業前に故郷を離れ、パリでジャンヌ=クロードと出会い、1964年、一緒にニューヨークに移り住んだ(ちなみに、クリストはその後一度も故郷に戻らなかった)。それから60年近く、ソーホーの5階建てビルを拠点に、ふたりで大規模なプロジェクトを構想し、実現に向かって活動し続けた。

クリストとジャンヌ=クロード 撮影=筆者

 そのクリストのスタジオを初めて訪れたのは、柳正彦氏の紹介で1997年のことだった。それ以前の、さかのぼること十数年前に、クリストとジャンヌ=クロード来日時の講演があり、初めて写真で見た作品に衝撃を受けた。その後ロンドンのギャラリーのレセプションで知人を通じてほんの少し話をしたことがあった。

 スタジオを初訪問した際、ついこれらのことを話してしまったのは、クリストを前にあまりにも緊張して何か話題をつくろうとしたのだったと思う。クリストは、講演や展覧会を各地で星の数ほど行っているにもかかわらず、なんと、私の二度の想い出が何年のいつだったかも正確に覚えていた(その後も、クリストのじつに類い希なる記憶力には驚かされることたびたびだった)。

クリストとジャンヌ=クロード 包まれたライヒスターク、ベルリン、1971-95 Photo by Wolfgang Volz (C) 2020 Christo

 せっかくの機会なので質問もした。「プロジェクトの場所は、いつもどうやって決めるのですか?」。それに対して、その時点で私が唯一見ていたプロジェクト《アンブレラ》の、茨城の場所を決めた時の話をしてくれた。最初に地図を見て綿密に調査し車で回り、様々な角度から見て「ここだ」と決めたそうだ。そのときは、「場所が呼ぶ」のかと思ったが、どうやらそうではないことが後にわかった。場所によってモチベーションは異なり、一概にルールがあるわけではない。いずれにしてもクリストたちの美学によるものなのだ。

 その後も幾度かインタビューをする機会があったが、クリストはいかなる質問に対してもいつも真剣に答えてくれた。ときにどんどん話がそれていくように感じることもあったが、最後はちゃんと核心にたどりつくのだった。

 クリストとジャンヌ=クロード アンブレラ 日本-アメリカ合衆国、1984-91 Photo by Wolfgang Volz (C) 2020 Christo

 翌年の1998年、スイスでの《ラップド・ツリー》プロジェクトでは準備段階から見る機会を得た。木々を布で覆う作業にプロのロッククライマーたちが集められていたが、彼らの作業に指示を出すだけでなく、クリストとジャンヌ=クロードが現場で直接コミットしていたのが印象的だった。完成した作品は、それぞれ大きさも形も異なる木々の表情が回りの景色と見事に調和し、日の当たり具合や見る位置によって布の色合いが変化し、なかの木の枝が透けて見え、一時も見逃せないほど美しかった。雪が降った日の翌朝、ジャンヌ=クロードが「見た?雪がうっすら積もってキラキラ反射していたの、見た?」と嬉しそうだった顔が忘れられない。こうした一瞬一瞬の美しさを人々と共有したいがために、いかなる困難にも立ち向かうのかと思い感動的だった。彼らは、「アートは、Joy(楽しさ)とBeauty(美しさ)だ」という言葉を残しているが、まさにそのとおりだ。

《ラップド・ツリー》の前で。左からジョシー・クラフト(ラップド・ツリー プロジェクト・ディレクター)、ジャンヌ=クロード、筆者、クリスト

 クリストもジャンヌ=クロードも、日本の様々なことに関心を持ち、勤勉で仕事が丁寧な日本人にとても好意をもってくれていたようだ。そしてちょっとした待ち時間などに、いろいろ質問されることがあった。いまから4年前の水戸芸術館での展覧会準備で来日していたクリストに「ところで、築地市場の移転問題はいまどうなっている?」と聞かれたときは、そんなことまで知っているのかと驚いた。クリストは公には政治的な発言をしないが、時事問題には明るく、つねに情報をアップデートしていた。社会情勢をよくチェックしていたのは、さまざまな場所でプロジェクト開催の許可をとるためにも当然のことだったのだろう。

