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2018.8.16

日本の景色はいかにして築かれたのか? 「建築の日本展」から、日本建築史を俯瞰する

森美術館(東京)で開催中の「建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの」は、日本における建築の歴史と現在を読み解く展覧会。建築資料や模型から体験型インスタレーションまで、100のプロジェクト、400点以上の展示品によって構成。建築における日本独自の変遷を展示から照らすというこの試みを、建築家・藤原徹平がレビューする。

文=藤原徹平

丹下健三 住居(丹下健三自邸) 模型1:3 2018 
制作監修=森美術館、野口直人 制作=おだわら名工舎 撮影=来田猛 画像提供=森美術館
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モダニズム建築運動と日本建築史

 「建築の日本展」の来館者数が好調のようだ。展覧会には間をあけて3回ほど足を運んでみた。「なるほどなあ」とか、「こんなのあったんだな」とか、毎回感心する内容があり、気持ちよく見られる展覧会だと感じた。私がとくに惹かれた展示は、丹下健三の自邸の縮尺3分の1の復元架構模型、神代雄一郎の漁村集落の研究資料、村野藤吾の日生劇場の天井の石膏スタディ模型だ。いっぽう、展覧会に行った学生に聞くと、ライゾマティクスの映像展示や北川原温の木組みの構造体の再現などが人気のようだ。

 来場者の伸びとは逆の厳しい批評もウェブ上に出ている。
 朝日新聞記者の大西若人氏からは、日本におけるモダニズム建築の圧倒的な影響について示されていないことについて指摘があった。猛烈なモダニズム建築の学習を経て、木造の空間意識や繊細な美意識を活かしていった結果、洗練された日本の現代建築が生まれたというのが一般的で公平なとらえ方ではないのかというのが氏の指摘である。(*1)

 また、美術家・美術批評家の黒瀬陽平氏からはより厳しい論調の応答があった。黒瀬氏は、①本来は外来の文物の受容によって生成した多様な方法論を、さも日本の風土や文化から演繹的に自然発生したように逆転させて語り続けていること。②展覧会における話法が、日本独自の固有なるもの=遺伝子があるからこそ世界が驚くような独創的な建築ものをつくれるという演繹的態度に終始とどまっていること。③仏教という体系を通すことで日本の潜在的な思想が自己表現を行っているという日本文化の「仮面劇」的な構造に対する認識が欠如していること。などを指摘し、「悪しき」や「簒奪」や「隠ぺい」などという強い言葉を用いて、展覧会の企画の無頓着さを痛烈に批判した。(*2)

 日本の建築学は世界でも珍しく、ほとんどの大学において自国の建築史だけを扱う「日本建築史」なる講義科目と研究領域が存在している。建築とはそもそも多文化史、多国籍文化史である。エジプト文化圏、ギリシャ文化圏、イスラム文化圏、中国文化圏、アステカ文化圏というような古代文化圏それぞれに建築、空間、場所についてのとらえ方があり、それが文化圏内で発展し、また時代が進んで相互の交流によって混交していく。そのため、一般的には国を分けずに「建築史」として大きくとらえていくほうが歴史の流れをとらえやすい。

 では「日本建築史」は視野が狭く貧弱な内容なのか?というとそうでもない。その理由としてまずは建築の様式史として多くの段階の事例があることが挙げられる。日本は歴史上、中国から建築様式が3度流入したが、島国ゆえに流入は3度ともに限定的に発生し、流入した様式も、形式が崩れ変容していく途中の様式も、日本の独特な様式も、そのすべての段階が多く現存している。また、外国との交流を300年の長期にわたって制限した江戸時代に日本独自の建築・庭園・都市・住宅(民家)の空間的造形的特性が醸成されるのだが、これが近世期に当たっていることも大きい。近世という時代がなぜ重要なのかというと、近世に続く近代期に建築文化がモダニズム建築という世界的で大きなひとつの文脈に巻き込まれていくからだ。近世が閉鎖的に展開した日本は、かなりの厚みを持って「日本建築史」を語ることができる。

 近代期を自国だけの建築史で描写することは大変困難で、1928年から59年まで続くCIAM(近代建築国際会議)や、32年に建築・デザイン部門が設立されたニューヨーク近代美術館、CIAM解散を導いたチームX(チーム10)(*3)という多国籍な建築家たちの活動など、モダニズム建築の運動は、世界全体で時代精神を共有しながら、一体となったり、同時多発的だったりと、ひとつの文脈の中で変容していった。第二次世界大戦期にドイツから多くの建築家がアメリカに亡命したことも、世界のなかでモダニズム建築の混交をつくった(ブルーノ・タウトはアメリカが受け入れず日本を頼る)。アメリカはローマにアカデミーをつくり西洋の古典建築を学び取ろうとした。世界中で様々な混交が起きていく。

 モダニズム建築運動は、過去のあらゆる様式からの切断を宣言した人類史上初めての運動で、建築美論において大きな進展があったが、同時に全世界のあらゆる地域文化にとっての外来種とも言える存在である。それゆえに近代建築運動の流入と展開、抵抗と変容、またその風土化のプロセスは、その様相は違えども全世界で互いに共有する文脈でもある。またモダニズム建築においては、建築は技術や工業と積極的に混交することによって飛躍的に展開していくことにもなる。

 モダニズム建築運動のなかで日本は不思議な立ち位置にある。モダニズム建築ではあらゆる過去の様式との切断を宣言したが、それは厳密には西洋の文脈における過去との切断であり、西洋の外部たる東洋、とくに近世に世界史から隔離された空間文化を持った日本建築の空間はモダニズム建築と不思議な類似性を持っていた。

 例えば左右非対称の平面形であるとか、行動空間(シークエンス)的な構成であるとか、透明で壁のない空間であるといった部分だ。日本にとっての外来種として流入してきたモダニズム建築。そのモダニズム建築が目指した空間が日本的な建築の空間特性と近しいという不思議な歪みが、日本建築の歴史を俯瞰するときにややこしさを生じさせる。

現在をとらえるための建築展の可能性 

展示風景より。写真手前の左右が北川原温《ミラノ国際博覧会2015日本館 木組インフィニティ》(2015)の再現 撮影=来田猛 画像提供=森美術館

 このように日本の建築を取り巻く状況は、複雑かつ多元的である。そう思いながらこの展覧会を見てみると、改めて気になるのは、この展覧会が「ものすごく滑らか」であることだ。例えば私が面白いと感じた展示物たちは、専門的な観点での発見を促す事物であり、建築の知識や興味なしに面白いと感じるのは困難であろう。言ってみれば私はサブカル的、オタク的に展覧会に埋没している状態だ。

 かたや、ライゾマティクスの展示や北川原温の木組は、インスタレーション的な楽しい展示である。子供たちでもこのふたつの展示を大変に面白がっていた。現代建築家の作品展でもあり、古建築の学術的な復元模型もある。まるで別の展覧会がいくつも同居しているような状態なのだが、それらがじつに滑らかにつなげられている。

 なぜこの「滑らかさ」が気になったかというと、5歳になる息子にいろいろと質問をされながら鑑賞していた際、時代背景に関係なくランダムに並べられた展示品の説明が、どうしてもこれとこれが「似ている(類似)」とか、これはこれから「学んだ(引用)」とか、この人が「こう言った(宣言)」というようにしか伝えようがなかったというのがある。時代背景が飛ぶので、背景から説明するのはハイコンテクストすぎて難しく、目で見てわかることしか伝達ができなかった。また、宣言を検証することは少ないサンプルでは困難で、一方的に受け入れるか無視するしかない。多種多様な人が見どころを発見できる展覧会にはなっているが、見どころに注目しすぎて、本当のところどのように日本の現代建築家が苦闘しているのかとか、「日本の建築の性質」というような抽象的・精神的な問題には、向かっていないように思える。それぞれが見たい方向へ別々に向いている。それはおそらくキュレーター陣の企画意図からはズレている。