クリストとジャンヌ=クロード ポン ヌフの梱包、パリ、1975-85 Photo by Wolfgang Volz (C) 2020 Christo

 翌2017年1月、《オーバー・ザ・リバー》プロジェクトの計画を突然中止した時は回りを驚かせた。25年間も温め続けたこのプロジェクトは、他のプロジェクトと比べると順調に進んでいて、実現に向けて最終段階に入っていたからだ。すでに20億円近くの経費を準備に費やしていて、現地で試作品を設置するためのアンカーを取り付ける作業もクリスト自ら試していたと聞く。ところが、ドナルド・トランプが政権をとり、クリストも悩んだに違いないが潔く中止を決定してしまった。この60年間で20以上のプロジェクトを実現したが、40近くが実現しなかったことは、実現したプロジェクトが如何に貴重だったかを浮かび上がらせることにもなる。

クリストとジャンヌ=クロード 囲まれた島々、フロリダ州マイアミ、ビスケーン湾、1980-83 Photo by Wolfgang Volz (C) 2020 Christo

 実現までに様々な難局もあるが、いかなるスポンサーも受け付けず、すべて自らの作品を売却した資金でまかないながら、クリストたちは、最終的には非常に多くの人達にハッピーな想い出を残してもらうことを喜んでいた。そうして世界各地に唯一無二の大きな足跡を残し、若いアーティストたちに影響を与えてきたことは間違いないだろう。

 そうしたクリストとジャンヌ=クロード作品は、どのようにカテゴライズされるのか。かつては、建造物や自然を「梱包」する壮大な野外彫刻などと言われていたこともあった。が、プロジェクトの多くは「梱包」ではなく、本人たちもそのような語られ方を望んでいなかったので、いつしか環境芸術などと呼ばれるようになったようだ。約2~3週間しか存在しないプロジェクトは、ドローイング、写真画像、映像、模型、使用したコンポーネンツ(構成物)でしか残せない。それに加えて、開催に至るまでのプロセスなどを含めてのストーリーも重要なファクターになるのではないだろうか。クリストもジャンヌ=クロードも、いまもうこの世にはいなくなってしまったのだが、彼らの残した活動や、やろうとしていたことは永遠に語り継がれていくことだろう。

クリストとジャンヌ=クロード 門、ニューヨーク、セントラル・パーク、1979-2005 Photo by Wolfgang Volz (C) 2020 Christo
クリストとジャンヌ=クロード フローティング・ピアーズ、イセオ湖、イタリア、2014-16 Photo by Wolfgang Volz (C) 2020 Christo

 11年前にジャンヌ=クロードが亡くなってからも、クリストは、イタリアで《フローティング・ピアーズ》プロジェクトを実現させるなど、ペースダウンすることなくパワフルだったように思う。ただ、今年、新型コロナウイルス感染拡大防止でニューヨークのロックダウンが始まった3月中旬からは、人に会わずこもって制作していたそうだ。

 進行中の、《包まれた凱旋門、パリのプロジェクト》と、《マスタバ、アラブ首長国連邦のプロジェクト》に向かって取り組んでいたはずだ。

クリストとジャンヌ=クロード 包まれた凱旋門、パリのプロジェクト(ドローイング) 2018 Photo by André Grossmann (C) 2018 Christo 
クリストとジャンヌ=クロード マスタバ、アラブ首長国連邦のプロジェクト(スケールモデル) Photo by  Wolfgang Volz (C) 1979 Christo

 そのうちの前者は、クリストとジャンヌ=クロードの遺志どおり、ふたりがいなくても来年秋に開催される予定だ。58年越しのこのプロジェクトは、今年(2020年)4月に開催が予定されていたが、凱旋門には毎年春に野鳥が巣づくりすることを知るや、その邪魔にならないよう秋に変更。その後、新型コロナウイルスの影響で、さらに来年秋に延期されたのだ。

 パリはふたりにとって、とくに思い入れの深い地であったろうと思うと無念でならない。プロジェクトが完成したら、空の上からそれを嬉しそうに見守るふたりと喜びを共有したいと思っている。

クリストとジャンヌ=クロード 撮影=筆者