 学生のとき、建築史家の井上充夫の『日本建築の空間』(鹿島研究所出版会、1969)を初めて読んで、私は本当に驚いた。井上は、「空間という概念が存在しない時代の建築」を、「空間」という言葉で通史的に俯瞰してみせたのだ。井上の独創的で明晰な分析によって、日本の古建築が新しい理想的な秩序の文脈の中に置かれた。歴史的に物事を見るというのは、伝統と個人、世界と現在をつなぐ重要な糸口をつくるということだ。だから本展が考えたように、様式の通史にしなかったというのは共感できる。

 しかしながら、本展がとったようにテーマを多数見つけてきてグループをつくり、それぞれに源流を固定し、そこから「わかりやすく」「端的に」「濃縮して」関係性を伝えるという方法にはあまり共感しない。歴史意識を持つということは、瑞々しく過去をとらえる、過去の現在的瞬間に生きるということであると思うが、それは時空の距離、多様な伝統の秩序を飛び越えて関係性の矢印を引いて良いということを決して意味しない。わかりやすい関係性の定着は、むしろ過去を固定し、瑞々しさを失わせることにつながりかねない。そしてそれは現代建築家の作品に触れるときにも同じことが言える。現在つくられたからといって現在的瞬間を生きているわけではないからだ。

 いま、ここで私の脳裏に響くのは、かつてこの森美術館で開催された「メタボリズムの未来都市展 戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン」(2011)のシンポジウムに臨席していた建築家・菊竹清訓が述べた言葉である。

いろいろなことを「わかったこと」にしないことです。本当は「わかっていない」んです。わかっていないことをわかったつもりでいる。とくにいまの時代、建築家としてそれは許されません。わからないことをわかるように最大限努力する。それでもわかったつもりにならないこと、それが大切です。頑張ってください。(*4)

 どのようなことが可能だったろうか、とそういうふうに考えてみる(批評とはつねにつくり手の側に立つということだと私は考えている)。私はいっそのこと「ひとつの観点だけ」に絞り込み「しつこく」「徹底的に」文脈をつくるという方法に可能性を感じる。例えば空間ということでもいいし、架構ということでもいいし、庭園でもいいのだけど、日本の建築史を貫くしっかりしたテーマをひとつ選び、ひとつという制限をかけることで、現代から古典までの「膨大なサンプル」から様式史とは異なる新しい秩序を浮かび上がらせることになるのではないだろうか。

 100個も200個も同じテーマで展示品を集めようと考えたとき、それはおそらく見る側も大変に労の折れる展覧会になるだろうが、うまくやれば「過去の現在的瞬間に生きる」という歴史意識を身体的にダイレクトに伝える展示になりうるだろう。そして何より私がいいなと思うのは、失敗したとしても、過去と現在を同時になんとかとらえようという試みの難しさが可視化されていることになるので、子供から質問されたときにも一緒に考えることができるような、開かれた展示になるような気がすることだ。菊竹さんからの問いかけに未だわれわれは答えられていないのだと思う。

*1――『朝日新聞デジタル』「(評・美術)建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの 古今の様式知る格好の機会」 

*2――『建築討論』[201806 小特集:「建築の日本展」レビュー]黒瀬陽平「悪しき「遺伝子」のもたらすもの」

*3――第9回近代建築国際会議CIAM(1953)において結成された、アリソン&ピーター・スミッソン夫妻を中心とした若い世代の建築家グループ。56年の第10回会議において事実上CIAMを解体させた。CIAM解散後も、チームXのメンバーたちは81年までのあいだ不定期に会議を開催した。正式に宣言された組織や共通のマニュフェストを持たないが、互いに批評する目的で会議が行なわれた。様々な国から建築家が参加し、ブルータリズムや、オランダ構造主義、群造形などそれぞれのメンバーによる理論が交流。20世紀後半の世界の建築運動に大きな影響を与えた。

*4――『森美術館 公式ブログ』「世界デザイン会議」とメタボリズム 「メタボリストが語るメタボリズム」(4)より